8/20(火)函館。市電で「湯の川」から「谷地頭」に出る。今日は元町の洋館めぐりが中心だが、その前に高野寺(こうやじ)に寄る。本尊は高野山金剛峯寺大日堂から下付された藤原期の大日如来で、道内唯一の彫刻部門の重要文化財だという。北海道三十三観音霊場1番札所。
ここも本堂は閉まっていたが、御朱印と一緒に拝観をお願いしてみると「どうぞ、ご縁ですから」とご快諾。おお~うまく行き過ぎて、嘘みたい! 市立函館博物館のページ「函館市の文化財」に写真と解説があるので、リンクを貼っておこう。大日如来としては、めずらしいくらい優美な仏像だった。京都や奈良にあったら、絶対、仏像ファンが付いていただろうなあと思うと、人知れない今の状態は、幸運なのか不運なのか…。
お寺の方が在宅のときなら、いつでも拝観させていただけるそうだ(法事などで対応できない場合もあり)。こちらも、松前の阿吽寺さんも、御朱印のお代(志納)とともに拝観の御礼をお納めしようと思ったが、受け取ってくださらなかった。
・函館公園内の市立函館博物館へ。その前に、写真のかわいい洋館は「旧函館博物館一号」で「日本の地方博物館として最も古い歴史がある」建物だという。
本館では平成25年度企画展『新島襄と幕末の箱館』(2013年6月14日~9月1日)を開催中。あまり興味はなかったが、とりあえず見る。同展のポスターに使われている、どこか間の抜けた新島襄の写真が「アメリカ留学中、変装して日本を脱出した折の自分を再現コスプレしてみせたもの」だと分かって、なんとなく腑に落ちた。それから、いわゆる「箱館戦争」というのが、いまの函館市に限ったものでなく、江差や松前など、道南一帯を巻き込んだ広域戦争だったことを、あらためて認識する。自分の国の歴史さえ、こんなに分かっていないんだなあ。
博物館内にいる間に一雨通り過ぎた模様。再び市電で「函館どっく前」へ。これで函館の市電は全路線を制覇。太刀川家住宅、中華会館など、洋館めぐりのメインストリートに到着する前に、また雲行きがあやしくなる。慌てて、観光案内に載っていたカフェ「グリーンゲイブルズ」に飛び込み、昼食をとりながら、雨をやり過ごす。ファンシーすぎて、自分に不似合いで笑ってしまった。
・雨も上がったところで、時間が遅くならないうちに函館市北方民族資料館へ。と思ったら、実は4月~10月は午後7時まで開いている素敵な資料館で、心配無用だった。収蔵資料展『北の神々と霊魂の世界-祈る・占う・信じる-』(2013年7月27日~11月4日)開催中。複製や写真パネルが多いが、初めて見る資料も多く、興味深かった。同館のコレクションにかかわりの深い児玉作左衛門、馬場脩両氏のパネルが掲げてあった。児玉氏とアイヌ人骨問題については認識不十分なので、まだ意見は述べない。いずれ自分なりの見解を持てるようになりたいと思う。
・旧函館区公会堂。黄色の窓枠、青みかった灰色の壁板。友人は「めずらしい色合い」と言っていたけれど、私はなんとなく既視感を持った。どこで見たのだろう。日本か、それとも北米か。
↓ドレスを借りて写真を撮ることができるサービスがあって、案の定というか、このご一行は中国系だった。
↓敷地内にあった「旧開拓使函館支庁書庫」。函館は、明治40年(1907)年の大火で甚大な被害を蒙っているのだが「この建物はそのときの数少ない無被害の建物だったと想像される」のだそうだ。煉瓦倉庫も、土蔵に負けず、なかなかのものだ。
・函館ハリストス正教会。日本最古のロシア正教会の聖堂。ここも午後7時まで見学できるらしいと分かってのんんびり来てみたら、内部公開は5時で終わっていた。でも外観だけでも、十分に美しかった。
・最後に坂下の東本願寺別院に寄って、元町散歩を終わる。
