見もの・読みもの日記

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悪の帝国像を忘れて/帝国で読み解く近現代史(岡本隆司、君塚直隆)

2025-02-04 22:28:09 | 読んだもの(書籍)

〇岡本隆司、君塚直隆『帝国で読み解く近現代史』(中公新書ラクレ) 中央公論新社 2014.12

 「帝国」をキーワードに近現代史(18世紀~現代)を捉え直してみようという対談。ヨーロッパ国際政治史の君塚先生も中国史の岡本先生も大好きなので、わくわくしながら読んだ。はじめに岡本先生が言う、『スター・ウォーズ』シリーズの最初に制作されたエピソード4に描かれた帝国は、まさに多くの人々が抱いている「帝国や皇帝は悪である」というイメージをトレースしたものであると。うん、分かりやすい。しかし「帝国=悪」というイメージは本当に正しいだろうか。スティーヴン・ハウは帝国を「広大で、複合的で、複数のエスニック集団、もしくは複数の民族を内包する政治単位(後略)」と定義しているが、帝国の歴史的な実態は多様で多義的であると両氏は考える。

 検討は18世紀の東アジアから始まる。中国(清朝)は、康煕、雍正、乾隆の盛世。当時のヨーロッパは貧しかった。もともと小麦の収穫倍率は米よりずっと低く、中世で1対2~3、18世紀でも1対4~6程度だった。米は奈良時代に1対20(1粒蒔けば20粒収穫できる)だったという。この研究、おもしろい。ヨーロッパは必然的に機械化を図らなければ豊かになれなかった。18世紀半ばに産業革命が起き、同時に科学・農業・金融などさまざまな「革命」が起きて、ヨーロッパは飛躍的な発展を遂げる。一方、清朝はウルトラ・チープ・ガバメントで、官と民が著しく乖離している上に、民もバラバラだったことが、発展の阻害要因となった、というのが岡本先生の見立てである。

 19世紀末、日清戦争が日本の勝利に終わると、列強による中国分割競争が本格化する。東アジアでは日本が急速に台頭し、日露戦争にも勝利を収める。しかし勢いに乗って進めた朝鮮の植民地化政策は「稚拙だったとしかいいようがありません」と両氏とも厳しい。中国では梁啓超が国民国家の概念を持ち込み、ようやく中国が本気で変化を志すようになる。しかしそれは途方もない困難を伴う事業だった。君塚先生の「中国は『複数の民族を内包している』という意味での帝国としてしか存在しえないといえるかもしれませんね」という言葉が味わい深い。

 第一次世界大戦から第二次世界大戦へ。君塚先生は日本の「ポイント・オブ・ノー・リターン」として、上海への攻撃(1937年)に始まる日中戦争を挙げる。満洲国の建国に留まっていれば、ソ連南下の防波堤として、イギリスも蒋介石も容認していたのではないか。日本の外交は、ある時点までは非常にクレバーだったが、戦勝国として世界の大国の仲間入りを果たしたあたりから、傲慢、怠慢になって、学ばなくなったという。歴史は繰り返していないか、不安を感じる指摘だった。

 第二次大戦終結後、表向きは世界から帝国が完全に消滅した。しかしアメリカとソ連をどう考えるか。特にアメリカは、自由と民主主義を信奉する国でありながら、その「自由と民主主義」という理想を世界に拡大するため、邪魔になる勢力を潰すことには全くためらいがない。岡本先生は、これは西部開拓時代の「マニフェスト・デスティニー」以来のアメリカのDNAのようなものかもしれないと述べている。昨今、この野蛮なDNAが悪い意味で頭をもたげているようで気になる。そして、やっぱり「ひとつの中国」を目指す中華人民共和国の試行錯誤も気になる。なぜあんなに「ひとつ」を強調するかというと、気を許せばすぐにバラバラになる集団だから、というのは、滑稽だけど分かる。皇帝を戴く帝国も、帝国主義も否定されて久しいが、「国民国家と帝国的なもののせめぎ合いは今も続いている」と君塚先生はいう。

 私は高校の世界史の教科書で、最終章近くに登場した「民族自決」「国民国家」というキーワードをまぶしく眺めた記憶がある。しかし、これが万能の価値観でないことは、悲しいけれど、よく分かってしまった。多様なエスニック集団や民族が平和に共存する方法を考える上で、近代以前の「帝国」にも虚心に学ぶべきものがあると思う。


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