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奈良国立博物館 開館120年記念特別展『白鳳-花ひらく仏教美術-』(2015年7月18日~9月23日)
「白鳳」は7世紀の半ばから8世紀初頭(平城京遷都まで)を指す。文化史や美術史ではなじみの時代区分だが、年号としては、寺社縁起や地方誌に多数散見されるにもかかわらず、日本書紀に見えないため、歴史学では使わないことが多い。今回の展示図録の凡例にも「今日の国立博物館では時代の表記に『白鳳時代』を用いず、政治史の時代区分にのっとり『飛鳥時代後期』あるいは『飛鳥時代後期(白鳳期)』と表記しているが、この展覧会では『白鳳時代』を用いることとする」と、わざわざ断り書きしてある。
「白鳳」と聞いて、私が最初に思い浮かべるのは薬師寺の諸仏である。薬師寺は好んで「白鳳伽藍」をキャッチコピーに使っていたような気がする。一方で、東博の法隆寺宝物館にあるような小さな金銅仏は「飛鳥時代」という整理をしていて、白鳳仏というイメージがあまりなかった。今回の展覧会は、大きさも容姿もさまざまな白鳳仏が全国から大集結していて、この時代の文化の広がりと多彩さを感じることができる。リストによれば、展示品総数は148件とあるが、半数以上は仏像(塑像片や押出仏を含む)じゃないかな。
冒頭には、東博でよく見る中国・唐時代の十一面観音菩薩立像(多武峰伝来、木造)。頭部が大きく童子形のプロポーションなのに彫りの深い顔立ち、大きな瓔珞や耳飾など、エキゾチックな雰囲気を持つ。白鳳時代の始めに将来されたと推定されることから、本展の冒頭を飾っているようだ。ただ、私は白鳳文化には、大陸よりも朝鮮半島との近縁性を強く感じた。
それから典型的な、小さな金銅仏が並ぶ。お腹の前に両手で宝珠を抱いた観音立像。お椀を伏せたような台座に座す半跏思惟像。法隆寺献納宝物の菩薩半跏像(丙寅銘)は、縦に細長い風貌が印象的だった。面長の顔面は途中で折れているように感じる。大阪・野中寺の半跏像にも久しぶりに再会できた。
山田寺跡から出土した瓦、塼仏などに続いて、興福寺の山田寺仏頭の写真パネルに「展示期間 8月18日~27日」とあるのを見つける。え、仏頭もここに持ってきちゃうわけ? 驚きながら、展示室の角を曲がって、第二ゾーンが視界に入り、陸続とつらなる金銅仏の列に、さらに驚く。解説に「表情が山田寺仏頭に似る」とあったのは、吉野・桜本坊の如来坐像。確かに顔の表情は厳しいのだが、ロココ調のロングドレスのようなたっぷりした着衣が愛らしい。パンチパーマでドレスを着ている大阪のおばちゃんみたい。これは以前、大阪市博の『山の神仏(かみほとけ)』で見ている。
兵庫・鶴林寺の観音菩薩立像は、正面から見ると顔が左右に肥大気味で、首が太く、細すぎる腰、小さすぎる手など、あまりにもアンバランス。しかし、そのアンバランスが魅力的なのだ。側面から見ると、一転して整ったシルエットになる。鶴林寺には2012年に訪ねていて、いちばん気に入った「あいたた観音」というのが、この仏像らしい。兵庫・一乗寺の観音菩薩立像もいらしていたが、これは秘仏ご本尊ではなくて、宝物館にいらしたほうだろう(2009年に拝観の記録あり)。大分・柞原八幡宮の如来立像はシンプルな造形で、ポーズが仏像らしくないのも可愛い。2014年の福岡市『九州仏』展で気に入ったもの。
奈良・正暦寺の伝薬師如来倚像や東京・深大寺の釈迦如来倚像は、おお~来てる、と感心したが、展示室の中央に薬師寺の聖観音が立っていらしたのにはびっくりした。正直なところ、東博が所蔵する、明治時代の模作ではないかと思って近づいたら「国宝」の文字が目に入った。ホンモノ!! こんな至近距離から、しかも360度の周囲から拝観させていただくのは久しぶりである。どの角度もいいが、私は後ろ姿の完璧な気品が好き。明朗で若々しい白鳳彫刻の魅力を代表する仏像だと思う。
京都から来てくれた本日の連れと「薬師寺、これを出陳しちゃっていいんですかね」「この夏、薬師寺に行く人かわいそうよね」と言い合って進むと、視界を区切られた会場の一角に何やら巨大なものの気配が。薬師寺金堂の月光菩薩だった。これには絶句…。金堂の薬師三尊像は、金色の光背を背景に「黒さ」が印象に残るが、この会場では控えめな照明のせいで、なんとも言えない微妙な色味に見える。濡れたような、呼吸をしているような銅の色。奈良博の仏像の見せ方は超絶すごい。
これでようやく東新館が終了。西新館に移っても金銅仏の列が絶えない。遠目に会場の様子を一瞥した瞬間、あの子だ!と思ったのは、兵庫・一乗寺のあまりにも頭部の大きい(吉田戦車ふうシルエットの)観音菩薩立像。2008年、ここ奈良博の『西国三十三所』展で衝撃の出会いをして以来、大好きな仏像である。その隣りにあった大阪・観心寺の菩薩半跏像もちびまる子ちゃんふうに頭部が大きくて可愛い。今年1月、京博の『島根鰐淵寺の名宝』で見た金銅仏に再会できたのも嬉しかった。鳥取の大山寺にも白鳳仏があるのだなあ。
法隆寺からは、当然、たくさんの仏像と工芸品が出陳されている。著名な夢違観音も。法輪寺の伝虚空蔵菩薩立像(法隆寺伝来)は、この時期にはめずらしい木造。ポスターのビジュアルに使うには地味な容姿だが、企画者としては「推し」の仏像なんだろうな、と思う。橘夫人念持仏は、阿弥陀三尊像、台(蓮池)及び後屏、厨子の3つのパーツに分けて展示されていた。敷台の蓮池がなくて、三本の蓮がにょっきり立ち上がった図はシュールだったが、工芸の巧みを隅々まで味わうには、この展示方法でよかったのかもしれない。当麻寺の持国天立像(脱活乾漆造)は、用心棒ふうにものかげに佇んでいた。リアルな髭の表現に感心する。
西新館後半は、法隆寺献納宝物の龍首水瓶から。周囲に天馬が描かれている。押出仏や塑像片など、小さめの展示物が多数ある中で、異彩を放っていたのは、愛知県岡崎市・真福寺の仏頭(塑像)。両耳から後頭部を欠き、ほぼ顔面しか残っていない。ふかふかの枕に慎重に寝かされていたが、全長50センチ近く、存在感があり過ぎる。
以上、いくらでもレポートは書けるが、このくらいで止めておく。図録は内容の充実度とは裏腹に、物理的に軽量化されていて、ありがたかった。いちおう主催に読売新聞社が入っているが、秋の正倉院展のような派手なプロモーションはおこなっていない。関東地方にいると、全く情報が入ってこない状態である。ポスターも手作りっぽいし、専用ウェブサイトもないし。集客活動よりも「博物館が主体的に、とにかくやりたい企画に全力注入したということなんじゃない?」というのが、私と連れの感想だった。仏像好きにとっては、たぶん10年に一度クラスの至福の展覧会。見逃して後悔することのないよう、強くおすすめしたい。