石井伸之の国立市議会議員日記 自由民主党会派所属

東京都国立市の若手?市議会議員(6期目)による日記です。国立市議会議員として国立市政の最新情報を伝えて行きます。

4月15日本日は消防団第一分団の新入団員歓迎会と青柳若葉会の三役会がありました

2006年04月15日 | Weblog
 こんにちは石井伸之です。本日は午後6時より消防団第一分団の新入団員歓迎会があったのち青柳会三役会がありました。
 日中は、明日の市政報告会に向けての資料をコピーしたりして、準備をしているとあっという間に夕方になり、新入団員歓迎会の会場に向かいました。午後6時に集合で、新入団員歓迎会がスタートかと思いきや、乾杯の直後に出火報が入り、急遽第一分団の消防小屋に戻り、耐火服に着替えてポンプ車で出動となりました。場所は、国立市中1丁目の街中で、到着してみると煙がでているわけでもなく、原因は風呂場のガスからの煙を見て119番してしまったそうです。まあ、実際の火災ではなく一安心でしたが、できればいきなり119番ではなく、もう少し様子を見ていただければと思うところです。
 その後、歓迎会に戻り、少しした後に午後八時より青柳若葉会の三役会に向かい、来週の22日に行われる役員会に向けての準備をしました。
 明日は、いよいよ私の後援会総会と市政報告会を迎えるわけですが、毎議会で行う一般質問より緊張しており、とにかく平常心で普通に話すことに気をつけたく思います。皆様のご来場を心よりお待ちしております。
 
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4月14日本日は国立駅前で朝の市政報告を行いました

2006年04月14日 | Weblog
 こんにちは石井伸之です。本日は金曜日と言うことで、国立駅南口で朝の市政報告を行い、3月議会の様子やその後の国立駅舎保存について報告しました。
 今朝は、私達の自由民主党新政会以外に共産党や生活者ネットワークの議員も来ており、国立駅南口は選挙前の様相でした。
 帰宅後は、4月16日の市政報告会に向けての原稿や資料集めに資料作りというように、よりよい報告かできるように努力しているところですが、あれもこれもというように、話したい事が多々あり、最重要なものを優先的に準備しているところです。来ていただいた方々に、次回も聞きに来たいと思っていただけるように、内容を充実させるように努力しております。
 いよいよ長女が2歩3歩と僅かではありますが、倒れこみながら歩くようになりました。以前は、すぐにしゃがんでハイハイやシャフリングで進むのですが、この頃は近いところへは、歩いて移動するようになり、例えば、テレビからテーブルまでの移動やパソコン台からテーブルへの移動ができるようになってきました。ほんの一年前は、私のあぐらの中ですやすやと眠っていたのに、今ではあぐらの中には到底納まらない大きさに成長しております。子供の成長がいかに早いものであるか身をもって実感しております。
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4月13日本日は会派代表者会議を傍聴してきました

2006年04月13日 | Weblog
 こんにちは石井伸之です。本日は午前十時より会派代表者会議があり、私達自由民主党新政会からは、幹事長の青木議員が出席し、先日の打ち合わせ通りの発言をしていただきました。
 その中で、国立駅舎保存については、国立市議会としてはJRの責任で、現状のままで保存していただきたいという、公明党からのシンプルな要望を国立市議会としての統一した要望として、JR八王子支社へ提出するとのことです。さらに、議事録からの削除を求められた部分についての開示請求については、個人情報に当たる部分は削除した中で、開示していくこととなりました。
 それとは別に、行政管理課長よりようやく国立市の自主財源の確保ということで、広告収入を求めていくことを本格的に検討することとなり、その中でもインターネットのおける国立市ホームページでのバナー広告を設置し、そこをクリックすることによって、その企業へのホームページへ飛ぶことができるものを考えております。上原市長は、こういった広告収入を求めるように質問をすると、「国立市がその企業を認めたこととなり、中立性公平性をそこなう」というようなことを発言していたこともありました。そもそも広告というものは、企業の自主的な競争力を高めるものですから、中立性や公平性という考え方自体がありえないものです。市長がこのような発言を繰り返していたので、とても実現しないだろうと思っていましたので、この発表は以外でした。何はともあれ、国立市の財政改善のためには様々な方策を一つでも取り上げ、自治体としての自主努力をしていかなければ、市民からの理解は得られません。今後とも、市民の皆様に負担とならない増収策を一つでも二つでも提案していけるように努力していきます。
 
