こんにちは石井伸之です。昨日は石井伸之選挙報告会を行いましたので、その片付けの為に午前中を費やし、それでもまだ圧倒的な資料と資材は行き場を失い、ダンボールの中で永遠の眠りにつきそうな具合ですので、やるときには一気に片付けないとどうしょうもないですね。
それにしても、昨日の選挙報告会では2歳半の長女がマスコットガールとして場を和ませてくれたと共に、座布団を片付けたり、細かなゴミを拾ってくれたり、紙コップや紙皿を配ってくれたりと本当にちょこまか働いてくれました。
それでも、最後に長女を皆で胴上げしようと近寄ったら、それが怖かったらしく私にがっしりとしがみついて離れませんでした。
長女は私が来ていただいた皆様と握手をしているのが嬉しいらしく、自分から手を差し出して握手を求めて、お辞儀(というか会釈ぐらいでした)をしているのには、またまたビックリです。
勿論、お別れの時のお手振りは、うぐいす嬢の素質十分です。それにしても、こういった私の姿を見て、いろいろなことを覚えてしまう年頃なので、へたにうっかりしたことはできません。
その中で、後援会役員の方より、みのわ通りが今年開通するのであれば、折角ですので、開通のイベントとして、六小や二中の子供たちを中心に綱引きをしたり、おどりや太鼓の実演をしたり、といった様々な催し物をしてはどうかというご意見をいただきました。早速、6月議会の一般質問等で公の場所へこういったご意見を伝えて行きたいと思います。
話を今日に戻して、午後からは選挙管理委員会へ5月7日までに提出する収支報告書を作成しておりました。選挙期間中は、選挙のことで頭が一杯ですから、どこで何を買ったか、領収書の山と格闘です。午前中には資材の整理をして、昼食を食べると、途端に眠くなってしまい、午後3時過ぎまで爆睡でした。そんなこんなで、収支報告のほうはなかなか進まず、明日以降へと持ち越されました。
それでは、恒例の選挙戦について四日目の様子を思い出してみます。
4月18日水曜日は、昨日と同様に真冬のように寒い曇り空で、6時半には矢川駅に到着し、声の大きい松嶋議員が来ていないことをホッとしながら、すでに5割程度に落ちた声量で、ホームにいる方々へ訴えを続けておりました。
午前8時になって、選挙カーの後ろを自転車で付いて行って、選挙事務所で一休みです。すると、毎朝必ず下谷保を地盤にするベテラン議員さんが、青柳に入って来ますので、朝のおにぎりを食べている最中でも何でも、事務所を飛び出して挨拶をします。
議員の世界も義理と人情みたいなところがありまして、一人では何もできない世間を上手に世渡りする上でも、候補者自らが来ていただいたときには、事務所の者が手を振るのが慣例です。
さて、朝食を済ませてからは、雨が降るまで自転車で選挙カーの後ろを付いて行って遊説活動です。選挙カーの後ろを走っていて何が一番辛いかと言いますと、あの黒い排気ガスを目一杯吸い込んでしまうことです。
ただでさえ、坂道では「はあ、はあ」言いながら必死になってこいでいる所を、黒い煙を吸い込むと呼吸困難に陥るくらいに咳き込んでしまい苦しい思いをします。
そんな中で一番辛かったのは、市役所通りを真っ直ぐ三中のほうに下りて、その足で今度は富士見台幼稚園に繋がる千丑道を駆け上がって、甲州街道を矢川迄ダッシュして、矢川通りを駆け上がってから矢川駅で街頭演説という、高校時代の体力練成を思い出させるかのような厳しい自転車遊説でした。
さすがに矢川駅での演説は自分でも何を話しているか分からず、メタメタにも関わらず、矢川駅のホームで私の演説を聞いている方が10名ほどおりましたので、途中で止めるわけにもいかず、ハアハア、ゼエゼエ言いながら演説しておりました。
それでも、演説後にホームの方から拍手をいただけるのですから、不思議なものです。その直後、休憩の為に市長候補の選挙事務所へ駆け込んだのは言うまでもありません。
午後2時頃になって、いよいよ雲の厚みも増し始め、ポツリポツリと冷たい雨が落ち始め、再び車中の人となりました。すると、午前中の盛り上がりは引き潮のように引いてしまい、寂しい午後の選挙戦となりました。
