見もの・読みもの日記

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モンゴルの英雄物語/元朝秘史(白石典之)

2024-12-14 22:04:26 | 読んだもの(書籍)

〇白石典之『元朝秘史:チンギス・カンの一級資料』(中公新書) 中央公論新社 2024.5

 『元朝秘史』という書物の存在は知っていたが、具体的な内容は知らなかった。なので「はじめに」と序章の紹介を読みながら、へえ!へえ!と唸ってしまった。この書のおおまかな骨子ができたのは13世紀中頃の可能性が高く、『元朝秘史』は14世紀末の漢訳本に用いられた題名である。本文は漢字音写されたモンゴル語(万葉仮名を思わせる)で、傍らに漢訳が付いている(序章の冒頭に原文の掲示がある)。この「漢字音写モンゴル語」は、モンゴル語独特の発音を表現するため、様々な工夫をしており、言語学的にも興味深い。また、失われた『秘史』のモンゴル語原本が、ウイグル式モンゴル文字とパスパ文字のどちらで書かれていたかには議論があるという。

 『秘史』の冒頭は、ボルテ・チノ(蒼き狼)と妻のコアイ・マラル(白き牝鹿)というモンゴル部族の始祖伝説から始まる。始祖から十代ほどの子孫には特に事蹟が記されていない。日本の記紀神話でいう「欠史八代」みたいなものという解説に納得する。やがてイェスゲイとホエルンの間にテムジンが生まれる。青年時代に父を亡くしたテムジンは苦難を舐めるが、近隣の氏族や部族との戦いに勝利し、次第に頭角をあらわす。ついにモンゴル部族の統率者である「カン」位に推戴され、チンギス・カンの尊号を得る。さらに敵対部族を掃討し、モンゴル高原の統一を果たす。

 考古学的には、地域単位で異なっていた死者の埋葬方法が、13世紀初頭までに北頭位仰臥伸展葬に統一され、精神文化においても「新生モンゴル」のアイデンティティが形づくられた証左となっている。こういうの、とても面白い。チンギスは古参と新参を分け隔てることなく、功績に応じて報いた。一方で、輪番でチンギスの護衛に当たる輪番組(親衛隊)は特別に重視された。

 即位後のチンギスは金朝を攻め、金中都(北京)を阿鼻地獄に叩き込む(金中都包囲戦を生き抜き、チンギスのもとにやってきたのが遼の王族出身の耶律楚材)。また金への侵攻中に西夏にも兵を送った記述がある。さらにチンギスはホラズム・シャー国(カスピ海東岸、イスラム国家)に遠征する。金や西夏との戦いといえば、私は『射鵰英雄伝』を思い出すが、さらに西域になると、地名や国名の知識がなくて戸惑う。本書には『射鵰』でおなじみ、ジェベ(哲別)の名前が何度も出て来て嬉しかった。『秘史』には触れられていないが、ジェベはカスピ海北岸からアラル海方面を転戦し、帰途の途中で生涯を閉じたと伝わるそうだ。

 西域から戻ったチンギスは再び西夏を攻め、その滅亡を見届けて陣中で崩御する(落馬が原因→頼朝か!)。チンギスの埋葬の地がいまだに不明というのは、ロマンを感じさせていいなあ。チンギスの跡は三男オゴデイが継いだ。長男ジョチは、その出生前に母のボルテがメルキト族に連れ去られ、しばらく族人の妻とされていたことから、血統に疑いが持たれていた。むかし読んだ井上靖の『蒼き狼』は、この件で暗い印象が残っているが、本書が紹介する『秘史』の書きぶりだと、長男ジョチと次男チャガタイは、ずけずけと言い争い、最後は温和なオゴデイが跡継ぎを引き受けている。

 オゴデイは金国を滅ぼし、西方(東欧)に派遣した遠征軍も次々に勝利を収めた。内政では税制や駅伝制を整備し、帝国の基礎を固めた。オゴデイは過度な飲酒癖で健康を害して崩御したと言われているが『秘史』は彼の最期に触れずに終わっている。

 著者がどこかに書いていたとおり『秘史』は、いわゆる正史ではないので、伝奇的で叙事詩的である。主人公のチンギスは、欠点もあるが、一本筋の通った英雄として描かれる。チンギス・カンといえば、世界征服の野望に取りつかれた者のような見方がある。小説『射鵰英雄伝』もその一例だ。しかし著者はいう、彼は本当に世界を征服する野望を描いていたのか。そもそもモンゴル高原の統一さえ、彼の意図するところでなかったのではないか。チンギスが目指していたのは、モンゴル高原を、物資や人が集まるハブ(結節点)にすることではなかったか。これは、現代的な評価に過ぎる気もするけれど、内陸アジア史は、今とてもホットなので、チンギス・カンの史的評価も、少しずつ書き換えられていくのではないかと思う。

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