goo blog サービス終了のお知らせ 

IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

「言い切れる」のは・・・

2020-04-26 13:35:23 | この頃思う事

暖冬の影響だろうか、今年の新茶の出来は良いというニュースがあり、製茶を営む友人に、早速、予約する。
我が家で「茶摘み」をしなくなったのは何時からだったろうか、子供の頃、朝から家族総出で、一芽一芽、摘み取る作業が、とても苦痛だったが・・・それでも、今、一斉に芽吹いた新芽を見ると、何故か「茶摘み風景」を懐かしく思い出される。

 


 

ほゞ毎日、日本国内ニュースと海外メディアのニュースを見る。
疲れるから、かなりイイ加減に聞き流しているが、その中で、ちょい気になった一件があった。

海外でも日本でも、コロナ危機に対処しようと、一般のボランティアとか異業種会社などが、行動を起こしているニュースが、最近、多く報道されているが、彼らの発言が、海外と日本では微妙に違いがみられることに、気が付いた。

海外では「私たちのしている事は、役に立っている」と断定的表現し、日本では「これが役に立って貰えるかもと・・・」というやんわり表現(海外の発言は、字幕にしろ同時通訳にしろ、あくまでも、日本語に訳されたもので、元語は不明)の違いを聞いて、「言い切ってしまう人」と、「言い切れない人」の差は、どこから来るのだろうか・・・と、考えた。
まぁ、一般的に解釈すれば、「日本人は奥ゆかしいから自分を主張しないのだ」とするのが、一番、当たり障りのない結論なのだろうが、「果たして、そうなのか?」という疑問が起きたという訳である。

以前、例えば自動車事故に遭ってしまった時、日本人は、己に非が無いと思っても、まず、「スミマセン」と謝ってしまうが(謝るというより自然発生的に)、それは自分の非を認めた事になる、海外では、自分に非があっても、絶対、誤らない・・・と諭された事があった。
「言い切る」事で、駆け引き的に優位に立つ・・・確固たる意志の現われ?


私ならどう表現するか・・・と考えた。

先日、「お手製マスク」を作って、その内の数枚を、「これが万全という事は無いにしろ、マスク無しより気分的に安心感があるでしょから」と言って妹に渡したが、やはり「これが役に立つ」と言い切れなかったな・・・と、認めざるを得ない。
つまり、本当に役に立つものを作れない自分に自信が持てないし、その言い訳めいたものを潜んだ表現だったのだろう。
私のマスク程度では「言い切る」事は無責任極まりない話だが、異業種と言えど、ある種プロ集団なのだから、せめて、「コロナ危機対処の一環になるものと確信している」位には表現しても良いのでは、もう少し、彼らが自信を込めて発信してくれたら、ある種、頼もしさも湧いて来るのに・・・と、そう思えた一件であった。

世界中での一斉的騒動(災害?)に、ホント、「世界はイロイロだなぁ」と、改めて思わせられる。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする