〇君塚直隆『エリザベス女王:史上最長・最強のイギリス君主』(中公新書) 中央公論新社 2020.2
君塚先生の本は、2年前に『立憲君主制の現在』を読んだことがある。20世紀の後半に共和制に転じたエジプト、イラク、イランに始まり、イギリス、デンマーク、オランダなど、ヨーロッパ各国の君主制について論じた著書である。その中でも、やはりイギリス王室の歩みがいちばん面白かった。
本書は、在位68年に及ぶ現在の女王陛下、エリザベス2世(1926-)の人生を振り返りながら、第二次世界大戦後のイギリスと世界の歴史をひもとく物語である。人生のどの段階もドラマチックで、退屈とか停滞の時期がない。
第一次世界大戦(1914-18)終結後、イギリスは大衆民主政治の時代を迎えるとともに、経済の悪化に苦しみ、社会主義運動や労働運動が活発化していた。1926年、国王ジョージ5世の次男アルバート王子(のちのジョージ6世)とエリザベス(母)の間に生まれたのがエリザベス(幼名リリベット)である。1936年、ジョージ5世の崩御により、王位は長男のエドワード8世に継承される。ところが、エドワード8世は「王位を賭けた恋」によって王室を離脱、弟のジョージ6世が即位し、10歳のリリベットは王位継承者としての修業を始めることになる。
12歳で舞踏会にデビューしただけではなく、13歳からイギリス国制史を学び始めるのだから、王位継承者の責任は重い。第二次世界大戦中は、15歳で近衛歩兵の連隊長に任ぜられ、18歳でイギリス陸軍の婦人部隊に入隊する。軍用トラックで物資を運送することを任務とし、大型自動車の整備や修理を修得する。ああ、だから昔見た映画『クイーン』(2006年)のエリザベス女王は四駆を運転していたのか。
戦後、結婚して出産。1952年、父王の死によって25歳で即位する。若いなあ。最近は長寿命化で若い元首を見ることが少ないので、びっくりする。女王治世下の最初の首相がチャーチルで、さりげなく注釈に「孫のような年齢の若く美しい女王に淡い「恋心」を抱いていたとも言われる」と記されているのが小説のようでときめく。
即位後のエリザベスは、旧敵国との和解をひとつずつ果たし、イギリスのEC加盟を実現し、コモンウェルス(英連邦)の国々、特にアフリカの安定と民主化に尽力する。その一方、北アイルランド紛争に苦しみ、コモンウェルス嫌いのサッチャーとは性分が合わなかったが、実力は評価していた。
1990年代はイギリス王室のスキャンダルが相次ぎ、チャールズとダイアナの離婚(1996年)、ダイアナの死(1997年)によって、王室支持率が急落する。このへんは君塚先生の前著とも重なるが、国民は王室が「慎ましく」行っていた慈善活動を全く認知しておらず、少々軽薄でもアピール上手なダイアナのやりかたのほうが支持を得ていた。そこからエリザベスは学んでいく。このとき既に在位40年以上、齢70を超えても「すぐに失敗から学び取れる君主」は退勢を挽回するのだ。この頭脳と行動力には本当に目を見張る。
21世紀のイギリス王室は矢継ぎ早に改革を進めていく。まずチャールズ、次いでエリザベスの宮廷がウェブサイトを立ち上げ、年間の公務の詳細、パトロンをつとめる各種団体のリスト等を公開した。それから王室の歳費が、国民の税金ではなく、王室が有する所領の収入で成り立っていることも明らかにした。やっぱり情報公開は、信頼を生むための最善の方法だと思う。YouTubeやTwitterも活用。エリザベス女王は2回だけ、自らツイッターに書き込んだことがあるそうだ。それから「男子優先の長子相続」と「カトリックとの婚姻禁止」を改めたことも感銘深いので(前著の感想に続き)再掲しておく。ポジティブな意味で「転がる石に苔は生えない」リーダーだと思う。
国民からの支持は回復し、歴史と経験を踏まえた王室外交でも成果をあげる。アイルランドとの関係も、70-80年代が嘘のように回復したんだなあ。ウィリアム王子とキャサリン妃の一家も好感度が高い。一方で、ハリーとメーガン夫妻の問題、EU離脱の後始末など、女王陛下の苦労も続く。本書の範囲外になるが、今月初めには、新型コロナウイルスの感染拡大防止のため、国民に結束を呼びかけている。
昨日4月21日に94歳の誕生日を迎えられた女王陛下、たぶん胸中にあるのは、即位前の1947年、21歳の誕生日にラジオで語ったスピーチ「私の人生は、それが長いものになろうが短いものになろうが、私たち皆が属する帝国という大いなる家族への奉仕に捧げられることをここに宣言いたします」という思いだろう。稀有の人生である。どうか、このコロナ危機の終息を見届けて、長生きなさってください。