○新潮劇院 張宝華追悼京劇公演 三国志『鉄籠山』(2018年5月20日、成城ホール)
中国の古典劇が好きなので、時々ネットで公演情報を探している。よく活用しているのは、加藤徹先生が主宰する「京劇城」で、確かこの講演も「京劇城」で見つけて、申し込んだ。「鉄籠山」という演目は全く知らなかったが、調べたら「蜀の姜維と魏の司馬師の戦い」を描いたものだという。姜維!?司馬師!? 私はそんなに「三国志」に詳しくないので、1年前なら食指が動かなかったかもしれないが、昨年、夢中になった中華ドラマ『軍師聯盟』『虎嘯龍吟』で、すっかり馴染んだキャラクターである。これは見に行くしかない、と思った。
新潮劇院は、1996年、北京京劇院出身の京劇役者・張春祥氏が東京都・世田谷区に設立した在日京劇団だそうだ。主要キャストは中国人名だったが、激しい立ち回りを見せる兵士役は、ほぼ日本人がつとめていた。今回の公演は、張春祥氏の父で、京劇の師であり、劇団の芸術顧問でもあった張宝華氏(1930-2017、中国国家一級芸術家)の追悼を意識したものである。どうでもいいことのようだが、この芝居が、諸葛孔明亡きあと、師の遺志を受け継いで奮戦する姜維の物語であること、張春祥さんが「鉄籠山」を選んだ意味を考えあわせると、他人ながら感慨深いものがある。
そんなに混まないだろうとタカをくくって行ったら、約400名収容のホールがいっぱいになっていた。当日券を求めるお客さんが多くて、対応が追いつかず、開演が10分ほど遅れた。私は京劇だけのつもりで行ったら、加藤徹先生がいらしていて、冒頭に30分ほど京劇レクチャーがあって、とてもよかった。まず「鉄籠山」が、演じられることの少ない、非常にレアな演目だというお話があった。なぜなら「三国志」は絶対に前半のほうが華やかで面白い。ところが、劉備・関羽・張飛らが死に、諸葛孔明が死んだあとは、閉塞感がきわまり、人気がない。吉川英治の『三国志』も、孔明の死後は「篇外余録」というエッセイでお茶を濁しているのだそうだ。
最近の大学の先生は、ふだんの講義も面白いんだろうなあ。京劇の演出上の約束事や、登場人物の解説も(マンガやゲームの絵柄との比較で会場を笑わせる)分かりやすくてためになった。魏と蜀に加えて異民族「羌」の武将たちが入り乱れるので、最低限、誰と誰がチームかを衣装と隈取で把握しておくと、劇の進行も分かりやすくなる。三国志は、魏・呉・蜀のほかに羌族を加えた実質「四国志」だという話も面白かった。主人公・姜維は忠義の赤心を表す赤い隈取、額に太極図を描くのは術者の証だという。司馬師は陰険そうな白面。冠に上向きの霊獣の首をつける。司馬師にしか使わない装飾で、加藤先生が「ウナギイヌみたい」と解説していたのに笑った。魏の将軍・郭淮、陳泰、蜀の将軍・馬岱、夏侯覇、さらに羌族の王・迷当。全員が4本の三角旗を背負っており、華やかな立ち回りの連続である。
物語は蜀漢の延熙16年(253)、北伐に向かった姜維は、魏の司馬師を鉄籠山に追いつめ、羌族の王・迷当の援軍を得て、一気に勝負を決しようとしていたが、魏の陳泰は迷当を口説いて寝返らせる(小早川秀秋である、と加藤先生)。一転して、窮地に至る蜀軍。前半で、堂々とした軍服・冠姿だった姜維は、後半、なんとそれらを脱ぎ捨て(剥ぎ取られ?)、ナイトキャップのような帽子から長い髪を振り乱し、よろよろと登場する。京劇で、武将のこんな姿を見たのは初めてだった。
敵の追撃を振り切り、馬岱に助けられる姜維だが、四十五万の蜀軍がわずか七人と五騎しか残っていないと聞かされ、「軍師!武侯!(孔明のこと)」と天を仰ぎ、再起を期して去っていく。えええ、これで終わり!?とびっくりした。まるで救いようがないではないか。これでは人気の演目にならないだろうなあと思った。
しかし、バッドエンドの苦々しさを噛み締めるのも大人の愉しみで、張春祥さんの姜維は、敗残の将となっても威厳と品格があって、とてもよかった。『虎嘯龍吟』の姜維(白海涛)が年齢を重ねたら、こんなふうになるだろうと思った。あまりアクロバティックな立ち回りはなかったが、特別出演の石山雄太さん、兵士の一人をやっていて、さすが動きにキレがあった。楽しめる芝居だったが、「唱」が少なかったのが物足りない。終演後は、カーテンコールで張春祥さんから挨拶があり、アットホームな舞台だった。
なお、新潮劇院のホームページで故張宝華氏の紹介を読んだら、6歳から舞台に上がり、22歳で劇団長となり、文化大革命以前は年間700以上の舞台に立っていたが、文革中は「封建主義者」の罪で舞台を追われ、1972年の名誉回復で団長の座に戻ったという。映画『さらば、わが愛/覇王別姫』を思い出すような閲歴である。いや、加藤徹先生の『京劇:「政治の国」の俳優群像』には、文革中に同様の経験をした京劇俳優たちのつらい話がたくさんあったなあ、と思い出す。
