見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

2014年3月@東京:世紀の日本画・後期(東京都美術館)

2014-03-29 19:50:46 | 行ったもの(美術館・見仏)
○東京都美術館 日本美術院再興100年 特別展『世紀の日本画』(2014年1月25日~4月1日)(後期:3月1日~4月1日)

 前期も見たのだが、展示内容がほぼ一新されると知って、後期も見ることにする。

 まず、菱田春草『四季山水』画巻に息を呑む。「生」の自然の手触りをギリギリまで残しつつ、色や形を抽象化した美しさ。東京国立近代美術館所蔵。横山大観の『屈原』は有名な作品だが(高校の漢文の教科書に載っていた)、この展覧会の前期や『下村観山展』を見ることで、明治の日本画に「悲憤慷慨」をテーマとする作品が多いわけが少し分かった。屈原の姿には、東京美術学校騒動で罷免された岡倉天心が投影されているらしい。そしてこれ、厳島神社に所蔵されているのね。何故!?

 木村武山の『小春』は初めて見た。琳派の四季草花図の系譜につらなる素敵な作品。「国立大学法人茨城大学所蔵」というキャプションを見て、学長応接室にでも飾られているのだろうかと思ったら、茨城大学には五浦美術文化研究所があるのだった。塩出英雄の『五浦』も茨城大学所蔵。参詣曼荼羅みたいな明るい色彩で、院展の「聖地」と見なされた五浦の様子を再現した愉快な作品。天心、観山、大観らは、こんなふうに付かず離れず、絶妙の距離感の住居で暮らしていたのね。

 彫刻は、前期は平櫛田中の『酔吟行』が素晴らしかったが、同じくらいヤラレタと思ったのが『禾山笑』。谷中の長安寺の西山禾山(かざん)和尚をモデルとする。真上を見上げて、呵呵大笑する姿で、私の身長だと目鼻が全く見えないのだが、よいのだろうか。

 個人的に最も楽しみにしてきたのは、前田青邨の『知盛幻生』。青邨が86歳のときの作品。個人蔵のため、展示される機会は少ないが、作者晩年の代表作と見られている。2006年に放送された『放送30年 日曜美術館 ベスト・オブ・ベスト』には、ドイツ文学者の高橋義孝さんが、知盛の表情にあらわれた「人間の生きる哀しみ」について語る回が入っていたそうだ。そこまで普遍化せずとも、平家びいきの私には、見ているだけで涙があふれてくる作品だった。たけり狂う波しぶきの激しさ、その中で一団となって(一蓮托生)前を見据える平家一門の気迫と覚悟。ネット上にいくつか画像が上がっているが、いずれも実物には如かず。

 あと、岩橋英遠の『道産子追憶之巻』はよかった。本州の自然とは一味違う、北海道の四季を描いた全長29メートルの大作。北海道立近代美術館所蔵だそうだが、いつでも見られるのかしら。いちおう今は道民なのに、こういう作品に東京で出会ってしまう不見識。

 そして大団円に向かうわけだが、年代が新しくなると、南アジアや西アジアに取材した作品が多くなるなあと漠然と感じながら見て行くうち、平山郁夫の『日本美術院血脈図』が目の前に現れた。題名を見るまでは、白い服を着て白い帽子をかぶり、黒馬に乗って、人々の見守る中を歩む人物を、ヒンドゥーかイスラムの聖人だと思った。題名を見て、あ、これは岡倉天心なのか(不思議な服装は美術院の制服)と思い当った。取り囲む人々の中には、観山や大観の顔があるらしい。これも茨城大学所蔵。作者の平山郁夫(1930-2009)は、岡倉天心(1863-1913)とは直接会うことのなかった世代だが、同じ画家、それ以上に教育者として「血脈」を継ぐという意識が高かったことを思わせた。教育には、ある程度の「個人崇拝」が必要なのだと思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする