旧県立O高等学校・くぬぎヶ丘(通称・おセンチヶ丘)から眺める「城山」だけが変わらない風景で・・・
写真上:通学路だった石段と正面入り口から見える旧校舎
五十数年前、たった3年間通っただけなのに、現在ある自分の原点になった高校生活・・・母校・・・そのすべてを見聞きした校舎は、今は、市民交流センターとなって、一部、活用されている。
母校が他校と合併(多分、生徒数激減が主な理由だと思う)して、廃校になったのは、十年程前だった。
私自身も、会社勤務生活に終止符をうって、故郷に戻ったばかりだった。
まだ引きづっている様々な思いに終止符をすべく、廃校前の一日、最後のクラス会を企画して、母校「おセンチヶ丘」を集合場所とし、許可を頂いて、校舎内に入り、お世話になった教室とお別れをした。
その時、こんなに狭い教室だったかのと、何故か、時の流れを感じ、高校時代が、より一層、遠くに去った気がした記憶がある。
それ以来、この近くに来ても立ち寄る事は無かった。
今年になって、ここが「市民交流センター」として模様替えをし、「書道教室」が移動したのを機会に、1度だけ立ち寄ったが、時間も無かったので、用事だけ済ませて帰ってしまった。
昨日(9日)、「書道教室」に来ている友人らとのランチ約束時間より、少し早めに出向いて、旧校舎の周囲を歩いて見た。
通学時には毎日、正面入り口からは入らず、教室に近い石段を利用していた。
そのコンクリート造りの石段を、今、一歩、一歩踏みしめながら、以前もコンクリートだったかしら?と考えたけれど、もう、記憶の外である。
旧校舎周囲も、随分、変わってしまったと思うが、だからと言って、昔の風景が思い出せない。
そうだ、運動場が校舎から離れたところに有った・・・と、思いだし、その方向に歩いた。
確かに、今も、そこに広場は存在した・・・が、一面に雑草が蔓延っている。
友人との待ち合わせ場所に戻りながら、「もう、母校の実態は存在しないのだ」という「けじめ」を悟る。
ただ、私の人生中、一番前向きであり、輝いていた時(私自身はそう認識しているが・・・)は、脳細胞(心と言うべきかな?)にだけあるというのが、ちょっと寂しい(否、虚しい?)が、これも致し方ない現実だ。
それでも、時の流れというのは素晴らしいもので、輝かしくあっても、悩みも多かっただろう(つまり、悩みは忘れている)その時代が、最も美しい思い出として存在し続ける・・・それで良い・・・と思っている。