見もの・読みもの日記

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関西・秋の文化財めぐり(4):応挙と蘆雪

2006-11-01 22:36:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
○奈良県立美術館 特別展『応挙と蘆雪-天才と奇才の師弟-』

http://www.mahoroba.ne.jp/~museum/okyo/okyo/index.html

 今回の関西旅行の目的は、何をおいてもこの展覧会だった。長沢蘆雪は、いま、個人的にイチ押しの画家である。この夏は、和歌山の無量寺まで、蘆雪の「虎」に会いに行ってしまったくらい。(コメントでこの展覧会を教えてくれたアイレさん、ありがとう!)

 その『虎図』にも再会することができて嬉しかったが、無量寺からは、蘆雪の『唐子遊図』も来ていた。手習いをするはずが、筆を持って遊び呆ける子どもたちを描いた、楽しい作品である。いちばん左端では、数人の子どもが、小さくなって、画面の奥へ駆け去っていく。展覧会図録の解説によれば、宮島新一氏は「蘆雪の唐子の中に必ず背を向けて走り去る子供が描かれているのは、亡き子の面影を描きとどめようとする蘆雪の心のあらわれではないだろうか」と述べているそうだ。この、ときどき現れる、すねたような哀愁が、「奇才の画家」蘆雪の魅力の一面だと思う。

 今回の展覧会は、展示作品もいいが、図録が非常に読みごたえがある。蘆雪は、人の意表をつき、人を楽しませることを自らの喜びとした画家で、一寸四方に五百羅漢を描いた作品や「蚤一匹を全紙に大写し」した作品もあったらしい。前者は、伊藤若冲の作品に触発されたものらしく、若冲と蘆雪は、確証はないが、互いに親しみを感じていた可能性はあるという。うん! あるだろうなあ。

 作品で気にいったものを挙げておくと、琳派みたいな枝ぶりの立梅を水墨で描いた『白梅図』。梅の枝が、挑みかかる龍のように、妖しくカッコいい。『月夜山水図』好きだなー。『赤壁図』も。どちらも、岩山にへばりついた木々のシルエットが、魔の山にうごめく小さな魔物たちのように見えるのだ。

 それから、応挙について語ろう。2004年、江戸博の『円山応挙展』を見に行った。手堅い絵を描く人だとは思ったけど、あまり好きにはならなかった。展覧会図録の冒頭で、宮島新一氏が「応挙の作品の前では居住まいを正さなくてはならないところがある」と述べているのには、うなずける。

 しかし、本当は応挙は天才的で魅力的な画家である。そう思ったのは、根津美術館の『藤花図』を見たときだ。温厚篤実で、実生活では、あまり変わったエピソードもない(らしい)応挙であるが、画家としては、積極果敢に新しい技法、新しい表現を試みている(この点、むしろ蘆雪のほうが守旧的なのだ)。

 本展でも、私は蘆雪を見に行ったつもりで、けっこう応挙の作品に魅了されてしまった。たとえば、『鍾馗図』や『琴高仙人図』の、空想とは思えない、写実的で個性的な面貌表現。『七難七福図』の冷徹なリアルさ(水難図では、激流の水面下にただよう、生命を失った人体)。草堂寺の『雪梅図』は、雪もよいの空を背景に、手前の枝に置いた雪は白く、奥まった枝は闇に沈み、墨の濃淡ひとつで、深い奥行きが表現されている。圧巻は『雨中山水図』と『雪中山水図』の2幅対。大胆な余白と、ペン画のように繊細な山水表現が同居している。応挙の絵には、確かに「居住まいを正さなくてはならないところ」があるが、決して退屈な画家ではないと思う。

 最後になるが、展示図録の解説によれば、蘆雪が応挙に三度破門されたというのは伝説らしい。話としては、面白いけどね。

 この展覧会は、前期後期で、大幅な展示替えがある模様。また行ってみたい。
コメント (1)
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