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4月12日本日は体育協会理事会に出席しました

2006年04月12日 | Weblog
 こんにちは石井伸之です。本日は水曜日と言うことで谷保駅で朝の市政報告を行う日でしたが、あいにくの雨と言うことで中止しました。
 日中はたまっている事務の整理を行い、さらに市政報告会の原稿作り、長女の相手等をしていると、すぐに夕方になってしまいます。その後、午後7時より体育協会理事会に日本拳法協会からの代表ということで代わりに出席してきました。
 理事会では、5月5日のファミリーフェスティバルに向けて、各協会への支援をお願いする件がメインでした。この件は、体育協会事業部でも中身についての打ち合わせが行われ、だいたい中身が固まってきており、あとは当日がお天気になることを祈るばかりです。
 長女の写真は、輪っかになっている歯ブラシをガジガジかじっている長女の姿です。私が歯磨きをしていると、洗面所に寄って来て、自分も歯磨きをしたそうにしているので、長女用の歯ブラシを渡すと、チャックっと受け取り噛み始めます。しかし、まともに磨けるわけも無く、私達が磨いてあげるのですが、これでもかってくらいに抵抗されます。手足、頭を2人がかりで押さえつけどうにか歯磨きをするのですが、この世の終わりくらいに泣き叫ばれることもしばしばありますが、ここは心を鬼にしてシャコシャコ歯磨きを行います。早く自分で磨いてくれるようになって欲しいものです。
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4月11日本日は長女がお遊び教室くれよんに行ってきました

2006年04月11日 | Weblog
 こんにちは石井伸之です。本日は家内と長女がお遊び教室くれよんに行ってきました。どのような教室か簡単に説明すると、1歳6ヶ月検診のときに教えていただいたのですが、発達に役立つような遊びがいろいろとあるとのことで、その遊び方を教えていただけるとの事です。長女は最年少参加者でありながら、体格は立派でとても歩けないとは思えないとのことでした。
 私の方は、議会の先輩より今後のことについて打ち合わせを行い、その後三田都議と国立駅舎保存や南武線の今後について、清化園や企業誘致、区画整理や都営泉団地の改善など、多岐にわたって様々なことを話しました。さすがに三田都議は前後の事情に詳しく、市役所では聞けなかったことも教えていただきました。今後とも市政と都政を繋ぐパイプ役として三田都議にはお世話になることと思います。
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4月10日自由民主党新政会で会派の打ち合わせを行いました

2006年04月10日 | Weblog
 こんにちは石井伸之です。本日は午前9時半より、市役所2階にある自由民主党新政会控室にて、4月3日に行われた会派代表者会議で持ち帰り事項となった案件を協議しました。どのような内容かというと、議会での不適切な発言があった際には、議会で一言陳謝した上で、議長が異議がないか議員に諮った上で、削除するのが通例となっています。しかし、今回の会派代表者会議では、その削除部分に対する情報公開を求められたと言うことで、議題に上がりました。もちろん、削除部分を公開すると言うことは、理に合わないことですので公開するべきではないという結論に達しました。
 その後、地域防災課長と国立市の地域防災計画がどのようになっているか聞いたところ、平成9年に阪神淡路大震災を教訓に大改定しましたが、その後は多少の手直しがあった程度で手がかけられていないそうです。そこで、国立市としては平成18年度から平成20年度にかけて新たな地域防災計画の策定をするそうです。その際には是非とも国立市役所において防災士の資格を持った方に策定をお願いしたいところです。確かに講習費としての6万円は大きい費用ですが、受講してみてこれほど防災に関する知識を的確に教えてくれるところはないので、庁内で防災を司る方々には是非取得していただきたく思うところです。
 さらに、庁内で幾つかの疑問点を聞き、それから後援会長と4月16日の市政報告会についての打ち合わせを行い、これからの後援会について話合いました。
 来年の市議会議員選挙に向けていろいろと大変なことがありますが、めげずに努力して行きます。
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4月9日本日は市政報告会に向けての準備をしておりました

