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IZUNOHANA’s blog

     後期高齢驀進中者の戯言

言葉の重さ・・・とりあえずの纏め?

2018-09-06 11:49:06 | この頃思う事

台風一過の青空(9月5日AM11:48)は、天高く、透明で、泰然として・・・振り回されてる人間が切ない気がしてくるなぁ。



 

7月下旬に「夏休み」に突入した頃、(耳に入って来る)言葉に、少しノイローゼ気味になっていたように思う。

TV(殆どはニュース)から流れてくる言葉がやけに耳に付いて冷静に聴いていられず、いちいち反応する私・・・一国を代表すべき人物が、蔑視的・脅迫的な文言を吐いてイイの!とか、嘘にまみれてると明らかなのに、平然として事実無根と言い張る姿は、人も世の中もおかしいよ!と、叫びたくなる(いや、叫んではいないがブツクサ言っている)。
なんてバカバカしくて空虚なんだ・・・で、最後には、口数の多さが五月蠅くなって聴いていられなくなり、音量を落とす(無音)か、チャンネルを切り替てしまう。
本来の私(何が本来の私かは不確かながら、少なくとも、TVに向かって言葉は発しなかった)は、もっと冷静な筈・・・だと、自分に言い聞かしたりしていた。

他人(ひと)との会話でも、カチ~ンと心臓を殴られるような感覚の言葉に遭遇すると立ち直れない事が多くなった(否、ただ、相手の言葉に耐性の無い自分が見えるのだ)が、一番、恐ろしいのは自分自身が、他人(ひと)を批判しているのに、己の発する言葉の無神経さに気づいて愕然とした・・・要は、私の問題だったのだ。
外出もTVも控え、しばらく、静かに内面を見つめてみようと思ったのが、「夏休みを取る」キッカケだった。
で、日頃、あまり読まない新聞を、じっくり見る時間(そんな時間があっても読まない)が出来ると、やはり、言葉に関した記事が目に付いたという訳だ。

文章を書く事で「言葉ノイローゼ」を少しでも解消できるかと考え、内容を消化出来ないまゝ、数回、掲載したけれど、まだ、拒絶感はある(意味を考えてしまう日本語を聞き続けるのがツライ)。
世の中に、あまりにも言葉が氾濫し過ぎて、私の脳細胞の収容能力を超えてしまい、要不要の選択拒否しているといったところなのだろう、ともかく「ヤカマシイ」と感じる。


    ←閑話休題:唯一咲いた我が家のユリ(拡大可能)

 

ともかく、一応、纏めて結論を出しておかないと、またまた、「冬休み」を取る羽目になりそうなので、今、ミュージック・アソート(自造語:種々雑多の音楽という事・・・これも不要の言葉か?)を聞きながら、無い知識を振り絞って結論になりそうな言葉を探しているが・・・どうにも纏まらない。

ただ、一つだけ言えるのは、「人には優劣はない。老いて行くこの先も、我が身の丈の言葉で語らって行く」という事である。
お粗末な結論で恥ずかしながら・・・だが、それが、結構、難しいのよねぇ、ホント

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言葉の重さ・・・其の三

2018-09-02 10:12:35 | この頃思う事

雨に濡れる「秋海棠」 この花を見ると、秋が来たなぁ・・・と思う

 


 

同年代の友人とは、もう、50年近く付き合っているから、お互いに癖も性格も、ある程度は分かっていて、この人はこういう人なんだ・・・と、納得済みで付き合いを続けているが、気楽さ故に、時にはイラっとすることに出会う。

 

先日、4cmくらいのムカデに足のふくらはぎを刺されて(噛みつかれて?)、それでなくとも太い私の足が、2倍(でも無かったかな?)にも腫れあがってしまっていた。

その足を見た友人は、「すごい立派な足だねぇ」と言うのだ。
そういう言葉の使い方は友人の癖(私は、語彙が少ない上に使うべきところの区別を知らないのだと判断している)だから、「誰にも支えられず、70年も一人で歩いて来るのには、このくらいの足が必要なのよ」と、冗談気味に軽くイナシた。

で、次の日、また「立派な足だ」を繰り返したから、そのしつこさにカチンと来た私は、「あなたねぇ、女性に対して「立派な足」と言うのは誉め言葉じゃないよ。私が何を言われても堪えないと思っているかもしれないけれど、自分ではどうにも出来ない外見を話題にされるのは私だって傷つく。チビでイカツクてイログロの私だけでなく、見かけは綺麗だと思える女性であっても、眉目秀麗・容姿端麗で在りたいと願うもので、でも、遺伝子の為せる業はどうにも出来ないでしょ?そのコンプレックスを抑えて、他に変わるものでその穴を補っているんだから・・・私は、トッテオキの頭脳明晰でカバーしてるけれどね(ズシ~ン!と嫌味を込めて)」と、意見した。
「いや、ムカデに刺された足が膨らんでいるという意味よ」と言い訳するので、「ならば、そう言いなさいよね、言葉は自分が思っていると同じように、受ける人もそうだと思うのは大いなる間違いで、子供の頃受けた言葉の傷を、言った本人はとうに忘れているだろうが、60年も癒されずにいる人だって知っている。外見を話す言葉は自分と違う解釈をされがちだから避ける事ね」と、かなり厳重注意した。
「え~っ、60年も・・・」と答えていたが、友人のこの反応は、60年とは大袈裟に言ってるな・・・と思っているフシもあるわな。


この忠告が、友人に即効果が出るかどうかは不確かだが、多少は心にヒッカッてくれたら・・・ぐらいの効果はあって欲しい、何故ならば、忠告した私も、あまりいい気分では無いものね。
ま、人様はどう思うか知らないが、私は、こんな友人をバッサリと見放すつもりもないし、50年近くも続くには、私にとっても必要な何かの縁があるのだろう(そうそう、母と諍いでプチ家出をした時、友人宅にお世話になっていた)。
偶々、新聞の広告欄に「大人の語彙力」手帳というのが掲載されているのを見て、この本を友人に贈呈しようかと思ったが、そこまですると私の方が大人げない所業に思えてきて、敢えて(ホントは送りつけたい気持ちをグッと抑えて・・・ね)断念する。

コメント (8)
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