○保阪正康『戦後政治家暴言録』(中公新書ラクレ)中央公論新社 2005.4
題名どおり、終戦直後から現在の小泉政権に至るまで、目立った政治家の暴言を取り上げて論じたもの。
すでに歴史的に定着してしまった「暴言」について、あらためて正確な経緯とともに読んでみると興味深い。たとえば、私は吉田茂の「バカヤロー解散」を、小学生の頃、マンガ版『日本の歴史』(正確な書名は失念)で読んで覚えた。事態を単純化したマンガの中で、ワンマン宰相、吉田茂は壇上から大きな声で「バカヤロー」と怒鳴り、即座に野党議員は「解散だ!」と騒ぎ立っていた。
しかし、実際には吉田の発言は着席したままのひとりごとのようなもので、しかも聞きとがめられてすぐ「私の発言は不穏当でありましたから、はっきり取消します」と陳謝している。このとき、吉田茂は75歳。若い社会党議員から「君」呼ばわりされたことに立腹したのではないか、という著者の指摘には、膝を打ってうなづけるものがある。
また池田勇人の「貧乏人は麦を食え」という名(?)キャッチフレーズも、実際はもっと穏当で常識的な発言だったものを、反対派勢力と新聞記者が、巧妙にすりかえて作り上げたものであることが分かった。
「暴言」の戦後年表を眺めていると、2つの感想が同時に浮かんでくる。ひとつは、政治家の暴言というのは、実に絶え間なく繰り返されてきたんだなあ、という感慨である。特に日本の戦争責任を曖昧にし、戦前の国家体制を肯定したいとする発言は、こんなにあったか、と、あらためて驚いてしまった。
自分が殴ったことは忘れても、殴られたことは、なかなか忘れられないのが人間というものだ。多くの日本人は、村山首相の「謝罪」談話は覚えていても、これら政治家の暴言は「またか」で聞き流して忘れているから、「日本はきちんと謝罪したじゃないか」と思ってしまうが、近隣諸国からすれば、村山談話は忘れても、これら戦後の暴言のひとつひとつが忘れられていないのではないか、と思った。
いまひとつ、日本の政治家の暴言の「質」は、21世紀に入った頃から、ガタガタに落ちているような気がする。その原因は、著者も指摘するとおり、政治家がテレビに大々的に露出するようになったことだ。テレビメディアは(視聴者も制作者も)感覚的な発言を歓迎する。その結果、その場限りの激情的な発言、ふまじめで軽い発言、知性のかけらもない発言がどんどん増え、我々はそれを「暴言」と意識することさえ忘れかけている。
程度の低い政治家を野放しにしているのは、国民の責任である。とんでもないツケがまわってこないよう、最低限のチェックは怠らずにいたいと思う。
題名どおり、終戦直後から現在の小泉政権に至るまで、目立った政治家の暴言を取り上げて論じたもの。
すでに歴史的に定着してしまった「暴言」について、あらためて正確な経緯とともに読んでみると興味深い。たとえば、私は吉田茂の「バカヤロー解散」を、小学生の頃、マンガ版『日本の歴史』(正確な書名は失念)で読んで覚えた。事態を単純化したマンガの中で、ワンマン宰相、吉田茂は壇上から大きな声で「バカヤロー」と怒鳴り、即座に野党議員は「解散だ!」と騒ぎ立っていた。
しかし、実際には吉田の発言は着席したままのひとりごとのようなもので、しかも聞きとがめられてすぐ「私の発言は不穏当でありましたから、はっきり取消します」と陳謝している。このとき、吉田茂は75歳。若い社会党議員から「君」呼ばわりされたことに立腹したのではないか、という著者の指摘には、膝を打ってうなづけるものがある。
また池田勇人の「貧乏人は麦を食え」という名(?)キャッチフレーズも、実際はもっと穏当で常識的な発言だったものを、反対派勢力と新聞記者が、巧妙にすりかえて作り上げたものであることが分かった。
「暴言」の戦後年表を眺めていると、2つの感想が同時に浮かんでくる。ひとつは、政治家の暴言というのは、実に絶え間なく繰り返されてきたんだなあ、という感慨である。特に日本の戦争責任を曖昧にし、戦前の国家体制を肯定したいとする発言は、こんなにあったか、と、あらためて驚いてしまった。
自分が殴ったことは忘れても、殴られたことは、なかなか忘れられないのが人間というものだ。多くの日本人は、村山首相の「謝罪」談話は覚えていても、これら政治家の暴言は「またか」で聞き流して忘れているから、「日本はきちんと謝罪したじゃないか」と思ってしまうが、近隣諸国からすれば、村山談話は忘れても、これら戦後の暴言のひとつひとつが忘れられていないのではないか、と思った。
いまひとつ、日本の政治家の暴言の「質」は、21世紀に入った頃から、ガタガタに落ちているような気がする。その原因は、著者も指摘するとおり、政治家がテレビに大々的に露出するようになったことだ。テレビメディアは(視聴者も制作者も)感覚的な発言を歓迎する。その結果、その場限りの激情的な発言、ふまじめで軽い発言、知性のかけらもない発言がどんどん増え、我々はそれを「暴言」と意識することさえ忘れかけている。
程度の低い政治家を野放しにしているのは、国民の責任である。とんでもないツケがまわってこないよう、最低限のチェックは怠らずにいたいと思う。