見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2回目は福岡で/京都妙心寺(九州国立博物館)

2010-03-06 00:42:22 | 行ったもの(美術館・見仏)
九州国立博物館 特別展『京都妙心寺 禅の至宝と九州・琉球』(2010年1月1日~2月28日)

 昨春、東京国立博物館で見た『妙心寺』展の九州バージョン。「禅の至宝と九州・琉球」という副題に、東京・京都とは、ちょっと違うという意気込みが感じて、また見に行ってみることにした。

 冒頭に展示されていたのは、関山慧玄(かんざんえげん)の墓所に掛けられた瑠璃天蓋。ガラス玉を編みあげた美麗な装飾品だ。なるほど、九博はこう来たか…。会場違いの展覧会を複数回見てみると、趣向の違いが気になってしまう。花園法皇の坐像に相対して、はるばる九州までようこそ、と胸の内でねぎらう。実際に九州の地に足を運んだことのある天皇って、古代と近代を除いて、どのくらいいるんだろう? 東京展でも印象的だった関山慧玄像は、純白の展示台に載せられ、フットライトに照らされて、スターの趣き。九博は場内が暗いので、展示物がぐんと引き立って見える。このひとは禅僧だし、生前、九州に来たことがあるのかな?と思ったが、調べてみたら確証はないらしい。「自らの意志で伝記の手掛かりとなるものは遺さなかった」という不思議な人だ。

 面白かったのは、京都・妙心寺の鐘と九州・観世音寺の鐘の比較展示。両者は、形も大きさも文様もそっくりで、古来有名な「兄弟鐘」なのだそうだ(うーん、誰が最初に気づいたんだろう?!)。妙心寺の鐘は、徒然草に「黄鐘調(おうしきちょう)→イ短調に相当」と評され、記年銘から文武天皇2年(698)に九州北部で作られたものと知られる。観世音寺の鐘も同じ工房で鋳造されたと考えられている。1月13日には、実際に2つの鐘をついてみるイベントが行われ(→西日本新聞2010/1/14)、その音色を音響工学的に分析した解説パネルも展示されていた(協力:九州大学芸術工学研究院)。おもしろい! 音の波形はよく似ているが、妙心寺の鐘のほうが、やや高いという結果が出たそうだ。

 東京展のダイジェスト的な第1部が終わると、第2部は「妙心寺と九州・琉球」。九州・沖縄各地から、(関東人には)めずらしい寺宝の数々が出品されていて、非常に興奮した。へえ、福岡の聖福寺に後鳥羽院筆の勅額があるのかあ。宮崎・大光寺の、いわゆる渡海文殊菩薩像は慶派仏師の康俊・湛秀作。おお、これは昨年、佐賀県立美術館の『運慶流』展で見たものだと思い、自分のブログ検索で確認する。前回は白い肌の善財童子に着目しているが、今回は、思いきり脱力した最勝老人が気に入ってしまった。獅子のしっぽの跳ね上がり方、手綱を引く優填王には、海に挑む気力の高ぶりがよく出ているのに。

 京都山科・地蔵寺旧蔵の足利尊氏坐像(木像)が、現在は国東の安国寺に伝わっていたり、福岡・聖福寺に伝来した快川紹喜像(画)が、京都・隣華院の什宝になっているのも興味深かった。仏像と違って、高僧や俗人の肖像は、けっこう広範囲に移動するんだなあ。

 「禅僧たちの九州」のセクションでは、キリスト教排撃の説法を行った禅僧、中国から最新の知識を携えて来朝した禅僧、妙心寺派(臨済宗)でありながら黄檗宗を支援した禅僧などの存在を知り、九州が、海外文化の流入と衝突の窓口であったことを実感する。新しい文化は、まず九州に伝わり、それから都に伝播していったのだ。同じ僻遠の地でも、東国から見る京都と、九州からみる京都は、ずいぶん違っていただろうなあ、と考える。

 妙心寺派の勢力は、遠く琉球(沖縄)にも及んだ。私にとって未踏の地・沖縄の博物館や寺院から出品された仏像の数々に感激。さきの戦争による破壊をくぐり抜けた諸像である。さらに、八重山・桃林寺からは、本州最南端の仁王像! 現地産のオガタマノキを用いた寄木造で、下半身に巻きつけた衣が、妙にダブダブしているのがかわいい(腰パンみたい)。乾隆2年(1737)の建立だそうだが、背面には「雍正十五歳」の文字しか見いだせなかった(修補年か?)。やっぱり、中国の年号を使っていたんだなあ、琉球は。

 常設展もゆっくり見て(ビデオシアターがおもしろい)、大宰府天満宮に詣で、大好きな観世音寺にも寄ったら、あっという間に1日が終わってしまった。博多ラーメンを食す暇もなく、すきっ腹で帰りの飛行機に乗り込む。でも充実の週末旅行だった。
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