午前中は5割程度だった声量は、みるみる落ち始め、夕方には完全にかすれてしまい、これ以上無理をすると、選挙戦中盤にもかかわらず、喉がつぶれてしまいかねない状況となりました。
それにしても、昨日の選挙報告会では2歳半の長女がマスコットガールとして場を和ませてくれたと共に、座布団を片付けたり、細かなゴミを拾ってくれたり、紙コップや紙皿を配ってくれたりと本当にちょこまか働いてくれました。
それでも、最後に長女を皆で胴上げしようと近寄ったら、それが怖かったらしく私にがっしりとしがみついて離れませんでした。
長女は私が来ていただいた皆様と握手をしているのが嬉しいらしく、自分から手を差し出して握手を求めて、お辞儀(というか会釈ぐらいでした)をしているのには、またまたビックリです。
勿論、お別れの時のお手振りは、うぐいす嬢の素質十分です。それにしても、こういった私の姿を見て、いろいろなことを覚えてしまう年頃なので、へたにうっかりしたことはできません。
その中で、後援会役員の方より、みのわ通りが今年開通するのであれば、折角ですので、開通のイベントとして、六小や二中の子供たちを中心に綱引きをしたり、おどりや太鼓の実演をしたり、といった様々な催し物をしてはどうかというご意見をいただきました。早速、6月議会の一般質問等で公の場所へこういったご意見を伝えて行きたいと思います。
話を今日に戻して、午後からは選挙管理委員会へ5月7日までに提出する収支報告書を作成しておりました。選挙期間中は、選挙のことで頭が一杯ですから、どこで何を買ったか、領収書の山と格闘です。午前中には資材の整理をして、昼食を食べると、途端に眠くなってしまい、午後3時過ぎまで爆睡でした。そんなこんなで、収支報告のほうはなかなか進まず、明日以降へと持ち越されました。
それでは、恒例の選挙戦について四日目の様子を思い出してみます。
4月18日水曜日は、昨日と同様に真冬のように寒い曇り空で、6時半には矢川駅に到着し、声の大きい松嶋議員が来ていないことをホッとしながら、すでに5割程度に落ちた声量で、ホームにいる方々へ訴えを続けておりました。
午前8時になって、選挙カーの後ろを自転車で付いて行って、選挙事務所で一休みです。すると、毎朝必ず下谷保を地盤にするベテラン議員さんが、青柳に入って来ますので、朝のおにぎりを食べている最中でも何でも、事務所を飛び出して挨拶をします。
議員の世界も義理と人情みたいなところがありまして、一人では何もできない世間を上手に世渡りする上でも、候補者自らが来ていただいたときには、事務所の者が手を振るのが慣例です。
さて、朝食を済ませてからは、雨が降るまで自転車で選挙カーの後ろを付いて行って遊説活動です。選挙カーの後ろを走っていて何が一番辛いかと言いますと、あの黒い排気ガスを目一杯吸い込んでしまうことです。
ただでさえ、坂道では「はあ、はあ」言いながら必死になってこいでいる所を、黒い煙を吸い込むと呼吸困難に陥るくらいに咳き込んでしまい苦しい思いをします。
そんな中で一番辛かったのは、市役所通りを真っ直ぐ三中のほうに下りて、その足で今度は富士見台幼稚園に繋がる千丑道を駆け上がって、甲州街道を矢川迄ダッシュして、矢川通りを駆け上がってから矢川駅で街頭演説という、高校時代の体力練成を思い出させるかのような厳しい自転車遊説でした。
さすがに矢川駅での演説は自分でも何を話しているか分からず、メタメタにも関わらず、矢川駅のホームで私の演説を聞いている方が10名ほどおりましたので、途中で止めるわけにもいかず、ハアハア、ゼエゼエ言いながら演説しておりました。
それでも、演説後にホームの方から拍手をいただけるのですから、不思議なものです。その直後、休憩の為に市長候補の選挙事務所へ駆け込んだのは言うまでもありません。
午後2時頃になって、いよいよ雲の厚みも増し始め、ポツリポツリと冷たい雨が落ち始め、再び車中の人となりました。すると、午前中の盛り上がりは引き潮のように引いてしまい、寂しい午後の選挙戦となりました。
午前中は5割程度だった声量は、みるみる落ち始め、夕方には完全にかすれてしまい、これ以上無理をすると、選挙戦中盤にもかかわらず、喉がつぶれてしまいかねない状況となりました。