見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

ひとときの夢/映画・タクシー運転手 約束は海を越えて

2018-05-08 22:37:22 | 見たもの(Webサイト・TV)
〇チャン・フン監督『タクシー運転手 約束は海を越えて』(2017年)

 1980年5月の光州事件の際、現地取材を敢行したドイツ人記者と、彼を光州に運んだタクシー運転手の実話を基にした韓国映画。韓国映画はほとんど見ない私であるが、これは見たいと思い、日本公開が始まるとすぐに見に行った。期待どおり素晴らしかった。連休を挟んで感想を書くのが遅れてしまったが、鮮烈な印象が消えていないので、全然大丈夫である。

 主人公キム・マンソプはソウルの個人タクシー運転手。妻を亡くして幼い娘と二人暮らしだが、生活は楽ではない。アパートの家賃を滞納しているため、大家の息子に娘がいじめられても強く抗議することができず、育ち盛りの娘に新しい運動靴も買ってやれない。そんなある日、食堂で別のタクシー運転手が「ドイツ人のお客を連れて光州まで往復すれば10万ウォン」という、美味しい話を吹聴しているのを聞き、仕事を横取りしてしまう。ビジネスマンを名乗るドイツ人ヒンツペーター(ピーター)は、戒厳令下の光州を取材するために海外からやってきたジャーナリストだった。

 厳しい情報統制が敷かれていたため、ソウルに暮らすマンソプは、光州で起きていることを全く知らなかった。現地に近づくにつれ、軍が道路を完全封鎖していることが分かる。あきらめてソウルへ戻ろうと提案するが、ピーターに「No クァンジュ NO マネー」と言い渡されて発奮し、山中の抜け道をたどって光州へ入る。軍に制圧され、荒涼とした光州の街で(マンソプの大嫌いな)デモ隊の大学生や、同業のタクシー運転手たちと知り合う。面倒にかかわりたくないと考えるマンソプは、ひそかに逃げ出そうと試みるが、道端に倒れていたおばあさんを助けて病院へ運び、ピーターに再会してしまう。この序盤の展開で、主人公の人柄、機転が利いて行動力もあり、金儲けのことしか考えていないように見えて、優しい心根の持ち主であることが、自然と理解できるようになっている。

 結局、マンソプはソウルに残してきた娘を案じながら、光州のタクシー運転手ファンの家に1泊することになり、ドイツ人ピーター、英語のできる大学生ジェシクとは、次第に打ち解けていく。一方、軍と学生・市民の対立は急速に悪化。軍は本格的な武力によってデモを制圧しようとする。翌朝、マンソプは、ファンの心遣いで車のナンバープレートを付け替え、光州のタクシーを装ってソウルへの帰路をたどる。光州を離れると、嘘のように平和な日常が広がっている。マンソプは娘のために新しい靴を買う。しかし…彼は、再びハンドルを切って光州に戻る。説明的なナレーションや科白は一切なく、観客は息をつめて画面を見守り、マンソプの葛藤を共有し、その決意に納得する。

 記者のピーターはカメラを回し続けていた。軍は怪しい外国人の存在に気づき、彼のカメラを没収しようとする。大学生ジェシクはピーターを守って軍に拘束され、「真実を世界に伝えて!」という叫びを残して命を落とす。光州に戻ったマンソプはその遺体と対面し、呆然とする。そして、ここからマンソプと光州のタクシー運転手たちの大行動が始まる。

 飛び交う銃弾をかいくぐって、街頭にころがる怪我人を救出し、ピーターをソウルの空港に送り届けようとするマンソプの車を援護して、軍の追撃を妨害する。丸っこい緑のタクシーの隊列とゴツい装甲車が対等に張り合うカーチェイス。これはもう、どう見ても娯楽活劇レベルの「虚構」なのだが、思い出してもちょっと泣けてくる。

 そして、最後の重大な「虚構」。ネタバレなので書きたくないが、これを書かずにこの映画を語ってはいけない気がするので敢えて書く。軍の追撃を振り切ったマンソプのタクシーは、検問所に至る。守備隊には「ソウルのタクシーに注意」の情報がすでに共有されていた。「自分は光州のタクシー運転手で、お客を空港に送っていくところ」ととぼけるマンソプ。守備隊の隊長がタクシーのトランクを開けて中を探ると、ソウルのナンバープレートが現れる。多くの観客が万事休すと思ったとき、隊長は無表情に「通せ」と命じ、部下の兵隊はキツネにつままれた表情でゲートを開く。真実を察知したはずの隊長が、なぜ黙ってマンソプのタクシーを通したか。その理由は観客の推測にゆだねられる。私は、光州事件を「軍(悪)と民衆(善)」という対立の図式に回収したくない、という作者の思いの表れではないかと感じた。

 ソウルの空港を発つにあたって、ピーターは「君の名前と連絡先を教えてくれ」とノートを渡すが、マンソプは「キム・サボク」という適当な嘘の名前を書いて渡す。エピローグは2003年(だったと思う)、ピーターは韓国民主化への寄与によって表象を受けるため、韓国を訪れ、忘れらえないタクシー運転手「キム・サボク」に向けて「もう一度、会いたい」と語りかけ、余韻を残して物語は終わる。

 とにかくキム・マンソプ役のソン・ガンホがいい。光州のタクシー運転手のおっちゃんたちは、「韓流」なんてどこの話?というような、いい顔立ちの俳優さんが揃っている。はじめ意地悪に見えたアパートの大家のおばさんも、ちゃんとマンソプの娘を気遣ってくれていたことが後で分かる。光州事件という壮絶で悲惨なできごとを描きながら、温かくて幸せな気持ちが残る。ひとときの夢のような作品である。なお、映画の大ヒットによって、実在のキム・サボクの息子が現れた等の余談もネットで読むことができ、興味深い。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする