○佐藤優、斎藤環『反知性主義とファシズム』 金曜日 2015.5
雑誌『週刊金曜日』をベースに企画された対談らしいが、誌面に掲載されたものかどうかはよく分からなかった。佐藤優、斎藤環の両氏は、タイプはかなり違うが、さまざまな媒体で活躍する人気の論客。私もいくつかの著作は読んできている。そして、私もおふたりと同世代なので、「おわりに」に佐藤優氏が挙げている「鉄人28号、宇宙少年ソラン、W3(ワンダースリー)、ひょっこりひょうたん島」等々、子どもの頃見たテレビ番組も共通しているし、社会的な流行、事件、日本の景気の浮き沈みなど、対談の背景として参照される事柄には、感覚を共有する点が多い。
その一方、本書に取り上げられている三つのテーマ「AKB」「村上春樹」「ジブリアニメ」は、日本の現代社会を語る上で重要なキーワードであるにもかかわらず、私は、全く関心がない事項なのだ。本書を読み始めてからこんなことをいうのも変だが、議論の前提がサッパリ分からなくて、本当に頭を抱えてしまった。でも、そこを手探りで読んでいくのは、なかなかスリリングで楽しかった。
「AKB」の章では、濱野智史『前田敦子はキリストを超えた:〈宗教〉としてのAKB48』(これも読んでいない)を題材にアプローチする。まあファン心理を〈宗教〉に喩えるのは、よくある着想だ。佐藤氏の「AKBが世界宗教になって出て行こうとしても宗教が間に合っているところには浸透しないでしょう」とか「AKB信者になるハードルって、民青と同じくらい」(斎藤氏いわく、ももクロは革マル派?)とか、しれっと真面目な批評を返しているのが面白かった。
第二章は、村上春樹の最新長編小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を取り上げる(読んでない)。初期作品にあったジョークや、冗談めかした比喩が減ってきている、という指摘が気になった。私は、あの文体があまり好きではなかったので、そう聞いて、読んでみたくなった。あと、村上春樹が河合隼雄に入れ込んでいるというのは初めて聞く話で、同じ業界(精神科医)の斎藤氏が、それを訝っているのが面白かった。
第三章は、ジブリの長編アニメ『風立ちぬ』(見てない)を素材に、両氏の見解が対立。(実はプロペラ機マニアの)佐藤優氏は、堀越二郎を批判し、かつ宮崎駿作品が持つファシズムとの親和性を厳しく追及する。斎藤氏は擁護的。佐藤氏が、宮崎駿には官僚と似た体質がある、と言って、斎藤氏が驚く箇所があるが、これは斎藤氏のイメージするのが、私も含めて一般庶民が遭遇することの多い下級官僚であるのに対し、佐藤氏が、上級職の「企画外とか破天荒を装う官僚」を知っているからだろう。『風立ちぬ』がもたらす「じわっとした感動」は、ファシズムにつながるストレートな高揚感より、実は始末が悪いという見解にも同意。考えてみると、私は、ジブリアニメを1作も見たことがない(テレビ放映ですら)という、かなり珍しい人間なのだが、自分が何を受け付けないのか、佐藤優氏の分析でよく分かった気がした。
最終章では、この対談が、日本社会におけるファシズムの萌芽をめぐる論考だったことが明らかになる。佐藤氏は、日本には(教科書的な意味での)ファシズムは来ないだろう、という。そこには、さまざまな安全弁(オタクとか、ヤンキーとか)がある。しかし、安心してはいけない。ファシズムのかたちを取らないファシズム、ファシズムよりも恐ろしいものが生まれる状況を警戒しなければならない。昨日今日の国会のニュースを見ながら、その言葉の意味を噛みしめている。
雑誌『週刊金曜日』をベースに企画された対談らしいが、誌面に掲載されたものかどうかはよく分からなかった。佐藤優、斎藤環の両氏は、タイプはかなり違うが、さまざまな媒体で活躍する人気の論客。私もいくつかの著作は読んできている。そして、私もおふたりと同世代なので、「おわりに」に佐藤優氏が挙げている「鉄人28号、宇宙少年ソラン、W3(ワンダースリー)、ひょっこりひょうたん島」等々、子どもの頃見たテレビ番組も共通しているし、社会的な流行、事件、日本の景気の浮き沈みなど、対談の背景として参照される事柄には、感覚を共有する点が多い。
その一方、本書に取り上げられている三つのテーマ「AKB」「村上春樹」「ジブリアニメ」は、日本の現代社会を語る上で重要なキーワードであるにもかかわらず、私は、全く関心がない事項なのだ。本書を読み始めてからこんなことをいうのも変だが、議論の前提がサッパリ分からなくて、本当に頭を抱えてしまった。でも、そこを手探りで読んでいくのは、なかなかスリリングで楽しかった。
「AKB」の章では、濱野智史『前田敦子はキリストを超えた:〈宗教〉としてのAKB48』(これも読んでいない)を題材にアプローチする。まあファン心理を〈宗教〉に喩えるのは、よくある着想だ。佐藤氏の「AKBが世界宗教になって出て行こうとしても宗教が間に合っているところには浸透しないでしょう」とか「AKB信者になるハードルって、民青と同じくらい」(斎藤氏いわく、ももクロは革マル派?)とか、しれっと真面目な批評を返しているのが面白かった。
第二章は、村上春樹の最新長編小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を取り上げる(読んでない)。初期作品にあったジョークや、冗談めかした比喩が減ってきている、という指摘が気になった。私は、あの文体があまり好きではなかったので、そう聞いて、読んでみたくなった。あと、村上春樹が河合隼雄に入れ込んでいるというのは初めて聞く話で、同じ業界(精神科医)の斎藤氏が、それを訝っているのが面白かった。
第三章は、ジブリの長編アニメ『風立ちぬ』(見てない)を素材に、両氏の見解が対立。(実はプロペラ機マニアの)佐藤優氏は、堀越二郎を批判し、かつ宮崎駿作品が持つファシズムとの親和性を厳しく追及する。斎藤氏は擁護的。佐藤氏が、宮崎駿には官僚と似た体質がある、と言って、斎藤氏が驚く箇所があるが、これは斎藤氏のイメージするのが、私も含めて一般庶民が遭遇することの多い下級官僚であるのに対し、佐藤氏が、上級職の「企画外とか破天荒を装う官僚」を知っているからだろう。『風立ちぬ』がもたらす「じわっとした感動」は、ファシズムにつながるストレートな高揚感より、実は始末が悪いという見解にも同意。考えてみると、私は、ジブリアニメを1作も見たことがない(テレビ放映ですら)という、かなり珍しい人間なのだが、自分が何を受け付けないのか、佐藤優氏の分析でよく分かった気がした。
最終章では、この対談が、日本社会におけるファシズムの萌芽をめぐる論考だったことが明らかになる。佐藤氏は、日本には(教科書的な意味での)ファシズムは来ないだろう、という。そこには、さまざまな安全弁(オタクとか、ヤンキーとか)がある。しかし、安心してはいけない。ファシズムのかたちを取らないファシズム、ファシズムよりも恐ろしいものが生まれる状況を警戒しなければならない。昨日今日の国会のニュースを見ながら、その言葉の意味を噛みしめている。