〇大東和重『台湾の歴史と文化:六つの時代が織りなす「美麗島」』(中公新書) 中央公論社 2020.2
私はもともと中華圏好きなので、台湾にも興味はあった。初めて台湾に旅行したのは2000年代の初めだったと思う。それからしばらく間が空いて、この数年、毎年台湾旅行を繰り返すようになって、確かに中華圏の一部であるが、それ以上に独特なこの国の文化と歴史に、今とても関心を持っている。
本書は主に17世紀のオランダ統治から近現代までの台湾の歴史を、その前史となる先住民族文化も含めて語ったものである。著者の専門は文学で、最初に「歴史の専門家ではない」と断り書きがあるように、客観的で網羅的な歴史地理の概説書ではない。著者は、日本人(日本統治時代の台湾で生まれた人々を含む)が見た、日本語で書き残された台湾に拘りながら、この国の歴史と文化を紹介していく。やや情緒的な記述が多く、好き嫌いが分かれるかもしれないが、具体的な「場所」の記憶と結びついたエピソードが多くて興味深かった。
たびたび登場する人物には、民族考古学者の國分直一(1908-2005)、作家の葉石濤(1925-2008)と新垣宏一(1913-2002)、歴史学者の前嶋信次(1903-1983)、兄弟ともに東京帝国大学で学んだ王育霖(1919-1947)と王育徳(1924-1985)などがおり、彼らは全て台湾南部に縁がある。それは当然で、台湾はまず南部から開けた。
第3章は、オランダ守備隊と鄭成功の戦いの舞台となった港町安平の盛衰を語ったもの。私は2016年に2時間くらい滞在しただけだが、懐かしかった。安平古堡の東側が古い街並みだったのか。もう一度訪ねて、狭い路地に迷い込んでみたい。銘菓・塩酸甜(キャムスイテン:フルーツの砂糖漬け)も覚えておこう。そして、恋愛問題に悩む佐藤春夫がひと夏を台湾で過ごし、安平と台南を舞台に「女誡扇綺譚」という小説を書いていることも初めて知った。
第4章は、さまざまな証言に基づき、歴史と信仰の息づく古都台南を紹介する。本書の白眉と言ってよいだろう。台南は街中に古い廟や寺があって、週末はどこかの廟で必ず祭りがあるという。私は台南も正味3時間くらいの滞在だったが、故郷を思うような懐かしさが込み上げてくる。「地球の歩き方」を参考にした個人旅行で、赤嵌楼、孔子廟、延平郡王祠などのほか、路地裏の小さな廟もいくつかまわったが、ああ、やっぱり本書を持って再訪したい! 海峡を渡ってきた移民たちにとって、信仰がとても重要だったこと、閩南(福建)系の廟は装飾多く華やかだが、客家は質朴を好むというのは、分かる気がする。
そんな台南にも動乱の時代がやってくる。1895年、下関条約によって日本への台湾割譲が決まるが、台湾島民は台湾巡撫の唐景崧を総統に奉じ、「台湾民主国」の独立を宣言する。その後、大将軍・劉永福が台南において台湾民主国の再興を画策するが、日本軍の南下を阻止できず、抵抗は終わった。このへんの歴史はよく知らなかった。今度、台湾に行ったら気を付けて旧跡などを探そう。
1910年代には「大正デモクラシー」の影響もあって、台湾統治が武断から文治に変化した。民族運動に対する監視は厳しかったが、台湾人の生活に対する干渉は弱く、伝統的な信仰や生活習慣は保たれた。それでも、当時の中学生の記憶の中にさえ、日本人から本島人への差別はあったし、1915年には抗日武装蜂起の西来庵事件が台南で起きている。
やがて戦争が始まり、皇民化運動が強化されると、台南でも台北でも伝統的な廟の祭りが縮小化された(戦後に復活できて本当によかった)。もっと悲惨なのは、台湾の人々が大日本帝国軍の兵士や軍属として戦場に送られたことだ。山岳地帯に慣れた先住民族の若者たちは高砂義勇隊となった。しかも、戦後、日本政府は長く元兵士に補償をしなかった。恥を知れと言いたい。
台湾人元日本兵への補償運動に尽力したのが、日本の大学で教鞭をとった言語学者の王育徳である。王育徳の兄・王育霖は、台北で二・二八事件に巻き込まれ、そのまま行方不明になった。台南で二・二八事件の処理委員会委員を務めた弁護士の湯徳章(1907-1947)は、国民党政府に敵対するものとして、台南の大正公園で銃殺された。私、このロータリー広場(湯徳章紀念公園/民生緑園)は側を通っていると思う。何も知らずに。
台湾、風景はあんなに美しいのに、近現代の歴史は本当に苛酷だと思う。でも未来をあきらめない人々がいたから、いまの民主台湾があるのだと思う。