こんにちは、小学生時代に自由研究で天気図を作って以来、気象予報に関心を持つようになった石井伸之です。
本日も台風一号に前線が刺激されたらしく、終日あいにくの雨となっておりました。それでも、15日に青柳若葉会で芋の苗植えを第六小学校青柳地域子供会のみなさんと予定していることから、恵みの雨とも言えます。
今日は幾つかの打ち合わせや供託金を取り戻すための手続き、選挙事務所の片付けを行っていると、あっという間に一日が終わってしまいました。特に選挙事務所の片付けをしていると、後援会の皆様が各候補者のチラシを持って来てくれた関係で、ついついそれに目が行き、目を通していると、すぐに時間が過ぎてしまいます。
さて、既に3週間前となった国立市議会議員選挙5日目の様子を振り返りたいと思います。
朝の挨拶は二日目の月曜日に矢川駅、三日目の火曜日に谷保駅、四日目の水曜日に国立駅南口というように移動したことから、一回りして五日目は再び矢川駅へ向かいました。
何としても一番乗りを果たす為に、午前4時30分には起きて、午前5時30分に矢川駅北口の仮設階段下へ向かうと、さすがに誰もおらずホッとしました。
それでも、通勤される方々の姿はまばらでしたが「朝早くから頑張ってるね」「応援するから頑張れ」という声をいただくと、選挙の疲れを微塵にも感じません。程無くして、午前6時過ぎには後援会長も来ていただきました。
その後、午前6時30分を過ぎると、1人、また1人と候補者が増え始め、北口ロータリーは戦国絵巻へと様変わりです。午前7時前になると、佐藤一夫市長候補も来られたことから、階段下のベストポジションに入っていただきました。
応援する市長候補の隣で私が自分の名前を肉声とはいえ、連呼するのは節操が無いと考えて、ひたすら「市長には佐藤、佐藤一夫、市長候補佐藤一夫への支援をお願い致します」と、訴えておりました。地方議会では何と言っても市長の力が絶大であることを痛いほどに感じている私としては、何としても佐藤一夫さんに市長へと就任していただきたいとの一心で、佐藤一夫市長候補の名前を皆様に伝えました。
このことを感じとっていただいた佐藤一夫市長候補からは、午前8時を過ぎて選挙カーへ移る際に心からお礼の言葉をいただき、人として人の情をしっかりと受け止める姿を見て、私は佐藤一夫市長候補へのさらなる支援を決意しました。
市長候補を支援する為にも、この日から街頭演説は殆ど住基ネット一本に定め「大震災時に私達が避難民となった際に、自らを証明する為に住基ネットが必要であり、防災士という資格を持つ1人として防災の観点からも住基ネットへの接続が必要です」「住基ネットを速やかに接続する市長候補は佐藤一夫市長候補ただ1人です」「違法状態を改善し、当たり前の国立市を取り戻す為に、皆様のご支援を佐藤一夫市長候補へと賜りますようお願い致します」という訴えに、富士見台団地の窓から何人もの方々に手を振っていただきました。
住基ネットの話題に触れると「石井伸之」の名前よりも「佐藤一夫」の名前を何回も訴えることができますので、とにかく応援する市長候補の名前を広めることが、私達保守系議員の上乗せにも繋がると信じて訴え続けたところです。
東日本大震災で静かな選挙戦と言われましたが、五日目ともなると徐々に市民の方々が自らの一票を投じる候補者を探し始めたような雰囲気を感じ、各候補の訴えにも熱を帯びて来ました。
それでも、私は興奮し始めると早口になってしまい、聞き取りにくいとの声を聞いておりますので、冷静さを忘れずに一言一言をしっかりと訴えるようにしております。
お昼になって選挙事務所へ戻ると、小学校から帰ってきた長女が私に話したいことがあるというので、何かと聞いていると「かーぜかおる、くにたちでー、ぼくらまーなんでるー、みあげるそらのー、キャンパスにー・・・・」というように、覚えたての第六小学校校歌を所々詰まりながらも歌っておりました。
国立第六小学校は昭和45年4月に開校して以来、平成17年春に杉本竜一さんより寄贈されるまで、約25年もの間、校歌がありませんでした。第六小学校、第七小学校、第八小学校も同様の状態となっており、こういった異常な状態を改善したいという思いで、平成11年の市議会議員選挙に初挑戦したことのころを思い出しました。
長女から第六小学校校歌での応援があったことから、午後も元気に自転車で選挙活動へ出発したことは間違いありません。