2006年04月09日 | Weblog
 こんにちは石井伸之です。本日は来週の日曜日4月16日に予定している市政報告会に向けての準備を行っており、その中で親しい方々へのチラシや葉書の郵送作業や市政報告会で話す内容などを考えていると以外と早く一日が過ぎてしまいます。もちろん、その原因の一端が長女にあることは言うまでもなく、「遊んでくだいさいな」と言わんばかりに擦り寄って来られては、相手をしないわけにはいきません。スポンジの積み木を積んで遊んだり、音の出る本で遊んでいると、30分程度はすぐに過ぎてしまいます。
 そんなこんなで、あまり進みませんでしたが、4月16日は来て頂ける皆様に喜んでいただけるように努力して行きます。
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4月8日防災士の合格通知が届きました

2006年04月08日 | Weblog
 こんにちは石井伸之です。本日は4月2日に受験した防災士の試験結果が届き、無事合格していました。受験すればほとんどの人が合格するものですので、まさか不合格はないと思っておりましたが、これでホッと一安心です。しかし、これからが本番で、この知識を生かして地域防災の減災に務めていけるように努力します。
 そして、本日は午前中に国立南ゴルフセンターへ、久しぶりにゴルフの練習をしてきました。先月21日に消防団の方々とコースに行ったときに、アップライトに打ちすぎていると教えていただいたのですが、恥ずかしながらアップライトという言葉の意味も判らず、頭の中ではてなマークが飛び交っておりました。そこで、本屋にて判り易い雑誌を買ったり、インターネットで調べるうちに、自分の打ち方が根本的に間違っている事がわかり、今日は一から出直す気持ちで、二階に上がりました。午前10時過ぎでしたので、1階は満員でしたが2階は一人しかお客さんが居なかったので、思う存分あらゆる方向に臆面も無く打ち込む事ができました。
 今までは、ほとんど体を前傾せずに打ち込んでいたのですが、様々な本を参考にすると、やはり体をある程度前傾させて、膝をしっかりと折り曲げて、体勢を安定させることが大切であるとあったので、その通り打ち込んでいると、だんだんと打球が安定してきましたが、しかし、そのほとんどがフックがかった打球で以前の悪夢が蘇って来ました。特に、七番アイアンなどの短いアイアンの打球が最初は真っ直ぐに出るのですが、リモコンで操っているかのように、左のサイドネットに突き刺さります。この突き刺さり方も様々な幅があるのですが、ひどいものはまるっきりブーメランで、まだまだ練習が必要です。
 練習から帰ると、家内の両親が日高市より遊びに来ており、最初はまるっきり怯えていましたが、30分もすると徐々に慣れてきて、お得意の「どうじょどうじょ」攻勢をかけていました。
 この頃のマイブームは水色の鞄で、これを首にかけてあらゆるところに移動しており、今も鞄を首からぶら下げながら片手で哺乳瓶をくわえ、食後のミルクをちゅうちゅう飲み干しております。
 ようやく2~3秒ですが、自分で立つことができ歩くのも近そうです。早く歩いてほしい反面、どのようないたずらを繰り広げてくれるか心配なところです。
 それにしても、民主党の新代表が小沢一郎代表となったところで、今後の民主党がアメリカのように二大政党の一つとして成長していけるのか、それとも新生党、新進党、自由党、さらに保守党と分裂した自由党、というように分裂をしてしまうのか、どのような方向に進んでいくのか気になるところです。私達、自民党としてもまともな野党としての民主党が確立されることは、脅威に感じますが、逆に日本の政治がさらなる向上に向かうという利点もありますが、しかし、偽メールに飛びつくようなことは二度とあってはならないと思うところです。私も地方議員の一人として、真偽の明らかでない情報で、憶測を元に発言する事がないように反面教師としていきます。
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4月7日本日は国立市立第二中学校の入学式に出席しました

