おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
主義主張を異にする人に対しても尊厳を持って扱わないと、当の本人だけでなく、関連する団体の逆鱗に触れる、という話(第1テーマ)と、法相としての責任(第2テーマ)の話をします。
発端は、昨年8月の就任以来計13人の死刑執行を指揮した鳩山邦夫法務大臣を朝日新聞の6月18日付夕刊第1面のコラム「素粒子」で「永世死刑執行人」「またの名、死に神」と書いたことです。
内容は、明らかに名誉毀損に相当します。
この表現に関して、鳩山法相は、記者会見で机を叩いて激怒し、さらには、「全国犯罪被害者の会」(あすの会)が25日に「犯罪被害者や遺族をも侮辱する内容だ」と、朝日新聞社に「抗議および質問」と題する文書を送りました。
文書には、「確定死刑囚の1日も早い死刑執行を待ち望んできた犯罪被害者遺族は、法相と同様に死に神ということになり、死刑を望むことすら悪いことだというメッセージを国民に与えかねない」とあったようです。
ところで私は、第1に、「法務大臣の責任」という観点から死刑執行の指揮について、さらに第2に、最近の法務大臣が法を執行したかどうかについて調べてみました。
明らかになったのは、以下の点です。
1.「死刑の執行は、法務大臣の命令による。前項の命令は、判決確定の日から6箇月以内にこれをしなければならない」(刑事訴訟法475条)
鳩山法相は、6箇月以内の期限よりもゆるい期間での命令を発していたことになります。言い換えれば、以前の法相の積み残しを自らの責任において果たした、ということになります。
2.鳩山法相から順に数代遡って、法相名と在任期間、執行回数、執行数(死刑者数)は、次のようです。
法務大臣 在任期間 執行回数 執行数(死刑者数)
長勢 甚遠 10カ月 3 10
杉浦 正健 10カ月 0 0
南野千恵子 13カ月 1 1
野沢 太三 12カ月 1 2
森山 真弓 28カ月 3 5
2.から判断すると、鳩山法相は、前任者の長勢甚遠前法相よりほんの少し早いピッチで執行命令を下したとしても「永世死刑執行人」や「またの名、死に神」の汚名を着せられるほどのことはないようです。
もう1つは、杉浦正健元法相は、10カ月の在任期間、執行命令を下していない―別の表現では、法相としての責任を回避をしていた―ことが明白です。
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』によれば、第3次小泉改造内閣の法相杉浦正健氏は、就任直後の会見で「私の心や宗教観や哲学の問題として死刑執行書にはサインしない(杉浦氏は弁護士、真宗大谷派を信仰)」と発言したところ各所から批判を浴び、わずか1時間で撤回するという騒動が起きました。
死刑制度の存廃の是非はともかく、執行命令を下す立場にあった法相が、執行命令を下さなかったことは、明らかな責任回避です。
そもそも執行命令を下すことを免れようと意図するならば、法務大臣を引き受けること自体がそもそも無責任、という話になります。
「命の尊厳」を言う人がいます。だとするならば、死刑囚の命の尊厳と同等に死に追いやられた人の命の尊厳、それに関与(報道も含めて)する人たちの尊厳や責任をも考慮しないと、偏った判断に陥りがちになることを、朝日新聞の品格なき「死に神」筆禍問題から学ばせていただきました。
<お目休めコーナー>社会人の息子撮影の海中写真 25
次回が海中写真シリーズの最終回です。
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