見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

増築リニューアルオープン/與衆愛玩(荏原畠山美術館)

2024-11-25 22:05:58 | 行ったもの(美術館・見仏)

荏原畠山美術館 開館記念展I『與衆愛玩-共に楽しむ-』(2024年10月5日~12月8日)

 荏原製作所の創業者・畠山一清(即翁、1881-1971)のコレクションを所蔵する「畠山記念館」は、2019年3月から施設工事のため休館していたが、このたび「荏原 畠山美術館」(半角空けが正しいらしい)に名称を変更し、リニューアルオープンした。ウェブサイトのURLも変わったようだ。

 好きな美術館の1つではあったけれど、あまり熱心には通えていなかった。最後に訪問したのは2016年のようだ(つくばに住んでいた頃だ)。休館中に京博で開催された特別展『畠山記念館の名品』は見ていて、コレクションの質と量に驚いた記憶がある。

 これまでは高輪台駅を使うことが多かったのだが、今回は白金台駅から歩いた。高級住宅街の代名詞みたいな町だが、狭い道がうねうねと入り組んでいて、高い樹木が多く、鎌倉あたりの裏道を歩いているような気がした。そして懐かしい門前。丸に二つ引きの畠山氏の家紋。塗り直された(?)白壁が美しい。

アプローチに沿って進むと、これも以前の面影を残した玄関。

 ロビーには着物姿の畠山即翁の大きな木像が置かれていて、思わず心の中で「お久しぶり!」と声をかけてしまった。チケット売り場のお姉さんが順路を説明してくれるのを聞いて、来るときにチラリと見えたのが、増築された新館であることを理解する。靴を脱がなくてもよくなったのだな、という変更も理解。

 階段で2階へ。片側の壁に軸物が数点。おおお、継色紙(きみをおきて)だ!「きみをおき/て あだし/こころをわ/がもたば/すえの/松山/なみもこえな/む」という、完全に意味を無視した行替えのリズム、全体が左に傾いた不安定さもよい。むかしはこの壁の前は畳敷きの広縁(?)になっていて、上がって展示品に近づいてもよく、お抹茶をいただくこともできたのである。記録のために書き残しておく。その左奥の茶室「省庵」は残っていて、中に上がることができた。床の間には即翁筆「波和遊」が掛けてあった。これ「How are you?」だそうで、川喜田半泥子にも同じ書があるみたい。

 この展示室は茶道具が中心。伊賀花入「銘:からたち」が素晴らしくて息を呑んだんだけど、実は京博でも見ていたことにさっき気づいた。でも京博の人工的な照明で見るより、軽く自然光が差し込む畠山美術館の展示室のほうが、絶対に映えると思う。備前とか信楽とか、長次郎の赤楽茶碗「早船」(赤くない)とか、全体に私好みのやきものが多いなあと思った。

 絵画は『清滝権現像』(鎌倉時代)に驚く。どこかで見たことがあると思ったが、自分のブログで検索したら畠山記念館しか出てこなかった。白地に丸紋の着物、唐風の冠をつけた女神が引き戸を開けて姿を現したところ。手には緑色の宝珠。戸の外側に垂髪・緑の着物に緋の袴の小さな女性が控えている。圧倒的な身長差が、女神の御稜威を印象づける。解説によれば、荏原製作所がポンプの会社なので、水に縁のある女神像をコレクションに加えたという。

 そして、きょろきょろしてしまったが、以前はなかった出口(たぶん)から外へ出ると、新館への渡り廊下がある。廊下は、完全に密閉された空間でないのが面白かった。新館2階には能面と能装束を展示。即翁が実際に能を舞っている写真や動画もあった。いいなあ、このおじさん、東京帝国大学の機械工学科出身で、多数の機械を発明し、製造販売に成功しつつ、この数寄者っぷり。

 地下1階は、即翁の女婿で荏原製作所二代目社長の酒井億尋(1894-1983)の洋画コレクションを紹介。梅原龍三郎、安井曾太郎など。新館ができたことで、ずいぶん展示の幅が広がった気がした。ちなみに基本設計の新素材研究所は、現代美術作家の杉本博司と、建築家の榊田倫之によって設立された建築設計事務所である(実施設計は大成建設)。また来ます!

追記。展示の書画に必ず全文翻刻が添えてあり、表具の説明があるのがとてもよかった。


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