8/18早朝、江差で目覚める。窓の外は、雨が降ったり止んだり。江差駅発8:09の列車で隣りの上ノ国駅(8:17着)に移動。まだ観光施設が開かないので、何もない駅の待合室で、ぼんやり時間をつぶしていると、だんだん雨も風も強くなってきた。最悪のパターン…。
ここの見どころは、松前氏の祖である武田信広が、15世紀後半に築いた山城「勝山館」の大規模な史跡なのだ。ガイダンス施設はあるものの、基本的には野外史跡である。相談の末、タクシーを呼ぶことにし、まず洲崎館跡の神社に連れていってもらう。しばらく散策し、続いて山上の勝山館跡ガイダンス施設へ。
少し雨も風もおさまってきたので、タクシーを帰して「歩いて下りる?」「どうする?」とずいぶん悩んだのだが、結局、外には出なかった。勝山館史跡のふもとにある旧笹浪家住宅を見学して、観光を終わる。円空仏あり。
↓ガイダンス施設に展示されていた勝山館史跡の復元図。驚異的に規模が大きい!
↓これはガイダンス施設のテラスから見た風景。雨はおさまってきたが、まだ強風で木々が激しく揺れている。
駅前で昼食後、上ノ国を出る列車の出発まで、まだ1時間ほどあった。勝山館に未練を残す友人は、すっかり雨も上がったので「もう一回タクシーを呼んで、上から下まで徒歩で下ってくる!」とチャレンジしてみたのだが(鉄道トラブルの影響を受けて)上ノ国のタクシーが出払っていて、万事休す。また駅の待合室でぐだぐだと時間をつぶす。
友人任せにした今回の旅行スケジュールの中で、「上ノ国」という地名は全く知らなかったが、勝山館跡はいちばん面白かった。近世以前の北海道の歴史が、急にはっきり見えてきた。松前藩の始祖が、私のヒイキとする武田氏につながりのある氏族(家紋は甲斐武田氏と同じ武田菱)で、さらに大好きな「みほとけの里」若狭(福井県)の小浜とも関係があろうとは! 昨年は二度も小浜の秘仏めぐりに行っているのだが、どこかで武田氏の痕跡には出会っていたかしら…。友人は、龍谷ミュージアムの『若狭・多田寺の名宝』展で見たかもしれない、というのだが、記憶は不確か。さて、家に帰ったら、同展の図録を掘り出せるだろうか。
午後、上ノ国→木古内へ移動(約1時間)。さらに長距離バスで木古内→松前(約1時間40分)。海岸線の景色が変化に富んでいて飽きなかった。松前では法華寺の境内を散策。本格的な観光は翌日の楽しみとして、夜は温泉旅館で郷土料理に舌鼓を打った。【8/25記、8/27写真など補遺】
※参考:上ノ国(かみのくに)町
ここの見どころは、松前氏の祖である武田信広が、15世紀後半に築いた山城「勝山館」の大規模な史跡なのだ。ガイダンス施設はあるものの、基本的には野外史跡である。相談の末、タクシーを呼ぶことにし、まず洲崎館跡の神社に連れていってもらう。しばらく散策し、続いて山上の勝山館跡ガイダンス施設へ。
少し雨も風もおさまってきたので、タクシーを帰して「歩いて下りる?」「どうする?」とずいぶん悩んだのだが、結局、外には出なかった。勝山館史跡のふもとにある旧笹浪家住宅を見学して、観光を終わる。円空仏あり。
↓ガイダンス施設に展示されていた勝山館史跡の復元図。驚異的に規模が大きい!
↓これはガイダンス施設のテラスから見た風景。雨はおさまってきたが、まだ強風で木々が激しく揺れている。
駅前で昼食後、上ノ国を出る列車の出発まで、まだ1時間ほどあった。勝山館に未練を残す友人は、すっかり雨も上がったので「もう一回タクシーを呼んで、上から下まで徒歩で下ってくる!」とチャレンジしてみたのだが(鉄道トラブルの影響を受けて)上ノ国のタクシーが出払っていて、万事休す。また駅の待合室でぐだぐだと時間をつぶす。
友人任せにした今回の旅行スケジュールの中で、「上ノ国」という地名は全く知らなかったが、勝山館跡はいちばん面白かった。近世以前の北海道の歴史が、急にはっきり見えてきた。松前藩の始祖が、私のヒイキとする武田氏につながりのある氏族(家紋は甲斐武田氏と同じ武田菱)で、さらに大好きな「みほとけの里」若狭(福井県)の小浜とも関係があろうとは! 昨年は二度も小浜の秘仏めぐりに行っているのだが、どこかで武田氏の痕跡には出会っていたかしら…。友人は、龍谷ミュージアムの『若狭・多田寺の名宝』展で見たかもしれない、というのだが、記憶は不確か。さて、家に帰ったら、同展の図録を掘り出せるだろうか。
午後、上ノ国→木古内へ移動(約1時間)。さらに長距離バスで木古内→松前(約1時間40分)。海岸線の景色が変化に富んでいて飽きなかった。松前では法華寺の境内を散策。本格的な観光は翌日の楽しみとして、夜は温泉旅館で郷土料理に舌鼓を打った。【8/25記、8/27写真など補遺】
※参考:上ノ国(かみのくに)町