こんにちは、平成3年に都立府中西高校を卒業した石井伸之です。
本日は午前中に青柳福祉センターでの予約、とある打ち合わせ、午後からは日本会議国立国分支部定例会、都立府中西高校同窓会総会に出席しました。
都立府中西高校は昭和49年1974年、府中市日新町にある現在の場所で開校しました。
ちなみに私は14期生となっており、当時では1学年から3学年まで10クラスの生徒数が大変多い学校だったことを覚えています。
さて、何故今回の同窓会総会に出席したかというと・・・・
市内在住で府中西高校の先輩より「5期生が中心となって、府中西高校同窓会総会を行っているので良かったら来ないか?」との言葉がきっかけです。
14期生の私にとって、5期生の先輩方と言えば雲の上の存在と言っても過言ではありません。
30名ほどの方が出席する中で、5期生から8期生を中心とする方々が同窓会役員を務められています。
総会終了後には、分倍河原駅近くの居酒屋で懇親会に移ります。
年代は違っても、母校の話で盛り上がることは間違いありません。
そして、不思議なことに私が受験した頃、都立高校の受験には学区制度が敷かれておりした。
つまり、区域外の高校受験は出来ません。
ですが、5期生から8期生の先輩方の頃は、学校群制度となっており、立川市の方々も府中西高校を受験することが可能でした。
しかし、1982年から1993年まで東京都立高校全日制普通科(諸島部を除く)を対象に行われたグループ合同選抜入試制度では、学区域外の高校を受験することは出来ません。
国立市は当時第10学区となっております。
第10学区は三鷹市、府中市、調布市、国立市、狛江市、多摩市、稲城市となっており受験可能校は以下の通りです。
101グループの三鷹、神代、調布北、調布南、狛江
102グループの府中、府中西、府中東、国立、永山、稲城、南野高校
そんなこんなで世代間ギャップの話を始め、様々な話題で盛り上がると、あっという間の2時間でした。
本日は午前中に青柳福祉センターでの予約、とある打ち合わせ、午後からは日本会議国立国分支部定例会、都立府中西高校同窓会総会に出席しました。
都立府中西高校は昭和49年1974年、府中市日新町にある現在の場所で開校しました。
ちなみに私は14期生となっており、当時では1学年から3学年まで10クラスの生徒数が大変多い学校だったことを覚えています。
さて、何故今回の同窓会総会に出席したかというと・・・・
市内在住で府中西高校の先輩より「5期生が中心となって、府中西高校同窓会総会を行っているので良かったら来ないか?」との言葉がきっかけです。
14期生の私にとって、5期生の先輩方と言えば雲の上の存在と言っても過言ではありません。
30名ほどの方が出席する中で、5期生から8期生を中心とする方々が同窓会役員を務められています。
総会終了後には、分倍河原駅近くの居酒屋で懇親会に移ります。
年代は違っても、母校の話で盛り上がることは間違いありません。
そして、不思議なことに私が受験した頃、都立高校の受験には学区制度が敷かれておりした。
つまり、区域外の高校受験は出来ません。
ですが、5期生から8期生の先輩方の頃は、学校群制度となっており、立川市の方々も府中西高校を受験することが可能でした。
しかし、1982年から1993年まで東京都立高校全日制普通科(諸島部を除く)を対象に行われたグループ合同選抜入試制度では、学区域外の高校を受験することは出来ません。
国立市は当時第10学区となっております。
第10学区は三鷹市、府中市、調布市、国立市、狛江市、多摩市、稲城市となっており受験可能校は以下の通りです。
101グループの三鷹、神代、調布北、調布南、狛江
102グループの府中、府中西、府中東、国立、永山、稲城、南野高校
そんなこんなで世代間ギャップの話を始め、様々な話題で盛り上がると、あっという間の2時間でした。