■国立科学博物館 特別展『医は仁術』(2014年3月15日~6月15日)
まあついでだから見て行くか、くらいの軽い気持ちで入ったら、凄い内容だった。科学史はもちろん、江戸の絵画や美術史に関心のある人にも、ぜひ見てほしい展示である。ポスターに使われている、高台から夕焼けの江戸の町を見下ろすビジュアルは、2009年と2011年に放映された人気ドラマ『JIN-仁-』と同じもの。会場内には、印象深いドラマのテーマソングが流れている。「序章」には「タイムスリップシアター」が設けられ、主人公の仁先生を演じた大沢たかおが、来場者を江戸の世界に案内する念の入れようだ。
序盤の展示品は、麻疹(はしか)除けの錦絵とか、国芳の「大宅太郎光圀妖怪退治の図(相馬の古内裏)」(写実的な骸骨が描かれている)とか、薬屋の看板とか、いかにも予想のつきそうな展示物で、あまり驚かなかったが、実際の薬材が残っているのには驚いた。人参とかセンザンコウ(穿山甲、アルマジロに似ている)とか、孫太郎虫(かなりグロテスク)とか…。内藤記念くすり博物館からの出陳。幕末~明治初期に使われた医療器具もずいぶん残っているのだな。
いちばん驚いたのは「腑分け」に関して、豊富な絵画資料が現存していること。人体の全体や部分を「腑分け」の進行に応じ、様々な角度から執拗に記録している。決して「美的」ではない。死臭と血の匂いが漂ってきそうで、気分が悪くなりそうだ。『JIN-仁-』のビジュアルと音楽につられて入場した親子連れは、このあたりで、先を急いで、どこかに行ってしまった。しかし、応挙の「写生」とか「七難七福図巻」も、こういう背景のもとに成立しているんだな、ということをあらためて認識した。
科博の所蔵品には「和田コレクション」と書かれているものが多かった。図録解説によれば、京都の和田和代史氏が収集された和田医学史料館旧蔵品とのこと。後半には、西洋近代医学の導入(大学東校=東大医学部の源流と、順天堂大学を例に)について、写真パネルを中心とした解説もある。
■江戸東京博物館 開館20周年記念特別展『大江戸と洛中-アジアの中の都市景観』(2014年3月18日~5月11日)
欲張ってもう1か所。「江戸」と「京都」の都市の姿を「アジアの都市設計」との関連で考える。ざっくり言ってしまうと、京都は、アジアの都城の基本原理である「条坊制」を真似てはいたが、「宗廟」(祖先の霊を祀るところ)と「社稷」(土地の神を祀るところ)の存在は明らかでなかった。江戸は条坊制を採用しなかったが、「宗廟」=徳川家霊廟(増上寺と寛永寺)、「社稷」=紅葉山の東照宮というアイディアはあった、ということらしい。ちょっと理が勝ちすぎた結論にも思われる。展示品では、南蛮文化館所蔵の『十二都市図世界図屏風』など、東西文明の交流を示す資料が面白かった。
■江戸東京博物館・第2企画展示室 特集展示『2011.3.11平成の大津波被害と博物館-被災資料の再生をめざして-』(2014年2月8日~3月23日)
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、地域の文化財や博物館も甚大な被害を与えた。あれから3年、被災した文化財等のレスキュー活動や復興へ向けた博物館の取組みについて紹介する。展示は「文書」「昆虫・植物標本」「考古資料(鉄器、土偶)」「民俗資料(人形、絵馬)」「仏像」という具合に、文化財のカテゴリーで類別されていた。泥水に呑まれた昆虫標本なんて復元できるのだろうか?と思ったが、そこは執念で復元されていた。出土品の鉄鍋(?)は破砕したものを「出土したときの状態」に修復してあったが、あれはどうなのかなあ…。もし破砕した状態で出土したら、あそこまで修復しないと思うので、何だか矛盾を感じる。民俗資料である土製の高田人形は、ほとんどが粉砕され、溶けてしまったが、チャック付きのビニール袋に入っていた1体だけが助かったという。
驚くべきは文書資料(和紙に墨書)のリカバリー力。丁寧な補修を受けた幸運もあるのだろうが、新品のように美しくよみがえっていて、少し呆れた(いい意味で)。一方で、所蔵資料のデータが保存されていたコンピュータは、泥をかぶった無残な姿で展示されていた(別の場所に保管していた複製データは無事だったらしい)。
