■出光美術館 『文字の力・書のチカラII-書と絵画の対話』(2013年7月6日~8月18日)
2009年1月の企画展『文字の力・書のチカラ-古典と現代の対話』につづく第二弾だそうだ。確かに第一弾は見に行っている。今に比べると、書を鑑賞するための基礎知識が全然不足していた頃だが、それなりに面白かった。今回は副題のとおり、「書における絵画的な表現」に注目した展覧会だというが、前半では、やはり『高野切』第一種や『継色紙』(あめにより)に見入ってしまう。
いちばん印象的だったのは後陽成天皇筆『天照皇太神』の一行書。このひとの仮名はそんなにいいと思わないのだが、大きい字は魅力的だ。17世紀の光悦が制作した『古今和歌集巻』の和歌を拾い読みながら、古今集って(10世紀初め成立)ずいぶん長く日本人の美意識の基盤として作用したんだなあと感慨深く思う。書の展覧会だと思って来たのに、(伝?)雪舟の『破墨山水図』があったり、池大雅『瀟湘八景図』の4幅、白隠、仙、玉堂などの水墨作品が多数出ていたので、絵画も好きな私には得をした気分だった。
作品解説が感覚的・抒情的なのは好みが分かれるところだろう。私は、五島美術館のような、実証的で手堅い解説のほうが好み。五島を先に見てきてよかった。
■根津美術館 コレクション展『曼荼羅展 宇宙は神仏で充満する!』(2013年7月27日~9月1日)
仏画&院政期(平安後期)の絵画好きとして、ものすごく期待して行ったのだが、裏切られなかった。至福のひとときを過ごすことができた。コレクション展だから、だいたい一度は見た記憶がある作品だったが、 何度見ても、見るたびによい。12世紀の『大日如来像』は修復を終えて初の展示だというが、いつ以来だろう? これまでコメントした記録がないが、2010年の『いのりのかたち』で見ているのではないかと推測する。赤い唇、透き通るような美肌。同時代の美女たちもこんなふうだったのだろうか。
そして『両界曼荼羅』だが、今回とてもよかったのは、それぞれの曼荼羅の世界観(見方)が矢印入りの図で解説されていたこと。特に「金剛界曼荼羅」は、右下から円を描くように中央に至るのが、悟りに至るプロセス(向上門)だと知った。そのとおりに視線をめぐらせてみると、九つの小区画の、色と形の変化が、まるでアニメーションのように感じられる。「胎蔵界曼荼羅」も、中央の大日如来の慈悲が外へ外へと広がるとともに、悟りを求める人々の願いが集まってくることを意識すると、やはり曼荼羅が動き出す感じがする。
『金剛界八十一尊曼荼羅』は、前述の『いのりのかたち』展で、大好きになったものだが、「金剛界曼荼羅」の「成身会」の区画に相当することを理解する。えええ、この大きさが九倍になったら、どんなに壮麗な曼荼羅だったろう! 滋賀の金剛輪寺に伝えられたという由来を、あらためて認識。柔らかいアザミみたいな(葉っぱはアサガオみたいな)宝相華が愛らしい。鎌倉時代の『愛染曼荼羅』(これも修復後、初展示)の宝相華も、藍色の池水に浮かぶスイレンに見える。古代的な極彩色の「宝相華」より、写実的な草花の姿を愛でる美意識が育っているのかもしれない。
南北朝時代の『求聞持虚空蔵菩薩・明星天子像』の明星天子は龍の背の蓮台に立つ。四臂で、両手で珠を捧げ持ち、残る手に持つのは錠と印判かな? 面白い。頭上の月輪の中には虚空蔵菩薩。『如意輪観音・不動明王・愛染明王像』を1幅に描いた図は、「密観宝珠」といって、日本で創り出された密教画像だそうだ。こういう「ローカル」な文化や信仰が成立する過程はとても面白いと思う。
鎌倉時代の『愛染明王像』は、胴を細く絞った台座に座し、ゆらゆら蠢くような火焔光背も独特。法勝寺安置の仏像との関連が指摘されているそうだが、煩悩と愛欲を力の源泉とした白河院に似合いすぎる。別の『愛染明王像』は金目を大きく剥き、口からは裂帛の気合が漏れそうな、迫力の画像で、画面上部の偈文は、後醍醐天皇の宸筆とする説がある。権力者と愛染明王の縁は切っても切れない。
ほっとなごむのは『大日金輪・如意輪観音像』の厨子。色鮮やかな五輪塔を描いた薄型の厨子と、その中央にはめ込む慳貪板(けんどんいた)が別々に展示されている。慳貪板の片面には、足の短い獅子に乗った、すまし顔の大日金輪。裏面には、妙にくつろいだ風情の如意輪観音。どっちも可愛い。
展示室2も仏画(垂迹曼荼羅など)が続き、展示室5は茶釜。展示室6は、さわやかに「盛夏の朝茶事」。根津美術館は、あまり展覧会図録を作らないのだが、最後にショップを覗いてみたら『根津美術館蔵 密教絵画 鑑賞の手引き』というソフトカバーの冊子を売っていた。奥付を見ると、2013年7月発行だから、この展覧会のために作られたものだろう。気になる細部の拡大図像も載っていて、とてもありがたい!