2006年04月07日 | Weblog
 こんにちは石井伸之です。本日は金曜日ですので、朝の市政報告を行う予定でしたが、国立ニ中の来賓集合時間が午前九時前ですので、市政報告はお休みさせていただき、入学式の方へ向かいました。
 昨日とは違い、曇り空で少々肌寒い陽気でしたが、雨にならず助かりました。新入生は全員で207名を数え、主に二小、四小、六小からの入学が大半を占める状況で、クラス数は6クラスとなっておりました。
 昨日の第三小学校入学式では、来賓として出席していた議員の中で、国歌斉唱の際に起立しない議員がおり、学校指導上大変迷惑だったということを来賓控室で耳にしました。公式の場所で、これ見よがしに自分の主張を通そうとする姿は、到底理解できるものではありません。幾ら議員といえども、学校が決めた慣わしやルールに従うということが大人の判断ではないでしょうか?こういったルールの守れない議員は卒業式入学式への参列を拒否するような方法があれば一番だと思いますが、なかなか難しいようです。
 さて、話を第二中学校の方に戻してみると、こちらの国歌斉唱は問題なく無事に終了し、その後校歌斉唱、新入生点呼、学校長式辞に入ります。校長先生のお話は流石に重みのあるもので、今後3年間で各自進路を決めると言う重大な問題にぶつかりますが、3年間と言う時間は成長していくに十分な時間であり、各自の自主性と向上心を伸ばしていってほしいと言うものでした。この話のときは、少々ざわついていた在校生も真剣に聞いていました。
 中学生としての3年間を大事に過ごしていただきたいと思うと共に、総合的な学習の時間などでは、各自の個性を伸ばすことにも努力していただきたいものです。勉強も大切ですが、一人一人の奥底にある希望という名の原石を見つけ出すことも大事なことであると思います。
 そしてもう一つ、校長先生に保護者の方々よりサッカー部を創設して欲しいということを話したところ、学校としても大変頭の痛い問題で、ただ単に先生に協力を求めるのも少々酷のように思いますので、違う角度で仕組みを変える方向も検討する必要があるように思いました。国立市は学区制を導入しているので、特別な理由が無ければ学区外の学校には入れません。そうすると、中学生になってサッカーをしたいのにサッカー部のない中学に行かなければならないという問題も発生します。この辺りの問題は、今後とも議会で取り組んでまいります。
 その後、午後七時より体育協会事業部の会合があり、5月5日に行われるファミリーフェスティバルの準備について話し合いを行いました。そのなかでも、今回は新規事業として団子の販売も行うこととなっており、その担当を私の方で段取りこととなったので、細かな打ち合わせを行ったのですが、どれだけ売れるかは当日のお天気次第と言うことになりました。どうか、お時間ありましたら楽しい遊びを用意してありますので、ゴールデンウイークのど真ん中ですが遊びに来ていただきたく思います。
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4月6日本日は34歳の誕生日でした

2006年04月06日 | Weblog
 こんにちは石井伸之です。早朝は雲一つない抜けるような青空の中で、第六小学校の入学式が行われ、そちらに市議会議員として参列してきました。新入生は69名で私達の頃に比べると、人数が少なくなり少々寂しい感じもしますが、一クラス35名程度の理想的なクラスとなったそうです。
 入学式は体育館で行われ、我々来賓が入場した後、いよいよ新入生が緊張した面持ちで、元気に入場してきました。入場後、校長先生や教育委員の挨拶、六年生の言葉があり、それから二年生が新入生を歓迎する歌や踊りが披露されました。一年前は、小さな椅子に座っていた一年生だったのに、僅か一年で大変立派に成長しており、子供達の一年が中身の濃いものであり、六小でのしっかりとした教育の賜物であると実感しました。特に、数年前にできたばかりの校歌は大変素晴らしく、校歌のない学校が大変寂しく感じるところです。現在校歌のない第七小学校に少しでも早く、校歌が制定されるように、今後とも議会の場で努力して行きます。そして、校舎の屋上に翻る日の丸が、本日の式典を歓迎しているように見えました。
 長女はというと、保健センターで行われた1歳6ヶ月検診に向かい、約20名の方々と共に様々な検診を受けて来たのですが、その中でまだ歩けないのは、長女だけだったのがショックでした。生まれた頃は、パツンパツンにむくんでいたのが、今ではすっかりスマートになり、82cm10.5kgで普通の体形になっており安心しました。その他、歩くのが遅いくらいで特に問題なく、健やかに育っているそうです。4年後には長女が無事に小学生になれるよう、これからもすくすくと育ってほしいものです。

