←(拡大可能)今年は、「木槿」の花の咲いている期間が長いように感じるが・・・
同級生の友人と、お茶をしながら話をした。
友人は、毎度、愚痴ともノロケともつかないご主人の話をするが、別に、私に解決策を求めている訳ではないから、「ふ~ん、そうなの」と聞き流して、で、私は、こう言った。
「この頃ねぇ・・・年金を受け取り、次の年金受給日まで細々なのに使い切ってしまうから何も残らず、でもまた年金を受け取って、またまた同じ事を繰り返すだけで、こんなでも生きている意義ってあるのかなぁ・・・って、思うのよね」
友人は、「まだ何かをしたいって事?」と問うから、「いや、したい事が有る訳じゃないけれど、ただただ(貴重な?)税金を無駄に消費しているだけの人生だなぁ・・・て、感じる訳でね」と答えた。
それでも、「でもね、ひと月程、「何もしないで居よう生活」をした結果、屋敷中に、畑にも、雑草が生い茂っていくのに、我が家の住民は何もしない。やっぱり、私がしなければ・・・という現実が見えた訳で、これが生きて行く意義かな・・・ってね、そう思ったのよ」と、付け加えたのだった。
そんな事で、我が家の「雑草取り及び周辺掃除」を、日々、続行する。
まず、畑に出向いて、我が担当区域の雑草取り(丈50cmはあった)から始めて、次に、水仙が多分今年も芽を出すだろう花畑の草取り、玄関前の小さな花壇の秋への準備、屋敷周辺の土手(矩部分)の雑草を鎌で刈り払い、家に覆いかぶさる竹(他所様の)を、数本(結構太くて長くて重いのだ)切り倒し、その後、我が家の屋根に上って(年甲斐もないと言われたが)、屋根と樋に溜まっている落ち葉(主に笹の葉と竹の花柄?)を取り除き、屋敷へのエントランス(と言う事にしている)付近の草を取り、庭木の枝払い及び植え替え等で、とりあえずの一連作業の終わりとした(最初に手を付けたところには、既に、草が伸びて来ている)。
後は、畑に耕運機を入れる事を残しているが、このところ、雨ばかりで、もう少し、晴れ間が続いたら行う予定にしている。
この間、約ひと月、「生きる意義」を、積極的に実践したけれど、雑草も落ち葉も絶え間なく続くのだから・・・これまた、繰り返しの生活だなって思う訳でして・・・
私的には、「生きる意義」は「繰り返す事」にあり!・・・と結論を下したが、何としても「意義ある人生」は、疲れるんだなぁ、ホント