長い1日は、さらに続く。
2009年1月の企画展『文字の力・書のチカラ-古典と現代の対話』につづく第二弾だそうだ。確かに第一弾は見に行っている。今に比べると、書を鑑賞するための基礎知識が全然不足していた頃だが、それなりに面白かった。今回は副題のとおり、「書における絵画的な表現」に注目した展覧会だというが、前半では、やはり『高野切』第一種や『継色紙』(あめにより)に見入ってしまう。
いちばん印象的だったのは後陽成天皇筆『天照皇太神』の一行書。このひとの仮名はそんなにいいと思わないのだが、大きい字は魅力的だ。17世紀の光悦が制作した『古今和歌集巻』の和歌を拾い読みながら、古今集って(10世紀初め成立)ずいぶん長く日本人の美意識の基盤として作用したんだなあと感慨深く思う。書の展覧会だと思って来たのに、(伝?)雪舟の『破墨山水図』があったり、池大雅『瀟湘八景図』の4幅、白隠、仙、玉堂などの水墨作品が多数出ていたので、絵画も好きな私には得をした気分だった。
作品解説が感覚的・抒情的なのは好みが分かれるところだろう。私は、五島美術館のような、実証的で手堅い解説のほうが好み。五島を先に見てきてよかった。
■根津美術館 コレクション展『曼荼羅展 宇宙は神仏で充満する!』(2013年7月27日~9月1日)
仏画&院政期(平安後期)の絵画好きとして、ものすごく期待して行ったのだが、裏切られなかった。至福のひとときを過ごすことができた。コレクション展だから、だいたい一度は見た記憶がある作品だったが、 何度見ても、見るたびによい。12世紀の『大日如来像』は修復を終えて初の展示だというが、いつ以来だろう? これまでコメントした記録がないが、2010年の『いのりのかたち』で見ているのではないかと推測する。赤い唇、透き通るような美肌。同時代の美女たちもこんなふうだったのだろうか。
そして『両界曼荼羅』だが、今回とてもよかったのは、それぞれの曼荼羅の世界観(見方)が矢印入りの図で解説されていたこと。特に「金剛界曼荼羅」は、右下から円を描くように中央に至るのが、悟りに至るプロセス(向上門)だと知った。そのとおりに視線をめぐらせてみると、九つの小区画の、色と形の変化が、まるでアニメーションのように感じられる。「胎蔵界曼荼羅」も、中央の大日如来の慈悲が外へ外へと広がるとともに、悟りを求める人々の願いが集まってくることを意識すると、やはり曼荼羅が動き出す感じがする。
『金剛界八十一尊曼荼羅』は、前述の『いのりのかたち』展で、大好きになったものだが、「金剛界曼荼羅」の「成身会」の区画に相当することを理解する。えええ、この大きさが九倍になったら、どんなに壮麗な曼荼羅だったろう! 滋賀の金剛輪寺に伝えられたという由来を、あらためて認識。柔らかいアザミみたいな(葉っぱはアサガオみたいな)宝相華が愛らしい。鎌倉時代の『愛染曼荼羅』(これも修復後、初展示)の宝相華も、藍色の池水に浮かぶスイレンに見える。古代的な極彩色の「宝相華」より、写実的な草花の姿を愛でる美意識が育っているのかもしれない。
南北朝時代の『求聞持虚空蔵菩薩・明星天子像』の明星天子は龍の背の蓮台に立つ。四臂で、両手で珠を捧げ持ち、残る手に持つのは錠と印判かな? 面白い。頭上の月輪の中には虚空蔵菩薩。『如意輪観音・不動明王・愛染明王像』を1幅に描いた図は、「密観宝珠」といって、日本で創り出された密教画像だそうだ。こういう「ローカル」な文化や信仰が成立する過程はとても面白いと思う。
鎌倉時代の『愛染明王像』は、胴を細く絞った台座に座し、ゆらゆら蠢くような火焔光背も独特。法勝寺安置の仏像との関連が指摘されているそうだが、煩悩と愛欲を力の源泉とした白河院に似合いすぎる。別の『愛染明王像』は金目を大きく剥き、口からは裂帛の気合が漏れそうな、迫力の画像で、画面上部の偈文は、後醍醐天皇の宸筆とする説がある。権力者と愛染明王の縁は切っても切れない。
ほっとなごむのは『大日金輪・如意輪観音像』の厨子。色鮮やかな五輪塔を描いた薄型の厨子と、その中央にはめ込む慳貪板(けんどんいた)が別々に展示されている。慳貪板の片面には、足の短い獅子に乗った、すまし顔の大日金輪。裏面には、妙にくつろいだ風情の如意輪観音。どっちも可愛い。
展示室2も仏画(垂迹曼荼羅など)が続き、展示室5は茶釜。展示室6は、さわやかに「盛夏の朝茶事」。根津美術館は、あまり展覧会図録を作らないのだが、最後にショップを覗いてみたら『根津美術館蔵 密教絵画 鑑賞の手引き』というソフトカバーの冊子を売っていた。奥付を見ると、2013年7月発行だから、この展覧会のために作られたものだろう。気になる細部の拡大図像も載っていて、とてもありがたい!
長い1日は、さらに続く。