 
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4月5日本日は谷保駅で朝の市政報告を行いました

2006年04月05日 | Weblog
 こんにちは石井伸之です。本日は水曜日と言うことで、朝の市政報告を石塚議員、松嶋議員と共に谷保駅で実施しました。
 昨日の天気予報によると、早朝の天気は雨と言うことで、微妙な気分で本日の朝を迎えてみると、これまた微妙な曇天ですが、ヤフーの天気予報を確認すると、午前九時頃から雨が降り出すということで、予定通り谷保駅に向かいました。
 市政報告の中では、3月議会の件から始まり、3月30日に判決が確定した、明和マンションの20m以上の解体を要求する裁判では、最高裁判所で棄却され、一安心したことを話しました。
 この頃の長女は、おしゃれに目覚めたようで、鏡を見せると一生懸命髪をいじってかわいいかどうかチェックしているようです。さらに、家内の化粧品をいつの間にか引っ張り出して、ブルガリの香水を手にこぼしてしまい、長女が近づく度に微妙な匂いをさせておりました。
 その後、午後7時半より消防団第一分団の点検日ですので、ポンプ車の点検の後、市内循環を行い、その中で消火栓の点検や公園内にある防火水槽の点検を行いました。いざ火災と言うときに、どこから水利を取るかで作業効率は雲泥の差が出ますので、平時の点検が大切です。防災士の資格取得の為の講習でも言われておりましたが、災害は突然発生し、それまでの準備が全て試されるそうです。今後とも地域防災の役に立てるように今後とも努力して行きます。
 
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4月4日本日は国立市商工会青年部のお花見でした

2006年04月04日 | Weblog
 こんにちは石井伸之です。本日は、市議会通信40号の郵送作業として、チラシの三つ折り、封筒にタックシールを貼り、封筒に糊付けを行い国立谷保郵便局に持ち込みました。
 さらに、市議会だよりに各議員の一般質問を掲載する部分があるのですが、その部分は各議員が原稿を作り、それを基本的にはそのまま掲載しておりますが、14行かける22文字という僅かな行数ですので以外と頭を悩ませます。しかも4月4日本日が提出期限ということもあって、催促の電話まで携帯にかかってしまい、売れっ子漫画家の大変な気分をかすかに理解しました。
 その後、午後7時半より、国立市商工会青年部によるお花見があり、谷保駅ダイヤ街前の汽車ぽっぽ公園で行われました。今晩はそれほど風もなく、寒くも無く、良い気候でしたが、ブルーシートじかに座っていたので、お尻が痛くなってしまいました。ですが、様々なことに話しが弾み、楽しい一時を過ごせました。
 写真は、長女お得意のかたかたで、捕まり立ちをしながら歩き回っておりました。
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4月3日本日は会派代表者会議がありました

2006年04月03日 | Weblog
 こんにちは石井伸之です。本日は月曜日恒例となっている朝の市政報告を矢川駅で石塚議員松嶋議員と共に行い、3月議会が3月28日に終了したのでその点について話してきました。
 その後、午前11時より会派代表者会議がありましたので、そちらの様子を見てきました。私達自由民主党新政会の会派代表者は青木議員ですので、青木議員が出席し、様々な案件について話し合いました。その中で、国立駅舎保存についてどうするかという話があり、大方は保存でまとまっているのですが、その方法について各会派様々な意見があり、このまま議会として意見が集約されていないままにJRと話したところで、議会が一枚岩になっていないのではしかがないということになり、結局は各会派で保存についての意見を出し合い、それを集約して議長がJRに伝えることとなりました。
 写真は、長女と同い年の友達と撮ったものです。一歳半にもなると友達遊ぶことを覚えたようで、おもちゃを「どうじょどうじょ」と渡しておりました。子供の成長には同年代の子による刺激が必要であると言われました。
 
