こんにちは、特に初夢を見ることなく起床した石井伸之です。
本日は家内と一緒に自転車で日野七福神巡りをしました。
真冬とは思えない温かさとなっており、全力で自転車を走らせると汗ばむ程です。
まずは石田大橋を渡って土方歳三のお墓がある石田寺(せきでんじ)に向かいます。
300円で色紙を購入し、押印に300円を支払います。
参拝後には、生前大変お世話になった古賀俊昭元都議会議員のお墓に手を合わせました。
また、石田寺には石井伸之後援会会長の親族を始め、青柳地域で大変お世話になった方々のお墓があります。
多摩川を挟んだ対岸ですが、石田寺を通じて国立市と日野市の連携に向けて努力したいと考えています。
その後は安養寺、延命寺、善生寺へ向かいます。
善生寺といえば何と言っても丘の上に鎮座する大仏様で有名です。今回は初めて大仏様の直近まで行きました。
大仏様の下には参拝用の仏壇が設置されております。
手を合わせた後に、大仏様の直近へ行くと、高知の桂浜で坂本竜馬像を隣から見る展望台に立った時のことを思い出しました。
高台から浅川方面を望む大仏様が、日野市一帯を見守っているかのようです。
坂本竜馬像が日本の夜明けを目指して太平洋を望むかのように、日野市の未来が明るいものとなるように願っているのではないでしょうか?
ちなみに日野市観光協会のサイトを見ると、善生寺について以下のように書かれています。
善生寺は日野市で唯一の法華宗のお寺です。正保2年(1645)、豊田村の領主であった旗本大久保勘三郎忠良が、前年22歳で亡くした息女善生院殿妙蓮の追福のために、大久保一族が信仰していた法華宗総本山本成寺(新潟県三条市)の末寺として開創しました。寺域690坪余は当地の有力者、山口氏が建立の際、寄進したものであるといわれています。
昭和35年(1950)までは茅葺き屋根だった本堂は文化7年(1810)に再建されたもので、銅板葺きになった現在でも内部の柱や梁はそのままに使われています。
善生寺の敷地内には明治12年(1879)から昭和17年(1942)まで現在の日野市立第二小学校の前身である豊田学校がありました。その記念碑が立てられています。記念碑そばには大黒天が祀られており、「子宝大黒天」と尊称されています。
この大仏は平成7年(1995)年、善生寺開創350年と釈迦生誕2560年を記念して建立されました。青銅製で、仏身4.85m、重さは約8トン、善生寺裏の高台からかっての大久保氏の知行地を見守っています。
その後は、宗印寺、真照寺、金剛寺(高幡不動尊)と回り、満願を迎えました。
そして、この日のクライマックスは、高幡不動でのおみくじです。
高幡不動のおみくじと言えば、凶を引く確率が高いと言われています。
おみくじの行列は土方歳三像から駐車場にまで伸びており、約20分の行程です。
運を天に任せて引いたところ、43番という事から厳しい結果を予測しましたが、結果は「吉」でした。
キーワードとして「信心」「真心」「誠意」という言葉があり、人として大切にすべきものが書かれています。
今まで培って来た市民の皆様や国立市職員との繋がりや新たな人達との出会いを大切にする中で、心を磨いて行きたいと思います。