〇愛知県美術館 企画展『幻の愛知県美術館』(2023年6月30日~8月27日)
博物館好きにはとても面白い企画展だった。企画趣旨に云う――現在愛知県には、県立の総合博物館がありません。けれども明治時代に遡ると、この地に「愛知県博物館」は確かに存在していました。1878(明治11)年に県が民間からの寄附金を集めて建てた博物館は、古く貴重な文物から味噌や醤油、酒、木材、織物、陶磁器、絵画、機械、動植物等々、国内外のあらゆる物産を集め、人々の知識を増やして技術の発展を促そうとしました(後略)。
日本全体として見ると、1867(慶応3)年、幕府と薩摩藩、佐賀藩は第2回パリ万国博覧会に物産を出品し、その関係者が明治新政府で博物館行政を担うことになる。町田久成は歴史ある文化財を守るため、大英博物館を参考にした。佐野常民はロンドンのサウスケンジントン博物館のような殖産興業に役立つ技術博物館を理想とし、田中芳男はパリ植物園をモデルにした自然史博物館を夢想した。この三者の「理想」の違いがたいへん興味深い。我が国の博物館は、文科省→内務省→農商務省と所管を移し、次第に殖産興業の色を濃くするが、1886(明治19)年に宮内省に移ると、今度は美術博物館としての性格が鮮明になる。かつて関秀夫『博物館の誕生』でも読んだところだけれど、本当におもしろい。
明治初年の博覧会の人気者といえば名古屋城の金鯱である。維新後、最後の尾張藩主・徳川慶勝は名古屋城の取りこわしと金鯱の宮内省献納を発議する。取り外された金鯱は、国内外の博覧会で展示された。そうだ、1873年のウィーン万博に出品された品々は、帰りの貨客船の沈没によって失われてしまったが、大きすぎて別便をあてがわれていた金鯱は無事だった。しかし、金鯱のこのような扱いを忍びないと考えた愛知財界の有力者たちが費用を工面し、金鯱は名古屋城の天守に戻されることになった。さらに1930年、名古屋城は城郭として初の国宝に指定され、名古屋市に下賜された。しかし1945年の名古屋大空襲によって名古屋城は焼失し、金鯱も灰燼に帰する。金のウロコの一部が残っているのはともかく、金の残骸からつくった純金の茶釜が保存されているというのは初めて知って、苦笑してしまった。
博物館については、1878(明治11)年、愛知県は県費に民間からの寄附金を加え、大須・総見寺境内に博物館を設けた。しばらくの間は株式会社として運営されたが、1883(明治16)年に県営化し、愛知県博物館となる。古文化財から最新の産業品まで古今東西のさまざまな資料を収集し、植物園や動物園まで備えた一大総合博物館だったという。その後は、愛知県商品列品館となって商工業の指導役割を鮮明にし、戦後は中小企業の経営・創業支援と貸館事業に特化して、博物館としての体裁を失う。この現在の後継組織が、愛知県産業労働センター(ウインクあいち)だという。ええ~! 奇遇なことに、月曜の出張の用務先がウインクあいちだったので、びっくりした。
また、大須・七ツ寺には私立の愛知教育博物館が存在し、その関連資料は、明倫博物館を経て、学習院大学が所蔵しているというのも興味深かった。2022年の龍谷ミュージアム『博覧』展でも思ったが、博物館や博覧会の歴史は、それ自体、とても面白いテーマである。これは展示図録を買って帰って、ゆっくり勉強しようと思ったら、図録はまだできていなくて、8月末の刊行予定だった。残念。
しかし愛知県のように、歴史博物館や総合博物館がない都道府県はほかにもあるのかな、と思って調べてみたら、なぜか三重県のサイトに「全国都道府県県立博物館・美術館一覧表」(PDFファイル)が掲載されていた。静岡県には県立博物館がないが、静岡市歴史博物館(2023年1月オープン!)がある。同様に愛知も、大好きな名古屋市博物館があるので、決して歴史文化不毛の地ではないことは強調しておきたい。