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4月2日本日は防災士講習の三日目でした

2006年04月02日 | Weblog
 こんにちは石井伸之です。本日は防災士講習3日目で、最後に資格試験がありますので、昨日は少々遅くまで勉強していて寝不足気味でした。講習に入っても、寝不足のせいか昼食後の講義では、上のまぶたと下のまぶたが大接近を繰り返し、気合で寝ないようにしておりました。
 午前中の講義では、避難所の設営についてグループ形式で話し合う講座があり、どのように設営するのかまったくの素人ですので、何にも分からなかったのですが、それなりの手順があり、簡単に説明すると入口では受付を設けて、名簿を作成し、居住場所として体育館に入るように指示します。その後、支援物資が届きますが、配布し易いようにこれを体育館のステージに配置し、校庭にはプールの水を使うため、仮設洗濯機をその付近に設営し、仮設トイレは敷地の片隅に配置します。その他様々な支援活動があり、それに応じた対応が必要になります。そして、校舎を使う前に職員室や校長室、電気室などは最初に立ち入り禁止として封鎖しておく必要があります。
 避難所の設営はそんなに難しいことはありませんが、それなりのセオリーを把握しておく必要があります。避難所にたどり着いた直後は「災害ユートピア状態」といって、あれだけの大災害に遭遇しても助かって良かったという幸福な雰囲気に避難所全体が包まれます。しかし、数日もすると人間は勝手なもので、様々な不平不満が噴出してきます。そうならないようにするために、防災士の手腕が求められるとの事です。
 ちなみに、阪神大震災は災害六日後の1月23日が避難者数のピークで、1153箇所に31万6678人が暮らし、二ヵ月後の3月17日でも789箇所に7万7497人が暮らしておりました。その中で笑ったのが、大阪のホームレスまで避難所にもぐりこんで生活していたのという実態が把握されてるそうです。
 こうして3日間の長い講習が終わり、いよいよ最後の試験に入ります。30問のうち7割の21問正解で合格です。過去に落ちた人はほとんどいないそうですが、やはり緊張するものです。問題を見ると確かに3分の2は簡単に解けましたが、3分の1は以外と考えさせられる問題であり、3択と言えども侮れず、クイズダービーの3択の女王に力を借りたくなりました。
 発表は4月7日発送で、合格であれば様々な書類を提出後、晴れて防災士として認定され、今後は社会での活躍を期待される立場になります。
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4月1日本日は防災士講習二日目を受けてきました