翌日、友人はフェリーで本州に戻っていった。私は函館駅前の市場をぶらつき、復旧した鉄道で、札幌に帰着。縁のなかった北海道だが、少し歴史を知ると、その土地に愛着が湧いて来る。【8/28記】
ここも本堂は閉まっていたが、御朱印と一緒に拝観をお願いしてみると「どうぞ、ご縁ですから」とご快諾。おお~うまく行き過ぎて、嘘みたい! 市立函館博物館のページ「函館市の文化財」に写真と解説があるので、リンクを貼っておこう。大日如来としては、めずらしいくらい優美な仏像だった。京都や奈良にあったら、絶対、仏像ファンが付いていただろうなあと思うと、人知れない今の状態は、幸運なのか不運なのか…。
お寺の方が在宅のときなら、いつでも拝観させていただけるそうだ(法事などで対応できない場合もあり)。こちらも、松前の阿吽寺さんも、御朱印のお代(志納)とともに拝観の御礼をお納めしようと思ったが、受け取ってくださらなかった。
・函館公園内の市立函館博物館へ。その前に、写真のかわいい洋館は「旧函館博物館一号」で「日本の地方博物館として最も古い歴史がある」建物だという。
本館では平成25年度企画展『新島襄と幕末の箱館』(2013年6月14日~9月1日)を開催中。あまり興味はなかったが、とりあえず見る。同展のポスターに使われている、どこか間の抜けた新島襄の写真が「アメリカ留学中、変装して日本を脱出した折の自分を再現コスプレしてみせたもの」だと分かって、なんとなく腑に落ちた。それから、いわゆる「箱館戦争」というのが、いまの函館市に限ったものでなく、江差や松前など、道南一帯を巻き込んだ広域戦争だったことを、あらためて認識する。自分の国の歴史さえ、こんなに分かっていないんだなあ。
博物館内にいる間に一雨通り過ぎた模様。再び市電で「函館どっく前」へ。これで函館の市電は全路線を制覇。太刀川家住宅、中華会館など、洋館めぐりのメインストリートに到着する前に、また雲行きがあやしくなる。慌てて、観光案内に載っていたカフェ「グリーンゲイブルズ」に飛び込み、昼食をとりながら、雨をやり過ごす。ファンシーすぎて、自分に不似合いで笑ってしまった。
・雨も上がったところで、時間が遅くならないうちに函館市北方民族資料館へ。と思ったら、実は4月~10月は午後7時まで開いている素敵な資料館で、心配無用だった。収蔵資料展『北の神々と霊魂の世界-祈る・占う・信じる-』(2013年7月27日~11月4日)開催中。複製や写真パネルが多いが、初めて見る資料も多く、興味深かった。同館のコレクションにかかわりの深い児玉作左衛門、馬場脩両氏のパネルが掲げてあった。児玉氏とアイヌ人骨問題については認識不十分なので、まだ意見は述べない。いずれ自分なりの見解を持てるようになりたいと思う。
・旧函館区公会堂。黄色の窓枠、青みかった灰色の壁板。友人は「めずらしい色合い」と言っていたけれど、私はなんとなく既視感を持った。どこで見たのだろう。日本か、それとも北米か。
↓ドレスを借りて写真を撮ることができるサービスがあって、案の定というか、このご一行は中国系だった。
↓敷地内にあった「旧開拓使函館支庁書庫」。函館は、明治40年(1907)年の大火で甚大な被害を蒙っているのだが「この建物はそのときの数少ない無被害の建物だったと想像される」のだそうだ。煉瓦倉庫も、土蔵に負けず、なかなかのものだ。
・函館ハリストス正教会。日本最古のロシア正教会の聖堂。ここも午後7時まで見学できるらしいと分かってのんんびり来てみたら、内部公開は5時で終わっていた。でも外観だけでも、十分に美しかった。
・最後に坂下の東本願寺別院に寄って、元町散歩を終わる。
翌日、友人はフェリーで本州に戻っていった。私は函館駅前の市場をぶらつき、復旧した鉄道で、札幌に帰着。縁のなかった北海道だが、少し歴史を知ると、その土地に愛着が湧いて来る。【8/28記】