〇石橋克彦『大地動乱の時代:地震学者は警告する』(岩波新書) 岩波書店 1994.8
先日読み終えた『東電原発裁判』(添田孝史、岩波新書 2017)で、地震学の進歩によって分かって来たことというのが面白かったので、もう1冊、地震学の本を読みたいと思い、本書にした。1994年刊行だからちょっと古い。いや、個人的には「ついこの間」くらいの感覚だが、地震に関しては、2011年の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)も、1995年の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)も、まだ「未来」に属する時代の著作であり、タイムマシンで歴史をさかのぼるような、紛れ込んだ未来人になったような、読んでいて不思議な気持ちだった。
著者のいう「大地動乱の時代」とは、幕末に始まる関東・東海地方の大地震活動期のことである。嘉永小田原地震に始まり、東海・南海大地震が続き、安政大地震が江戸を直撃する。そして、明治・大正の地震活動期を経て、ついに大正12年の関東大震災に至る。本書の前半は、これら連続的に発生した大地震の実態を、ひとつひとつ詳しく紹介する。関東大震災はともかく、幕末の大地震といえば、私は安政大地震くらいしか意識していなかったので、非常に興味深かった。
皮切りは嘉永6年(1853)の嘉永小田原大地震である。小田原城が大破。江戸でも人家がつぶれたり、壁が落ちたり土蔵が痛んだりした。これ以前、江戸は元禄16年(1703)の元禄関東地震で被害を受けて以来、150年間も大地震に見舞われていなかったという事実に驚く(日本列島の他の地域では大地震あり)。大雑把に「日本は地震大国」とか言ってしまうけれど、人が生まれた時代と地域によって、ずいぶん体験に差があるものだ。
翌年、嘉永7年=安政元年(1854)陰暦11月4日に発生した安政東海地震は、江戸や東海道に被害をもたらしただけでなく、中部・北陸・大阪でも建物損壊や死傷者を出した。さらに最初の巨大地震から30時間後、紀伊半島南部から四国南部を安政南海大地震が襲った。最初の安政東海地震によって、伊豆下田に来航していたロシアのプチャーチンの乗艦ディアナ号が被災した顛末も詳しく語られており、ロシアの水兵たちが村民の医療活動にあたったこと、ディアナ号が沈没した際は村民がロシア人を介抱したことなど、初めて知る話も多かった。幾多の苦難を乗り越えて、日露和親条約が締結された日(陽暦2月7日)が「北方領土の日」となっているというが、もう少し別の視点からこの条約の意味を振り返ることはできないものか。
そして安政2年(1855)10月に最悪の都市直下型大地震である安政大地震が起きた。この地震は多難な時局の折に国の心臓部を直撃し、経済的損失、人材の損失、幕府の権威低下など、さまざまな影響を引き起こした。しかし「幕府の町方に対する震後措置はなかなか迅速だった」という著者の評価は心に留めておきたい。
次に私が知っている関東地方の大地震は、大正12年(1923)の関東大震災になるのだが、安政大地震以後、明治に入ってもM6~7程度の地震が数年に1回のペースで続いていたことは初めて知った。大正38年(1905)、東大地震学教室の今村明恒助教授が雑誌『太陽』に「東京は50年以内に大地震に襲われる」という論説を発表し、次第にデマや悪質ないたずらを誘発する騒ぎとなる。地震学研究室の先輩、大森房吉教授は今村説を否定して、ひとまず世上の不安を鎮めた。関東大震災の日、今村はまさに本郷の研究室にいた。大森は外遊中で、シドニーの地震観測所でちょうど地震計の前に立ったとき、描針が動き出して、太平洋の遠方で大地震が発生したことを知る。なんだこの、ドラマみたいな筋書きは!
日本の社会は、関東大震災を機にさらなる激動の時代に入って行く。一方、関東地方の地下で70余年間続いた「大地動乱の時代」は、1923年の関東大地震とその余震活動によって幕を閉じ、「大地の平和の時代」に入る。
本書後半は、関東・東海地方の大地震はなぜ起きるのかという解説で、変動帯(地震帯)で囲まれた岩石圏の区画を「プレート」とみなし、球面(地球表面)に敷きつめられたプレート群の運動を数学的に解析する「プレートテクトニクス」から説明されている。フィリピン海プレートとかユーラシアプレートという言葉は聞いたことがあるが、地域別には小規模な「マイクロプレート」を考えることが多く、関東付近のプレートのせめぎ合いの歴史は非常に複雑であることが分かった。余談だが、今年2018年4月、ユネスコ世界ジオパークに認定された伊豆半島についての解説も興味深く読んだ。
著者は、再び「大地動乱の時代」が迫っていると考える。最悪のシナリオは「今世紀(20世紀)末から来世紀初めにM7クラスの大地震が発生」し、小田原地震に引き金をひかれてM8クラスの東海地震が発生し、その結果、首都圏直下が大地震活動期に入る(以下略)というものだ。要するに、上述の幕末から大正までの体験の繰り返しと考えればよい。
いま本書を読んで感慨深いのは、「来世紀初めにM7クラスの大地震が発生」が今日まで実現していないということだ。しかし「小田原地震は多少時期が遅れたり規模が小さかったりしても、結局おこる可能性が高い」という。プレートが動いている限り、ひずみの蓄積は続くから、先送りされるほど事態は悪化する、という記述にため息をつく。避けられない「大地動乱」の再来に対し、できる備えをしておこう。
