見もの・読みもの日記

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2013道南旅行・松前→木古内→函館

2013-08-19 21:33:49 | 北海道生活
 8/19(月)は北の城下町・松前を歴史散策。松前神社→龍雲院→光善寺→法源寺→法幢寺(松前家墓所)→松前城→阿吽寺→徳山大神宮→松前町郷土資料館。

・松前神社は、松前藩の始祖で若狭武田氏出身の武田信広公をお祀りする。武田菱の家紋にわくわくする。

・龍雲院の本堂は、現在松前にあるお寺の中で最も古い建築。山門に打ち付けてあった「曹洞宗 龍雲院」の額は金子鴎亭の筆。金子鴎亭(1906-2001)は松前出身の書家で、同行の友人の言うには、広開土王碑拓本の所持者としても有名なのだそうだ。松前は鴎亭のゆかりで「書の町」を標榜している。そのせいか、どのお寺の御朱印も格調が高くて、嬉しい。あと、龍雲院の山号「華遊山」が気に入って、いつか自分の号にしたい、とひそかに思う。

・光善寺は、京都百万遍の末寺。桜の名木血脈桜あり。本尊の阿弥陀如来立像は平安末期の乾漆像だという。源義経が寄進したとも言われ、境内に「義経山」の大字を刻んだ石碑(かなりボロボロ)も残る。

・法源寺の山門も北海道の寺社建築としては最古級。日露戦争で没した旧津軽藩将卒を弔う石碑があったが、明治大正の漢文の碑は格調があってよいなあ。『夷酋列像』を描き、「松前応挙」と呼ばれた画家にして、松前藩家老でもあった(←この旅行で知ったこと)蠣崎波響の墓所はこの寺にある。



・法幢寺の山門には、小さな極彩色の四天王が左右に二人ずつ、正面を向いておさまっていた(傘や琵琶は持っていない)。同寺は松前藩主松前家の菩提寺で、裏手に墓所がある。どれも小さめの五輪塔(最下段の地輪が縦に長い)で、小さな石の覆屋に収まっている。本堂左手の御霊屋の格天井には蠣崎波響が花鳥画を描いているが、残念ながら暗くてほとんど見えない。

↓墓所の入口


・松前城に戻る(武田菱に注目!)。暑いのと、少し空腹もあったので、入口脇の売店でソフトクリームを買って舐める。ここで不思議なものを売っていると思ったら、松前城公園の桜の木についている木札の要らなくなったものを1枚100円で売っていた。松前を代表する品種「南殿(なでん)」の札がいちばん多い。面白いので買って帰ることにした。



城内の展示で、松前には蠣崎波響以外にもさまざまな書家や画人がいたことを知る。

・阿吽寺。本尊の不動明王立像は平安後期の作(※文化財オンラインに画像あり)。突然訪ねても拝観はできないよね…と思いながら、御朱印をお願いするついでに「拝観できますか?」と聞いてみた。そうしたら「どうぞ、どうぞ」と快く招き入れてくださった。本堂の須弥壇のさらに奥(!)へ進んでいくので、おそるおそる着いていくと、奥に厨子というか土蔵のような収蔵庫があって、重たい扉を開けると、比較的表情の優しい(平安時代らしい)不動明王が立っておられた。截金模様がよく残っている。ダイナミックな火焔も美しい。箱館戦争で、松前の寺町は多くの堂宇を焼失したが、阿吽寺では土蔵だけが焼け残ったのだという。

↓その土蔵を側面から。


土蔵ってすごいなあ…。京都・冷泉家の御文庫が、応仁の乱のあとに焼け残った話を思い出した。なお、本当こは年に数回、お不動さんの縁日に開扉しているというお話だったと思う(拝観できたことに舞い上がって、忘れてしまった)。

・徳山大神宮。ロシア人ゴローウニン幽閉の地の石碑あり。隣りの松前町郷土資料館は小学校みたいな建物だった。

 松前を離れるバスの時間が近づいていたので、コンビニでおにぎりと飲み物を調達して、昼ご飯とする。昨日と同じ海岸線を木古内に向かう。昨日より海は明るかったが、さすがに本州は見えなかった。各駅停車でのんびり、夕方の函館(湯の川温泉)着。花火が上がっていた。

↓旅行から戻って、自宅に掲げてみた「南殿(なでん)」(桜の品種名)の木札。


【8/28記】

※参考:北海道松前藩観光奉行
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