〇東京国立博物館・平成館大講堂 東京長浜観音堂フィナーレイベント『びわ湖・長浜の観音文化~これからもまもりつづけるために~』(2025年2月22日、13:00~16:00)
長浜市内の観音像の展示を行ってきた「東京長浜観音堂」の閉館(2024年12月1日)に伴うフィナーレイベントに行ってきた。収容人数約400名の大講堂はほぼ満員。大講堂専用トイレが長蛇の列になっていて、開会にちょっとだけ間に合わなかったが、開会挨拶をされていたのは「観音の里・祈りとくらしの文化伝承会議」の座長・大塚敬一郎氏(長浜商工会議所会頭)だと思われる。
それから、長浜市学芸員の秀平文忠氏による「長浜の観音文化振興事業の10年」と題した報告があった。長浜市が独自に「観音文化」という用語の定義づけを行ったのは2011年であるとのこと。そして地域ブランド戦略、シティプロモーションとして「観音文化振興事業」が始まった。2012年に長浜城歴史博物館で開催されたのが『湖北の観音』展。東京のお客さんに遠慮したのか、ちらっとしか触れなかったけれど、私はこの展覧会を見に行った。私は、もともと近江(滋賀県)の仏教文化が全般的に大好きだったのである。2014年と2016年に東京藝大美術館で開催された『観音の里の祈りとくらし展』ももちろん見ているので、大盛況の会場写真が懐かしかった。秀平さん、あのときギャラリートークをされていたのか。
この事業は、長浜市の外に向かっての「発信」だけでなく、こうした展覧会の成果報告会を地元で開催したり、コーディネーターやコンシェルジュを雇用して仏像所有者の負担軽減につとめたり、所有者支援の補助金(防火・防犯設備)を未指定文化財にも出したりしているところが素晴らしい。
続いて、彫刻史研究者の山本勉氏による講演「地域と仏像史-知るために、まもりつづけるために-」。山本先生のお名前はもちろん存じ上げているし、短い文章もいくつか読んでいるけれど、お話を聞くのは初めてだった。マンガ家になりたくて藝大に入ったら、2年生の調査旅行で奈良・円成寺の大日如来に「出会って」しまい、仏像の研究を一生の仕事にしたいと思うようになった。先生や先輩の活動を見ながら、自分もどこか教育委員会などに就職して「フィールドがほしい」と思っていた。1970年代は、伝統的な優品調査ではなく、地域あるいは寺院の「悉皆調査」が本格化した時代だった。それから、縁あって青梅の塩船観音寺にかかわることになり、40年かけて徐々に造像年代を明らかにした結果、2020年には本尊・千手観音と二十八部衆が国の重要文化財に指定された。だから、いま「未指定」の仏像も、研究が進めば指定文化財になる可能性はいくらでもあるのだ。
美術史研究の方法(研究データである調査ノートのコピーは調査参加者だけが共有)や、県や市の教育委員会や博物館の重要性がよく分かって、とても興味深かった。『日本彫刻史基礎資料集成』という基本資料があることも初めて知った。あと、造像年代がよく分からないと「南北朝~室町時代」と言いがち、というのには笑った(この時代の特徴が確定していないため)。
第2部は、秀平学芸員をコーディネーターに、仏像インフルエンサーのみなさん(田中ひろみ氏、みほとけ氏、久保沙里菜氏、宮澤やすみ氏)が「地域の仏像の魅力-若い世代に引き継ぐために-」を語る。ええ、最近はこんなに多種多様な「仏像インフルエンサー」がいらっしゃるのか、と驚く。フリーアナウンサーの久保沙里菜さんが紹介していた、浜松市美術館『みほとけのキセキII』展の試み(小学生が仏像の魅力を紹介)、上原美術館『きれいな仏像、愉快な江戸仏』展の試み(ひらがな多めの自由な感想の図録)はとても面白かった。どちらもまだ行ったことのない美術館だ。山本勉さんがかかわったという函南町の「かんなみ仏の里美術館」も、久保さんの話に出て来た「河津平安の仏像展示館」も行ったことがない。全て静岡県。長浜へも行きたいけれど、静岡仏像巡りもいいかもしれない。
最後は長浜市長より挨拶。東京で常設の観音展示が終わってしまうのは本当に残念だけど、また新たな研究成果を携えて、いつか大きな展覧会をやってほしい。