見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

なごみと新奇のうつわ/古唐津(出光美術館)

2017-03-02 21:34:49 | 行ったもの(美術館・見仏)
出光美術館 開館50周年記念『古唐津-大いなるやきものの時代』(2017年2月11日~3月26日)

 「出光コレクション草創期を代表する古唐津コレクションから、約180件を厳選し、展観」という。180件ってほんと?と疑ったが、行ってみたら、確かに見れども見れども古唐津ばかり。出品リスト178件のほとんどは桃山時代の唐津焼である。比較のために美濃焼や朝鮮王朝時代の粉引茶碗や粉青が少し混じっている。

 古唐津は桃山時代の九州で、朝鮮人陶工によって始められた。もう少し詳しくいうと、1580年代、波多氏が朝鮮半島から陶工を連れてきて開窯した。その後、波多氏は失脚するが、秀吉の朝鮮出兵の際に鍋島氏が連れ帰った多数の朝鮮人陶工が加わり、伊万里をはじめとするより広い地域で、絵唐津、奥高麗など(古唐津の種類)が次々に作られていく。以上は展示図録冒頭の解説による。なるほど、いわゆる文禄・慶長の役(1592年から1598年)の際に朝鮮陶工たちを連れ帰ったことで肥前の陶磁器産業が始まったというのは、ちょっと不正確なんだな。

 冒頭では、古唐津のさまざまなバリエーションと名品を展示。大好きな『絵唐津柿文三耳壺』とさっそく対面する。闊達な筆で描かれた柿の木に、丸三つがひとかたまりになった柿の実が散らばっている。もしかすると、10年前の開館40周年記念展『出光美術館名品展』で見て以来だろうか? 荒川正明さんが「柿の木か、梅の木か、本当は分からないのですよ」と発言していらしたことは今でも印象に残っている。私はむかし、梅文だと思っていた。三方に「耳」(つまみ)が付いていて、その根元の鋲を模した飾りも、小さな丸三つである。ほかに、奥高麗、朝鮮唐津など。後半で、それぞれをたっぷり見せてくれる。

 次に古唐津の「経糸(たていと)と緯糸(よこいと)」と題し、ルーツである朝鮮陶磁、同時代の桃山陶芸と並べてみる。基本は素朴でおおらかな朝鮮陶磁だけど、志野や織部など桃山陶芸の斬新なデザインと共通する点もあるのだな、と思う。少ない筆数でちゃちゃっと人物を描いた『絵唐津人物文筒茶碗』を、長谷川等伯の山水図襖(圓徳院)の一部と比べているのは目のつけどころがよくて面白かった。なお、等伯の『竹虎図屏風』が桃山時代らしさを添える。

 私は、絵唐津は好きだが、釉薬の奔放な流れがパセティックな趣きの朝鮮唐津はいまいち。美しいと思うけど、ふだん使いには合わない。奥高麗は好きだ。朝鮮の熊川(こもがい)茶碗より、少しあっさりした雰囲気があるかしら。見分けられる自信はないけど。黒唐津、斑唐津(白っぽい)、二彩唐津は初めて知った。絵唐津は『松文大皿』が好きだし、葦文や秋草文も好き。しかし、以前、唐津で買ってきた茶碗は割ってしまった。磁器と違って、陶器は大切に扱わないと弱いということが身に染みて分かり、以後、陶器は使わないようにしている。

 最後に、出光佐三が古唐津を集め始めるきっかけとなった『絵唐津丸十文茶碗』が飾られていた。「これは偽物だ」という佐三に対し、古美術商は「これが本物の古唐津です」と引き下がらなかったという。通説に満足せず、独自の研究を深めた古美術商だったんだなあと納得できる。この丸十茶碗に限らず、近代の蒐集家に愛されたいくつかの器は、金継ぎが施してあって(割れやすいんだろうなあ)、朽葉色とも枇杷色ともいわれる古唐津の自然な土の色と金色の対比が美しい。あと、小山富士夫作『斑唐津水指』は、どの古唐津とも違って、湧き出る水が凍りついたような色をしていた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする