〇国立公文書館 企画展『漂流ものがたり』(2017年1月14日~3月11日)
なんとか最終日に間に合って見てきた。最近の公文書館は、狭くテーマをしぼった資料展示をいろいろやっているが、これは私の日頃の関心とピタリ合っていて、とても面白かった。海に囲まれた日本に暮らす人びとが体験してきた、近世・近代の「漂流」「漂着」の記録を紹介する。展示資料は35件。
はじめは「異国への漂流」で、行き先は中国、台湾、ベトナム、アメリカ、ロシア、そして無人島(鳥島)も。教科書などでは、アメリカやロシアへ至った漂流者に注目を置きがちだが、当然、中国や台湾に流れ着いた例もたびたびあるのだな。『越前三国浦竹内藤右衛門等韃靼国漂流言上書上(落葉集)』『韃靼漂流記(文鳳堂雑纂)』は、1644(寛永21/正保元)年、越前の船頭竹内藤右衛門らが松前へ貿易に赴く途中、清国(現在のロシア沿海州)に漂着した顛末を伝える。生存者15人は、盛京(瀋陽)に送られ、次いで国都北京へ連行されたのち、翌45年朝鮮を経て日本へ送還された。1644年といえば、3月に李自成が明を滅ぼし、次いで山海関を越えた清軍が李自成軍に大勝し、10月、順治帝が紫禁城で即位した、まさにその年(順治元年)なのである。すごい~!と感心しながら、どこかで聞いたような気もすると思って、自分のブログを検索したら、入江曜子さんの『紫禁城:清朝の歴史を歩く』(岩波新書 2008)に紹介されていた。平凡社の東洋文庫に収める現代語訳、いつか読んでみたい。
『安南国漂流記』によれば、常陸国の漁師が、風にあおられるまま、安南(ベトナム)まで流されてしまう。そんなこともあったんだなあ。驚くべきは「日本国水戸」と書くと通じたらしいとか、「米」と書いたら米を持ってきてくれたとか。漢字文化圏すごい!と感心した。『文化薩人漂流記』は、奄美大島での在番役の交代の帰途、広東省に流された薩摩武士の話である。面白いのは、漂流した先で暮らしていると、新たに日本人が流されてくるという話が多いこと。異国への漂流の例は、けっこう多かったということだろう。
アメリカへの漂流者としてはジョン万次郎が有名だが、嘉永3年(1850)に太平洋を漂流し、アメリカ船に助けられた13歳の彦蔵の話も面白い。アメリカでミッションスクールに入学し、大統領フランクリン・ピアースに面会したりする。9年後、アメリカ領事館付通訳として帰国し、幕末の日米外交交渉で活躍する。どの話も小説やドラマのネタになるなあ、と思って想像をふくらませた。
逆に、日本への漂着としては、中国からの漂着、欧米船の漂着が紹介されているが、わけがわからないのは「うつろ舟の女」。展示資料は『改正甘露草』と『弘賢随筆』である。『弘賢随筆』は、毎月15日、屋代弘賢の友人たちが集まり、披露しあった文章の一篇。享和3年(1803)2月、常陸国の浜に漂着した奇妙なかたちの舟と、それに乗っていた蛮女(異国の女性)のことが記録されている。彼女が持っていた箱の中は「おそらく密通した男の首」と言われている。甘美で怖い話だが、誰かが確かめたわけではなく、「地元の古老」が「昔も同様の漂着があった」と訳知り顔に解説しているのが面白い。ああ~そうだ、澁澤龍彦先生に「うつろ舟」という小説があったなあと懐かしく思い出した。
ロシアに漂着し、女帝エカチェリーナ2世に謁見した大黒屋光太夫の漂流記録は、重要文化財『北槎聞略』とともに特別扱いで展示。一時、北海道民だったことのある私は、北方交流に親しみがあり、懐かしかった。
最近の国立公文書館は、解説入りの展示図録を作らなくなってしまったのは仕方ないとして、展示品リストくらいはネット上げて保存しておいてほしい。あとで、何を見たかが分からなくなってしまうので、なんとかお願いしたい。