まあついでだから見て行くか、くらいの軽い気持ちで入ったら、凄い内容だった。科学史はもちろん、江戸の絵画や美術史に関心のある人にも、ぜひ見てほしい展示である。ポスターに使われている、高台から夕焼けの江戸の町を見下ろすビジュアルは、2009年と2011年に放映された人気ドラマ『JIN-仁-』と同じもの。会場内には、印象深いドラマのテーマソングが流れている。「序章」には「タイムスリップシアター」が設けられ、主人公の仁先生を演じた大沢たかおが、来場者を江戸の世界に案内する念の入れようだ。
序盤の展示品は、麻疹(はしか)除けの錦絵とか、国芳の「大宅太郎光圀妖怪退治の図(相馬の古内裏)」(写実的な骸骨が描かれている)とか、薬屋の看板とか、いかにも予想のつきそうな展示物で、あまり驚かなかったが、実際の薬材が残っているのには驚いた。人参とかセンザンコウ(穿山甲、アルマジロに似ている)とか、孫太郎虫(かなりグロテスク)とか…。内藤記念くすり博物館からの出陳。幕末~明治初期に使われた医療器具もずいぶん残っているのだな。
いちばん驚いたのは「腑分け」に関して、豊富な絵画資料が現存していること。人体の全体や部分を「腑分け」の進行に応じ、様々な角度から執拗に記録している。決して「美的」ではない。死臭と血の匂いが漂ってきそうで、気分が悪くなりそうだ。『JIN-仁-』のビジュアルと音楽につられて入場した親子連れは、このあたりで、先を急いで、どこかに行ってしまった。しかし、応挙の「写生」とか「七難七福図巻」も、こういう背景のもとに成立しているんだな、ということをあらためて認識した。
科博の所蔵品には「和田コレクション」と書かれているものが多かった。図録解説によれば、京都の和田和代史氏が収集された和田医学史料館旧蔵品とのこと。後半には、西洋近代医学の導入(大学東校=東大医学部の源流と、順天堂大学を例に)について、写真パネルを中心とした解説もある。
■江戸東京博物館 開館20周年記念特別展『大江戸と洛中-アジアの中の都市景観』(2014年3月18日~5月11日)
欲張ってもう1か所。「江戸」と「京都」の都市の姿を「アジアの都市設計」との関連で考える。ざっくり言ってしまうと、京都は、アジアの都城の基本原理である「条坊制」を真似てはいたが、「宗廟」(祖先の霊を祀るところ)と「社稷」(土地の神を祀るところ)の存在は明らかでなかった。江戸は条坊制を採用しなかったが、「宗廟」=徳川家霊廟(増上寺と寛永寺)、「社稷」=紅葉山の東照宮というアイディアはあった、ということらしい。ちょっと理が勝ちすぎた結論にも思われる。展示品では、南蛮文化館所蔵の『十二都市図世界図屏風』など、東西文明の交流を示す資料が面白かった。
■江戸東京博物館・第2企画展示室 特集展示『2011.3.11平成の大津波被害と博物館-被災資料の再生をめざして-』(2014年2月8日~3月23日)
2011年3月11日に発生した東日本大震災は、地域の文化財や博物館も甚大な被害を与えた。あれから3年、被災した文化財等のレスキュー活動や復興へ向けた博物館の取組みについて紹介する。展示は「文書」「昆虫・植物標本」「考古資料(鉄器、土偶)」「民俗資料(人形、絵馬)」「仏像」という具合に、文化財のカテゴリーで類別されていた。泥水に呑まれた昆虫標本なんて復元できるのだろうか?と思ったが、そこは執念で復元されていた。出土品の鉄鍋(?)は破砕したものを「出土したときの状態」に修復してあったが、あれはどうなのかなあ…。もし破砕した状態で出土したら、あそこまで修復しないと思うので、何だか矛盾を感じる。民俗資料である土製の高田人形は、ほとんどが粉砕され、溶けてしまったが、チャック付きのビニール袋に入っていた1体だけが助かったという。
驚くべきは文書資料(和紙に墨書)のリカバリー力。丁寧な補修を受けた幸運もあるのだろうが、新品のように美しくよみがえっていて、少し呆れた(いい意味で)。一方で、所蔵資料のデータが保存されていたコンピュータは、泥をかぶった無残な姿で展示されていた(別の場所に保管していた複製データは無事だったらしい)。