■ふくやま美術館 特別展『ふくやまの仏さま-国宝明王院本堂本尊33年ぶり特別公開記念』(2024年10月12日~12月15日)
金曜は広島で仕事があり、西条に泊まった。土曜の朝、西条酒蔵通りに心惹かれながら、かねての予定どおり、朝イチで福山へ移動し、駅前の美術館を訪ねた。同館は、福山市、府中市、神石高原町の3市町による広域圏の美術館だという。本展は、明王院(福山市草戸町)本堂本尊「十一面観音立像」が33年に1度の御開帳を迎えることを記念し、福山市内の約20ヶ寺に安置されている貴重な仏像、仏画など40件余りを展示するもの。
仏像では1件だけ、鞆町・安国寺の阿弥陀如来及び両脇侍立像(鎌倉時代)が撮影可だった(顔出しパネルにもなっていた)。いわゆる善光寺式阿弥陀三尊像だが、ほぼ等身大という異例のサイズ感。
また鞆町・地蔵院の十一面観音立像は唇の間に上歯4本を見せているという。よく見えなかったが、おお、日本にも「露歯菩薩」がいらっしゃるんだ!と感心した。鞆の浦に、また行ってみたくなった。
2階の第2会場は明王院の特集展示になっていて、十一面観音立像のほか、弥勒菩薩坐像及び両脇侍(不動・愛染)坐像(南北朝時代、彩色が派手)、不動明王立像(室町~江戸時代)及び矜羯羅・制吒迦2組(江戸時代)がいらしていた。秘仏の十一面観音は平安時代前期の作だというから、安芸国に縁の深い平家の人々も拝んでいるかしら。心もち右足を踏み出し、顔と身体をやや左(向かって右)に傾けている。また左足の親指だけがかすかに上がっている。水瓶を持った左手は胸に引き付け、長い右手を身体の側面に垂らす。正面から見ると、眉をしかめたような厳しい表情だが、横から見ると印象がやわらぐ。小柄だが無駄のないしっかりした肉付きで、働き者の少女を思わせる。徐々に思い出したのだが、私はたぶん33年前(1991年?)のご開帳を見ていると思う。明王院の現地を訪ねたことを覚えている。しかし次の33年後は無理だろうなあ…と思って、よくよくお姿を目に焼き付けた。
■ふくやま草戸千軒ミュージアム(広島県立歴史博物館) 開館35周年記念・秋の特別展『源氏物語の世界展』(2024年9月27日~12月1日)+常設展
常設展が見たくて立ち寄ったら、特別展をやっていたので軽い気持ちで見ていくことにした。紫式部が身を置き、また『源氏物語』の舞台ともなった平安時代の文化を貴族社会の衣食住を中心に、模型や人形で立体的・具体的に再現する。
これは、身長30~40センチくらいの人形で再現された「紅葉の賀」の情景。青海波を舞う源氏と頭中将の隣りで、多くの官人が垣代(かきしろ、円陣)を組んでいるところ。
御簾の下から華やかな女房装束の袖口が見えていたのに、裏にまわってみると首なしでびっくり。これは打出(うちいで)と呼ばれるつくりもので、重ねた装束を几帳の柱を支えにして、あたかも人が座っているように見せるのだという。
袞冕(こんべん)=天皇の礼服。この装束のお雛様があったら、欲しい。
等身大のマネキンさんもいた。平安初期~中期の公家女房。遣唐使停止を機に国風化したというが、後世の装束に比べれば、まだ唐風。私は嫌いじゃない。
平安中期になると、よく知られた女房スタイルが確立する。
さて、同館に立ち寄ったのは、常設展の「草戸千軒展示室」が見たかったためだ。前回来たのは33年前の明王院本尊ご開帳の折だったのではないかと思う。中世の家並みを大規模に復元した展示室で、当時としては、かなり先進的な取り組みだった(1989年開館)。
■補陀落山六波羅蜜寺 国宝秘仏十一面観世音菩薩御開帳(2024年11月3日~12月5日)
福山から新幹線で東に向かい、京都でまた途中下車。まっすぐ六波羅蜜寺に向かう。11月3日、秘仏本尊十一面観音のご開帳初日に参拝したにもかかわらず、ほとんどお姿を拝めなかったので、もう一回来てみたのだ。相変わらず人は多かったが、外陣の最後方で賽銭箱にもたれるようにして、しばらくお姿を眺めることができた。もともと肉厚でがっしりした観音さまだが、錦の幕を張り巡らせたお厨子の扉が小さくて、十一面の高い頭部がよく見えないこともあって、妙にいかつい体型に見えてしまう。
ご開帳初日にはいただけなかったご朱印もいただくこともできた。白色の「淵龍」の護符が売られていたので「次回は何色ですか?」と聞いたら、赤色とのこと。「頑張らなくちゃ」と言ったら「まだまだお元気でしょう」と笑ってもらえた。そうねえ、12年後はなんとかなるかな。24年後の黄色に手が届けばうれしいが、欲張らないことにしよう。幼い子供連れの参拝客や、身体の不自由を押して参拝にいらしたお年寄りを見て、いろいろ感慨深かった。宝物館(令和館)はまた次回。