なんとか最終日に間に合って見てきた。最近の公文書館は、狭くテーマをしぼった資料展示をいろいろやっているが、これは私の日頃の関心とピタリ合っていて、とても面白かった。海に囲まれた日本に暮らす人びとが体験してきた、近世・近代の「漂流」「漂着」の記録を紹介する。展示資料は35件。
はじめは「異国への漂流」で、行き先は中国、台湾、ベトナム、アメリカ、ロシア、そして無人島(鳥島)も。教科書などでは、アメリカやロシアへ至った漂流者に注目を置きがちだが、当然、中国や台湾に流れ着いた例もたびたびあるのだな。『越前三国浦竹内藤右衛門等韃靼国漂流言上書上(落葉集)』『韃靼漂流記(文鳳堂雑纂)』は、1644(寛永21/正保元)年、越前の船頭竹内藤右衛門らが松前へ貿易に赴く途中、清国(現在のロシア沿海州)に漂着した顛末を伝える。生存者15人は、盛京(瀋陽)に送られ、次いで国都北京へ連行されたのち、翌45年朝鮮を経て日本へ送還された。1644年といえば、3月に李自成が明を滅ぼし、次いで山海関を越えた清軍が李自成軍に大勝し、10月、順治帝が紫禁城で即位した、まさにその年(順治元年)なのである。すごい~!と感心しながら、どこかで聞いたような気もすると思って、自分のブログを検索したら、入江曜子さんの『紫禁城:清朝の歴史を歩く』(岩波新書 2008)に紹介されていた。平凡社の東洋文庫に収める現代語訳、いつか読んでみたい。
『安南国漂流記』によれば、常陸国の漁師が、風にあおられるまま、安南(ベトナム)まで流されてしまう。そんなこともあったんだなあ。驚くべきは「日本国水戸」と書くと通じたらしいとか、「米」と書いたら米を持ってきてくれたとか。漢字文化圏すごい!と感心した。『文化薩人漂流記』は、奄美大島での在番役の交代の帰途、広東省に流された薩摩武士の話である。面白いのは、漂流した先で暮らしていると、新たに日本人が流されてくるという話が多いこと。異国への漂流の例は、けっこう多かったということだろう。
アメリカへの漂流者としてはジョン万次郎が有名だが、嘉永3年(1850)に太平洋を漂流し、アメリカ船に助けられた13歳の彦蔵の話も面白い。アメリカでミッションスクールに入学し、大統領フランクリン・ピアースに面会したりする。9年後、アメリカ領事館付通訳として帰国し、幕末の日米外交交渉で活躍する。どの話も小説やドラマのネタになるなあ、と思って想像をふくらませた。
逆に、日本への漂着としては、中国からの漂着、欧米船の漂着が紹介されているが、わけがわからないのは「うつろ舟の女」。展示資料は『改正甘露草』と『弘賢随筆』である。『弘賢随筆』は、毎月15日、屋代弘賢の友人たちが集まり、披露しあった文章の一篇。享和3年(1803)2月、常陸国の浜に漂着した奇妙なかたちの舟と、それに乗っていた蛮女(異国の女性)のことが記録されている。彼女が持っていた箱の中は「おそらく密通した男の首」と言われている。甘美で怖い話だが、誰かが確かめたわけではなく、「地元の古老」が「昔も同様の漂着があった」と訳知り顔に解説しているのが面白い。ああ~そうだ、澁澤龍彦先生に「うつろ舟」という小説があったなあと懐かしく思い出した。
ロシアに漂着し、女帝エカチェリーナ2世に謁見した大黒屋光太夫の漂流記録は、重要文化財『北槎聞略』とともに特別扱いで展示。一時、北海道民だったことのある私は、北方交流に親しみがあり、懐かしかった。
最近の国立公文書館は、解説入りの展示図録を作らなくなってしまったのは仕方ないとして、展示品リストくらいはネット上げて保存しておいてほしい。あとで、何を見たかが分からなくなってしまうので、なんとかお願いしたい。