先日読み終えた『東電原発裁判』(添田孝史、岩波新書 2017)で、地震学の進歩によって分かって来たことというのが面白かったので、もう1冊、地震学の本を読みたいと思い、本書にした。1994年刊行だからちょっと古い。いや、個人的には「ついこの間」くらいの感覚だが、地震に関しては、2011年の東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)も、1995年の阪神・淡路大震災(兵庫県南部地震)も、まだ「未来」に属する時代の著作であり、タイムマシンで歴史をさかのぼるような、紛れ込んだ未来人になったような、読んでいて不思議な気持ちだった。
著者のいう「大地動乱の時代」とは、幕末に始まる関東・東海地方の大地震活動期のことである。嘉永小田原地震に始まり、東海・南海大地震が続き、安政大地震が江戸を直撃する。そして、明治・大正の地震活動期を経て、ついに大正12年の関東大震災に至る。本書の前半は、これら連続的に発生した大地震の実態を、ひとつひとつ詳しく紹介する。関東大震災はともかく、幕末の大地震といえば、私は安政大地震くらいしか意識していなかったので、非常に興味深かった。
皮切りは嘉永6年(1853)の嘉永小田原大地震である。小田原城が大破。江戸でも人家がつぶれたり、壁が落ちたり土蔵が痛んだりした。これ以前、江戸は元禄16年(1703)の元禄関東地震で被害を受けて以来、150年間も大地震に見舞われていなかったという事実に驚く(日本列島の他の地域では大地震あり)。大雑把に「日本は地震大国」とか言ってしまうけれど、人が生まれた時代と地域によって、ずいぶん体験に差があるものだ。
翌年、嘉永7年=安政元年(1854)陰暦11月4日に発生した安政東海地震は、江戸や東海道に被害をもたらしただけでなく、中部・北陸・大阪でも建物損壊や死傷者を出した。さらに最初の巨大地震から30時間後、紀伊半島南部から四国南部を安政南海大地震が襲った。最初の安政東海地震によって、伊豆下田に来航していたロシアのプチャーチンの乗艦ディアナ号が被災した顛末も詳しく語られており、ロシアの水兵たちが村民の医療活動にあたったこと、ディアナ号が沈没した際は村民がロシア人を介抱したことなど、初めて知る話も多かった。幾多の苦難を乗り越えて、日露和親条約が締結された日(陽暦2月7日)が「北方領土の日」となっているというが、もう少し別の視点からこの条約の意味を振り返ることはできないものか。
そして安政2年(1855)10月に最悪の都市直下型大地震である安政大地震が起きた。この地震は多難な時局の折に国の心臓部を直撃し、経済的損失、人材の損失、幕府の権威低下など、さまざまな影響を引き起こした。しかし「幕府の町方に対する震後措置はなかなか迅速だった」という著者の評価は心に留めておきたい。
次に私が知っている関東地方の大地震は、大正12年(1923)の関東大震災になるのだが、安政大地震以後、明治に入ってもM6~7程度の地震が数年に1回のペースで続いていたことは初めて知った。大正38年(1905)、東大地震学教室の今村明恒助教授が雑誌『太陽』に「東京は50年以内に大地震に襲われる」という論説を発表し、次第にデマや悪質ないたずらを誘発する騒ぎとなる。地震学研究室の先輩、大森房吉教授は今村説を否定して、ひとまず世上の不安を鎮めた。関東大震災の日、今村はまさに本郷の研究室にいた。大森は外遊中で、シドニーの地震観測所でちょうど地震計の前に立ったとき、描針が動き出して、太平洋の遠方で大地震が発生したことを知る。なんだこの、ドラマみたいな筋書きは!
日本の社会は、関東大震災を機にさらなる激動の時代に入って行く。一方、関東地方の地下で70余年間続いた「大地動乱の時代」は、1923年の関東大地震とその余震活動によって幕を閉じ、「大地の平和の時代」に入る。
本書後半は、関東・東海地方の大地震はなぜ起きるのかという解説で、変動帯(地震帯)で囲まれた岩石圏の区画を「プレート」とみなし、球面(地球表面)に敷きつめられたプレート群の運動を数学的に解析する「プレートテクトニクス」から説明されている。フィリピン海プレートとかユーラシアプレートという言葉は聞いたことがあるが、地域別には小規模な「マイクロプレート」を考えることが多く、関東付近のプレートのせめぎ合いの歴史は非常に複雑であることが分かった。余談だが、今年2018年4月、ユネスコ世界ジオパークに認定された伊豆半島についての解説も興味深く読んだ。
著者は、再び「大地動乱の時代」が迫っていると考える。最悪のシナリオは「今世紀(20世紀)末から来世紀初めにM7クラスの大地震が発生」し、小田原地震に引き金をひかれてM8クラスの東海地震が発生し、その結果、首都圏直下が大地震活動期に入る(以下略)というものだ。要するに、上述の幕末から大正までの体験の繰り返しと考えればよい。
いま本書を読んで感慨深いのは、「来世紀初めにM7クラスの大地震が発生」が今日まで実現していないということだ。しかし「小田原地震は多少時期が遅れたり規模が小さかったりしても、結局おこる可能性が高い」という。プレートが動いている限り、ひずみの蓄積は続くから、先送りされるほど事態は悪化する、という記述にため息をつく。避けられない「大地動乱」の再来に対し、できる備えをしておこう。