中国の古典劇が好きなので、時々ネットで公演情報を探している。よく活用しているのは、加藤徹先生が主宰する「京劇城」で、確かこの講演も「京劇城」で見つけて、申し込んだ。「鉄籠山」という演目は全く知らなかったが、調べたら「蜀の姜維と魏の司馬師の戦い」を描いたものだという。姜維!?司馬師!? 私はそんなに「三国志」に詳しくないので、1年前なら食指が動かなかったかもしれないが、昨年、夢中になった中華ドラマ『軍師聯盟』『虎嘯龍吟』で、すっかり馴染んだキャラクターである。これは見に行くしかない、と思った。
新潮劇院は、1996年、北京京劇院出身の京劇役者・張春祥氏が東京都・世田谷区に設立した在日京劇団だそうだ。主要キャストは中国人名だったが、激しい立ち回りを見せる兵士役は、ほぼ日本人がつとめていた。今回の公演は、張春祥氏の父で、京劇の師であり、劇団の芸術顧問でもあった張宝華氏(1930-2017、中国国家一級芸術家)の追悼を意識したものである。どうでもいいことのようだが、この芝居が、諸葛孔明亡きあと、師の遺志を受け継いで奮戦する姜維の物語であること、張春祥さんが「鉄籠山」を選んだ意味を考えあわせると、他人ながら感慨深いものがある。
そんなに混まないだろうとタカをくくって行ったら、約400名収容のホールがいっぱいになっていた。当日券を求めるお客さんが多くて、対応が追いつかず、開演が10分ほど遅れた。私は京劇だけのつもりで行ったら、加藤徹先生がいらしていて、冒頭に30分ほど京劇レクチャーがあって、とてもよかった。まず「鉄籠山」が、演じられることの少ない、非常にレアな演目だというお話があった。なぜなら「三国志」は絶対に前半のほうが華やかで面白い。ところが、劉備・関羽・張飛らが死に、諸葛孔明が死んだあとは、閉塞感がきわまり、人気がない。吉川英治の『三国志』も、孔明の死後は「篇外余録」というエッセイでお茶を濁しているのだそうだ。
最近の大学の先生は、ふだんの講義も面白いんだろうなあ。京劇の演出上の約束事や、登場人物の解説も(マンガやゲームの絵柄との比較で会場を笑わせる)分かりやすくてためになった。魏と蜀に加えて異民族「羌」の武将たちが入り乱れるので、最低限、誰と誰がチームかを衣装と隈取で把握しておくと、劇の進行も分かりやすくなる。三国志は、魏・呉・蜀のほかに羌族を加えた実質「四国志」だという話も面白かった。主人公・姜維は忠義の赤心を表す赤い隈取、額に太極図を描くのは術者の証だという。司馬師は陰険そうな白面。冠に上向きの霊獣の首をつける。司馬師にしか使わない装飾で、加藤先生が「ウナギイヌみたい」と解説していたのに笑った。魏の将軍・郭淮、陳泰、蜀の将軍・馬岱、夏侯覇、さらに羌族の王・迷当。全員が4本の三角旗を背負っており、華やかな立ち回りの連続である。
物語は蜀漢の延熙16年(253)、北伐に向かった姜維は、魏の司馬師を鉄籠山に追いつめ、羌族の王・迷当の援軍を得て、一気に勝負を決しようとしていたが、魏の陳泰は迷当を口説いて寝返らせる(小早川秀秋である、と加藤先生)。一転して、窮地に至る蜀軍。前半で、堂々とした軍服・冠姿だった姜維は、後半、なんとそれらを脱ぎ捨て(剥ぎ取られ?)、ナイトキャップのような帽子から長い髪を振り乱し、よろよろと登場する。京劇で、武将のこんな姿を見たのは初めてだった。
敵の追撃を振り切り、馬岱に助けられる姜維だが、四十五万の蜀軍がわずか七人と五騎しか残っていないと聞かされ、「軍師!武侯!(孔明のこと)」と天を仰ぎ、再起を期して去っていく。えええ、これで終わり!?とびっくりした。まるで救いようがないではないか。これでは人気の演目にならないだろうなあと思った。
しかし、バッドエンドの苦々しさを噛み締めるのも大人の愉しみで、張春祥さんの姜維は、敗残の将となっても威厳と品格があって、とてもよかった。『虎嘯龍吟』の姜維(白海涛)が年齢を重ねたら、こんなふうになるだろうと思った。あまりアクロバティックな立ち回りはなかったが、特別出演の石山雄太さん、兵士の一人をやっていて、さすが動きにキレがあった。楽しめる芝居だったが、「唱」が少なかったのが物足りない。終演後は、カーテンコールで張春祥さんから挨拶があり、アットホームな舞台だった。
なお、新潮劇院のホームページで故張宝華氏の紹介を読んだら、6歳から舞台に上がり、22歳で劇団長となり、文化大革命以前は年間700以上の舞台に立っていたが、文革中は「封建主義者」の罪で舞台を追われ、1972年の名誉回復で団長の座に戻ったという。映画『さらば、わが愛/覇王別姫』を思い出すような閲歴である。いや、加藤徹先生の『京劇:「政治の国」の俳優群像』には、文革中に同様の経験をした京劇俳優たちのつらい話がたくさんあったなあ、と思い出す。