台風一過の青空(9月5日AM11:48)は、天高く、透明で、泰然として・・・振り回されてる人間が切ない気がしてくるなぁ。
7月下旬に「夏休み」に突入した頃、(耳に入って来る)言葉に、少しノイローゼ気味になっていたように思う。
TV(殆どはニュース)から流れてくる言葉がやけに耳に付いて冷静に聴いていられず、いちいち反応する私・・・一国を代表すべき人物が、蔑視的・脅迫的な文言を吐いてイイの!とか、嘘にまみれてると明らかなのに、平然として事実無根と言い張る姿は、人も世の中もおかしいよ!と、叫びたくなる(いや、叫んではいないがブツクサ言っている)。
なんてバカバカしくて空虚なんだ・・・で、最後には、口数の多さが五月蠅くなって聴いていられなくなり、音量を落とす(無音)か、チャンネルを切り替てしまう。
本来の私(何が本来の私かは不確かながら、少なくとも、TVに向かって言葉は発しなかった)は、もっと冷静な筈・・・だと、自分に言い聞かしたりしていた。
他人(ひと)との会話でも、カチ~ンと心臓を殴られるような感覚の言葉に遭遇すると立ち直れない事が多くなった(否、ただ、相手の言葉に耐性の無い自分が見えるのだ)が、一番、恐ろしいのは自分自身が、他人(ひと)を批判しているのに、己の発する言葉の無神経さに気づいて愕然とした・・・要は、私の問題だったのだ。
外出もTVも控え、しばらく、静かに内面を見つめてみようと思ったのが、「夏休みを取る」キッカケだった。
で、日頃、あまり読まない新聞を、じっくり見る時間(そんな時間があっても読まない)が出来ると、やはり、言葉に関した記事が目に付いたという訳だ。
文章を書く事で「言葉ノイローゼ」を少しでも解消できるかと考え、内容を消化出来ないまゝ、数回、掲載したけれど、まだ、拒絶感はある(意味を考えてしまう日本語を聞き続けるのがツライ)。
世の中に、あまりにも言葉が氾濫し過ぎて、私の脳細胞の収容能力を超えてしまい、要不要の選択拒否しているといったところなのだろう、ともかく「ヤカマシイ」と感じる。
ともかく、一応、纏めて結論を出しておかないと、またまた、「冬休み」を取る羽目になりそうなので、今、ミュージック・アソート(自造語:種々雑多の音楽という事・・・これも不要の言葉か?)を聞きながら、無い知識を振り絞って結論になりそうな言葉を探しているが・・・どうにも纏まらない。
ただ、一つだけ言えるのは、「人には優劣はない。老いて行くこの先も、我が身の丈の言葉で語らって行く」という事である。
お粗末な結論で恥ずかしながら・・・だが、それが、結構、難しいのよねぇ、ホント