2006年04月01日 | Weblog
 こんにちは石井伸之です。本日も昨日に引き続き防災士資格取得のために、講習を受けてきました。本日の講習も、トリビアの泉の「へえ、へえ」があったら何度も叩きたくなるくらいの様々な事を聞くことができ、知っているようで知らないと言う事が分かりました。
 午前中は近年の自然災害に学ぶということで、どうやら近年、自然災害が多発してその規模が大きくなっているのは、地球全体の温暖化にあるのではないかという推測が現実味を帯びてきており、その実例として、今から6500年前の縄文時代は、現代より平均気温が2℃高かったそうです。それが6500年かけて下がったというように自然にまかせると隕石落下とかの特別なケースを除くと、この程度の温度変化なのですが、現代の人為的な化石燃料の使用やフロンガス、メタンガスにより赤外線が宇宙空間に放出しにくい状況では、65年で2℃上昇していくそうです。つまり、地球にとっては初めて経験するするスピードで、温暖化が継続しているので、これからどのような気象の変化がどのようなスピードで我々にもたらされるか想像がつかないということです。ちなみに、現在の予測では、2100年には平均気温が5.6℃上昇し、海水面は最大88cm上昇するそうです。国立市は海抜60m程度ありますので、すぐに影響が分からないかもしれませんが、全国に広がる綺麗な砂浜は相当数が海中に消えると予想され、0メートル地帯は今よりさらに堤防決壊への不安が高まります。
 そして、話は地震の方に移りますが、平成17年7月23日午後4時46分に千葉県北西部を震源とするM6.0の地震があり、足立区で震度5強を観測したときに、エレベーターの停止が6万4千件、そのうち閉じ込められたのは78件あり、その中で、最新の地震があったときには付近の階に止まってドアが開くとうたわれているエレベーターが73件あったそうです。何故そうなったか調べた結果は、大きな揺れをエレベーター自身が、ドアが開いたと勘違いをして停止してしまったそうです。
 次に午後の講義に移り、今度は都市防災と言うことで、話をききましたが、この講師に来ていただいた、目黒公郎(きみろう)先生の話は、テンポ良く様々なことについて大変内容の凝縮された話をしていただき、その全てが完全なるリアリスト(現実主義者)な立場から見た視点で話していただけたので、二コマ2時間が光陰矢のごとしに感じられました。
 さて内容はと言うと、まずはパキスタン地震を例に上げ、その地域は組積造(簡単に言うと、石を積み上げた構造のことです)の建物ですので、大変地震に弱く、揺れを受けると瞬時に崩壊し、逃げる間もなく居住者の上に屋根や壁に使われている石材の下敷きになり、およそ八万人の方が犠牲になりました。そこで、お金も無く資材もないところで、どのような対策を提案したかと言うと、PPバンドというダンボールを梱包する幅15ミリくらいで厚さ0.5ミリくらいのビニールテープを積んである石に巻き付ける事により、十分に逃げる時間を稼ぐ事ができます。
 そして、話は本題に入り、阪神大震災から学ぶこととなるのですが、6434名の犠牲者のうち5時46分の地震発生15分後にそのうちの92%が亡くなっており、いかに自宅の耐震性能が重要であるかわかります。やはり、昭和56年に新耐震基準が建築基準法に適用される以前の建物が危険であるということが分かります。犠牲者の年代別分布を見ると、高齢者が多いのですが、以外と20代前半の若者が、老朽化した下宿先で被害にあうケースも多かったそうです。
 さらに、阪神大震災では地震初期に53件の火災が発生しましたが、倒壊した家屋から救出作業をしている間に、初期消火に手が回らず、火災が大きくなってしまったと言う一面があります。もちろん、倒壊した建物のどこに火種が隠れているかを見つけることは、なかなか難しいといっておりましたが、倒壊した建物は火災が発生し易いと言う一面があります。
 そして、目黒先生は避難所の乾パンの賞味期限を心配するような議員は、単に一票が欲しいだけの議員だから、何も分かっていないことを指摘してほしいと言われました。要は、犠牲者には一票はないが、避難者には一票があるからだと言われており、それよりも本質的な既存不適格建物(新耐震基準基準適用前に建設された建物)を少しでも耐震補強する必要があり、その費用をまずは自助努力として個人がどれだけ出せるか、個人で難しければ、公的機関がどれだけ貸し出す事ができるかが重要であると言っておりました。こういった現実的な対応を取れれば、それだけ倒壊する建物が減少し、それによる火災の減少、焼け出されて仮設住宅を用意する数量も減り、一時的な避難生活ですぐに帰宅でき、それから通常の生活に戻るスピードに格段の差が出ると言われておりました。
 さらに、被災地で被災者にインタビューをするシーンがあり、その中でアナウンサーは被災者に物資が足りてるかといった事を聞いておりますが、そんなことよりもっと重要なのは、今回亡くなった人の声は何だったのか調べる必要があります。死人に口なしということを、あまり良くないイメージで聞きますが、今回の災害を次に生かす為には、犠牲者と会話して死因を調べる事がなければ、犠牲者も浮かばれません。犠牲者の大半が家屋の倒壊であると分かっているのですから、既存不適格建物どうやって震度6に耐えられるように耐震補強するかということに、一番の論点をおくべきであると実感しました。
 各自治体は大震災で一人の犠牲者を出さないように、できることをどれだけ行っているか、ある日突然やってくる大地震によって試される運命にあります。一市議会議員の力でどこまでできるか分かりませんが、一軒でも倒壊する建物を少なくできるように努力して行きます。今日の日記は大変長くなりましたが、最後までお付き合いいただき、誠にありがとうございました。これから、明日の試験に向けて勉強しますので、そろそろ失礼します。写真は長女撮影の私の鞄です。
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