○出光美術館 書の名筆III 『書のデザイン』
http://www.idemitsu.co.jp/museum/index.html
2002年の『高野切と蘭亭序』、2005年の『平安の仮名、鎌倉の仮名』に続く、「書の名筆」シリーズだそうだ。私は、2002年当時はまだ書に興味がなくて、第1弾は見逃している。第2弾の『平安の仮名、鎌倉の仮名』は、私が、本格的に書の魅力に目覚めるきっかけとなったものだ。
さて、第3弾。古美術の展覧会にはいろいろ行っているが、「書」には馴染みが浅いので、なんとなく敷居の高さを感じて緊張する。だが、今回は、そんな緊張を無にしてくれるような、楽しい展覧会だった。
最初のセクションは「書はデザイン?!」と題し、さまざまな字体のバリエーションを持つ、中国古代の石碑の拓本を並べ、よく似た印刷活字体を取り合わせる。たとえば後漢時代の「礼器碑」は隷書体、褚遂良の「雁塔聖教序」は楷書体。教科書体やゴチック体もあって、なるほど!と微笑ませる。
さらに楽しいのは「動中の工夫」と題して、白隠、雪村など禅僧たちの、創意と遊び心に満ちた書を並べたところ。順に眺めていくと、自然と、近現代書家の作品に導かれる。青木香流の「ゆき」(昭和47年)は草野心平の詩(しんしんしんしん ゆきふりつもる)を大きな画面いっぱいに描いたもの。白い紙の上で蛇行する墨字の列が、風に舞う粉雪のように見える。
向かい側には、本阿弥光悦の「新古今和歌集散書屏風」。無地の屏風に数首の和歌を書いたものだが、「散らし書き」というほどの派手な動きはない。文字の大小も均一で、ポツポツと縦に連なるばかりなので、雨の染みが浮き出たようだ。そのぶっきらぼうな感じが、時代を超越した新しさを感じさせる。隣は森田安次の「風の又三郎」(昭和24年)。「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ」という詩を書いたもの。これもいい。光悦の屏風と昭和の書が、実に気持ちよく調和しているので、眺めていると芯からうれしくなってくる。
古筆のセクションは、「継色紙」「升色紙」など名品揃い。しかし、いちばん印象に残ったのは、五島美術館蔵の「戸隠切」。初見だと思う。薄墨色の料紙に経文を書いたものだが、写経に多い、カッチリした字体ではなく、妙に字間を空けて、癖のある神経質な文字が並んでいる。信仰の深さよりも、永遠の不安と煩悶が滲み出ているように思えた。
「葦手」(絵の中に文字を隠す遊び)の例として、白描絵巻の名品「隆房卿艶詞絵巻」が見られたのは、思わぬ幸運だった。描線の優しいこと! 描かれた女性の(男性も)美しいこと~!! 野村コレクションの小袖屏風も面白かった。以上は、国立歴史民族博物館蔵。
最後に、微笑ましかったのは「謡本『遊屋』題簽」という展示品。大きな単独ケースを覗くと、紫の袱紗の上に、白無地(よく見ると雲母ひき)の薄い本が1冊置かれている。正確には、展示品はその本の表紙に貼られた題簽なのだ。下絵は宗達、文字は光悦という。明るい緑の地に濃緑で葦の葉を描き、金粉を散らしたもの。わずか2文字の題字も、味があっていい。小さいけれど(12.1cm×3.2cm)実に美しい作品である。
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2002年の『高野切と蘭亭序』、2005年の『平安の仮名、鎌倉の仮名』に続く、「書の名筆」シリーズだそうだ。私は、2002年当時はまだ書に興味がなくて、第1弾は見逃している。第2弾の『平安の仮名、鎌倉の仮名』は、私が、本格的に書の魅力に目覚めるきっかけとなったものだ。
さて、第3弾。古美術の展覧会にはいろいろ行っているが、「書」には馴染みが浅いので、なんとなく敷居の高さを感じて緊張する。だが、今回は、そんな緊張を無にしてくれるような、楽しい展覧会だった。
最初のセクションは「書はデザイン?!」と題し、さまざまな字体のバリエーションを持つ、中国古代の石碑の拓本を並べ、よく似た印刷活字体を取り合わせる。たとえば後漢時代の「礼器碑」は隷書体、褚遂良の「雁塔聖教序」は楷書体。教科書体やゴチック体もあって、なるほど!と微笑ませる。
さらに楽しいのは「動中の工夫」と題して、白隠、雪村など禅僧たちの、創意と遊び心に満ちた書を並べたところ。順に眺めていくと、自然と、近現代書家の作品に導かれる。青木香流の「ゆき」(昭和47年)は草野心平の詩(しんしんしんしん ゆきふりつもる)を大きな画面いっぱいに描いたもの。白い紙の上で蛇行する墨字の列が、風に舞う粉雪のように見える。
向かい側には、本阿弥光悦の「新古今和歌集散書屏風」。無地の屏風に数首の和歌を書いたものだが、「散らし書き」というほどの派手な動きはない。文字の大小も均一で、ポツポツと縦に連なるばかりなので、雨の染みが浮き出たようだ。そのぶっきらぼうな感じが、時代を超越した新しさを感じさせる。隣は森田安次の「風の又三郎」(昭和24年)。「どっどど どどうど どどうど どどう 青いくるみも吹きとばせ すっぱいかりんも吹きとばせ」という詩を書いたもの。これもいい。光悦の屏風と昭和の書が、実に気持ちよく調和しているので、眺めていると芯からうれしくなってくる。
古筆のセクションは、「継色紙」「升色紙」など名品揃い。しかし、いちばん印象に残ったのは、五島美術館蔵の「戸隠切」。初見だと思う。薄墨色の料紙に経文を書いたものだが、写経に多い、カッチリした字体ではなく、妙に字間を空けて、癖のある神経質な文字が並んでいる。信仰の深さよりも、永遠の不安と煩悶が滲み出ているように思えた。
「葦手」(絵の中に文字を隠す遊び)の例として、白描絵巻の名品「隆房卿艶詞絵巻」が見られたのは、思わぬ幸運だった。描線の優しいこと! 描かれた女性の(男性も)美しいこと~!! 野村コレクションの小袖屏風も面白かった。以上は、国立歴史民族博物館蔵。
最後に、微笑ましかったのは「謡本『遊屋』題簽」という展示品。大きな単独ケースを覗くと、紫の袱紗の上に、白無地(よく見ると雲母ひき)の薄い本が1冊置かれている。正確には、展示品はその本の表紙に貼られた題簽なのだ。下絵は宗達、文字は光悦という。明るい緑の地に濃緑で葦の葉を描き、金粉を散らしたもの。わずか2文字の題字も、味があっていい。小さいけれど(12.1cm×3.2cm)実に美しい作品である。