〇内田百閒、小川洋子『小川洋子と読む内田百閒アンソロジー』(ちくま文庫) 筑摩書房 2020.2
新型コロナウイルス感染症の影響で、とうとう緊急事態宣言が発せられ、仕事は原則在宅勤務となった。まだ近所のお店は開いているし、この数日、天気もいいので、それほど気持ちは落ち込まないが、なんとなく胸の奥に不安が忍び込んでいる感じがする。それなら、もっと不安な小説に耽溺してしまえばいいのではないか。そう意識したわけではないが、書店で目についた本書を思わず買ってしまった。
撰者の小川洋子さんは「生涯、百閒以外、読んではならない」と言われても受け入れるだろうと公言する百閒ファンだそうだ。本書は、作品のあとに小川洋子さんの短いコメントがついている。批評や解説ではなく感想のようなもの。最初は邪魔だと思ったが、そこに注目するか!やっぱり!みたいなファンどうしの目くばせができて、だんだん楽しくなった。
収録作品は「旅愁」「冥途」「件」「尽頭子」「蜥蜴」「梟林記」「旅順入城式」「鶴」「桃葉」「柳撿挍の小閑」「雲の脚」「サラサーテの盤」「とほぼえ」「布哇の弗」「他生の縁」「黄牛」「長春香」「梅雨韻」「琥珀」「爆撃調査団」「桃太郎」「雀の塒」「消えた旋律」「残夢三昧」。幻想的な短編小説の名作を中心に、少年時代の思い出、弟子や周りの人々の思い出、本格的な創作、ユーモア身辺雑記など多様な作品がとられている。創作童話「桃太郎」も挿絵入り(谷中安規画伯!!)で収録されていて嬉しい。
私は、1980年代に旺文社文庫が刊行した内田百閒全著作シリーズ(田村義也さん装丁)を全冊買って全冊読んだ百閒ファンであるから、本書の収録作品はもちろん全て読んでいる。だが、題名を見るだけで鮮明に思い出すものもあれば、読みながら次第に内容を思い出すものもあった。知っていると思って読み進むうちに、全く記憶にない表現を見つけてハッとなったものもある。
「冥途」「件」「旅順入城式」「鶴」「サラサーテの盤」などは、問答無用で好きな作品。いつも主人公には百閒先生の姿を想像しながら読むのだが、「サラサーテの盤」だけは映画『ツィゴイネルワイゼン』の印象が強くて、主人公を藤田敏八、その友人・中砂を原田芳雄で想像することしかできない。「鶴」は文章が好きすぎて、何度か声に出して朗読してみたことがある。私は本当に百閒の文章が好きで、緩急のリズムがとても合うのだ。
「とほぼえ」は、風の中で素早く位置を変える犬の声のイメージだけ覚えていたが、道具立てが何もかも巧い(少し巧すぎるか)怪談である。「尽頭子」も怪談だが、どこか滑稽な感じが好きだった。このジャンルには、個人的に採ってほしかった作品があって、見知らぬ盲人が自分の行先に先回りをするというものである。題名を思い出せないのだが『旅順入城式』の「先行者」だろうか。
幻想小説以外だと、宮城道雄氏の鉄道事故死を淡々と描いた「東海道苅谷駅」も好きだった。本書収録の「旅愁」にも宮城さんは登場するのだが。弟子で飛行家の中野勝義の死を描いた「空中分解」も記憶に残っている。「長春香」もそうだが、百閒は、親しい人の死を悼むために書いた文章(小説と随筆の間くらい)に心打たれるものが多い。芥川や、漱石先生について書いた作品もあったはずだ。
鳥の話も欲しかったし、猫の話も欲しい。なんだか本書の感想にならず、本書に採られなかった作品のことばかり書いているが、「残夢三昧」を最後に配して、最後の行で、しくしく泣いている猫のノラの姿を見せてくれたのは撰者の配慮ではないかと思う。小川洋子さん、百閒の生家から歩いて五分もかからないところに住んでいたのだそうだ。うらやましい。