また後日、六日目の選挙活動を記したいと思います。
本日も台風一号に前線が刺激されたらしく、終日あいにくの雨となっておりました。それでも、15日に青柳若葉会で芋の苗植えを第六小学校青柳地域子供会のみなさんと予定していることから、恵みの雨とも言えます。
今日は幾つかの打ち合わせや供託金を取り戻すための手続き、選挙事務所の片付けを行っていると、あっという間に一日が終わってしまいました。特に選挙事務所の片付けをしていると、後援会の皆様が各候補者のチラシを持って来てくれた関係で、ついついそれに目が行き、目を通していると、すぐに時間が過ぎてしまいます。
さて、既に3週間前となった国立市議会議員選挙5日目の様子を振り返りたいと思います。
朝の挨拶は二日目の月曜日に矢川駅、三日目の火曜日に谷保駅、四日目の水曜日に国立駅南口というように移動したことから、一回りして五日目は再び矢川駅へ向かいました。
何としても一番乗りを果たす為に、午前4時30分には起きて、午前5時30分に矢川駅北口の仮設階段下へ向かうと、さすがに誰もおらずホッとしました。
それでも、通勤される方々の姿はまばらでしたが「朝早くから頑張ってるね」「応援するから頑張れ」という声をいただくと、選挙の疲れを微塵にも感じません。程無くして、午前6時過ぎには後援会長も来ていただきました。
その後、午前6時30分を過ぎると、1人、また1人と候補者が増え始め、北口ロータリーは戦国絵巻へと様変わりです。午前7時前になると、佐藤一夫市長候補も来られたことから、階段下のベストポジションに入っていただきました。
応援する市長候補の隣で私が自分の名前を肉声とはいえ、連呼するのは節操が無いと考えて、ひたすら「市長には佐藤、佐藤一夫、市長候補佐藤一夫への支援をお願い致します」と、訴えておりました。地方議会では何と言っても市長の力が絶大であることを痛いほどに感じている私としては、何としても佐藤一夫さんに市長へと就任していただきたいとの一心で、佐藤一夫市長候補の名前を皆様に伝えました。
このことを感じとっていただいた佐藤一夫市長候補からは、午前8時を過ぎて選挙カーへ移る際に心からお礼の言葉をいただき、人として人の情をしっかりと受け止める姿を見て、私は佐藤一夫市長候補へのさらなる支援を決意しました。
市長候補を支援する為にも、この日から街頭演説は殆ど住基ネット一本に定め「大震災時に私達が避難民となった際に、自らを証明する為に住基ネットが必要であり、防災士という資格を持つ1人として防災の観点からも住基ネットへの接続が必要です」「住基ネットを速やかに接続する市長候補は佐藤一夫市長候補ただ1人です」「違法状態を改善し、当たり前の国立市を取り戻す為に、皆様のご支援を佐藤一夫市長候補へと賜りますようお願い致します」という訴えに、富士見台団地の窓から何人もの方々に手を振っていただきました。
住基ネットの話題に触れると「石井伸之」の名前よりも「佐藤一夫」の名前を何回も訴えることができますので、とにかく応援する市長候補の名前を広めることが、私達保守系議員の上乗せにも繋がると信じて訴え続けたところです。
東日本大震災で静かな選挙戦と言われましたが、五日目ともなると徐々に市民の方々が自らの一票を投じる候補者を探し始めたような雰囲気を感じ、各候補の訴えにも熱を帯びて来ました。
それでも、私は興奮し始めると早口になってしまい、聞き取りにくいとの声を聞いておりますので、冷静さを忘れずに一言一言をしっかりと訴えるようにしております。
お昼になって選挙事務所へ戻ると、小学校から帰ってきた長女が私に話したいことがあるというので、何かと聞いていると「かーぜかおる、くにたちでー、ぼくらまーなんでるー、みあげるそらのー、キャンパスにー・・・・」というように、覚えたての第六小学校校歌を所々詰まりながらも歌っておりました。
国立第六小学校は昭和45年4月に開校して以来、平成17年春に杉本竜一さんより寄贈されるまで、約25年もの間、校歌がありませんでした。第六小学校、第七小学校、第八小学校も同様の状態となっており、こういった異常な状態を改善したいという思いで、平成11年の市議会議員選挙に初挑戦したことのころを思い出しました。
長女から第六小学校校歌での応援があったことから、午後も元気に自転車で選挙活動へ出発したことは間違いありません。
また後日、六日目の選挙活動を記したいと思います。