○出光美術館 日本の美・発見X『躍動と回帰-桃山の美術』(2015年8月8日~10月12日)
16世紀末から17世紀初頭にかけて、戦国武将たちが天下の覇権をめぐってせめぎ合う、激動のただなかにあった時代「桃山」の美術について、出光コレクションの約90件の工芸作品と20件の絵画作品を通して考える企画。すごく面白かった。以前、名古屋市博物館で見た『変革のとき 桃山』展は、なんとなく消化不良だったのに、今回は、私が桃山美術に漠然と感じていた印象をきれいに整理してくれたような気がした。
会場に入ってすぐ『宇治橋柴舟図屏風』。嬉しい! 本当はこれは江戸時代の作品で、しかも「桃山らしい」長谷川派の『柳橋水車図屏風』(これも江戸時代)に比べると「古様」な参考例として展示されていたのだが、大好きな屏風なので、とりあえず見ることができて嬉しかった。しかも久しぶりに左右一対で。春→夏→冬と変化する柳(いずれも二本)の描き分けとか、楽しいなあ。『柳橋水車図屏風』のほうが極端に非現実化した風景を堂々と大画面に描いていて、新奇であることは分かる。この(風景なのに)「平らかさ」が桃山美術の特徴なのだ。光琳まではあと一歩。
一方、桃山のやきものは「歪み」「割れ」「染み」など、世界的な造形の標準からいえば「負の要素」に美を見出すところに特徴がある。ここでも冒頭には、わざと中国の青磁瓶が展示されている。そのストイックなバランス。並べられた『伊賀耳付角花生』が見事だ。角ばった縦長の花生で、上半分はおおまかに中国陶磁の形態を真似たように見せかけて、下半分は不定形に膨らみ、ぐいと押し付けた箆の痕が流れている。釉薬の偶然の流れを生命とする朝鮮唐津(唐津焼の一種)も面白い。
また、桃山のやきものには、日本古来の身近な植物や動物を描いたものが多い。並んだ作品を見ると確かにそのとおりだ。平安時代の和様化した銅鏡の文様とよく似たところがある。鼠志野の草文や草花文、絵唐津の葦文や秋草文、いいなあ。鎌倉・室町のやきものが中国磁器に倣って牡丹や唐草の意匠を好んだことに比べると「王朝回帰」と言ってもよい。戦国武将の「桃山」と女房文学の最盛期「王朝」がつながるなんてびっくりだが、桃山文化には意外と可憐な一面がある。
織部はあまり好きではないのだが、今回の展示は、素朴でかわいいもの、なつかしいものが多くてよかった。『志野山水文鉢』(二匹のサカナが水面に顔を出している)と『志野山水隅切鉢』も好き。茶陶の一種「不識型水指」は骨壺の形を模したもので、日本のやきものは、生死にかかわるうつわの記憶を宿しているというのは納得できる。しかし、敢えて(?)均整を欠いた無骨な造形の水指(伊賀、備前など)や素朴な竹の花生を見ていると、全く古代人の遺物のようで、高度な哲学(禅宗)や科学技術(鉄砲、望遠鏡)と共存した時代の作だとは考えにくい。桃山ってほんとに面白い時代だと思う。
絵画(屏風)は前後期入れ替えあり。南蛮蒔絵も4点ほど。照明を暗くしているので、夜光貝がよく光って美しかった。
16世紀末から17世紀初頭にかけて、戦国武将たちが天下の覇権をめぐってせめぎ合う、激動のただなかにあった時代「桃山」の美術について、出光コレクションの約90件の工芸作品と20件の絵画作品を通して考える企画。すごく面白かった。以前、名古屋市博物館で見た『変革のとき 桃山』展は、なんとなく消化不良だったのに、今回は、私が桃山美術に漠然と感じていた印象をきれいに整理してくれたような気がした。
会場に入ってすぐ『宇治橋柴舟図屏風』。嬉しい! 本当はこれは江戸時代の作品で、しかも「桃山らしい」長谷川派の『柳橋水車図屏風』(これも江戸時代)に比べると「古様」な参考例として展示されていたのだが、大好きな屏風なので、とりあえず見ることができて嬉しかった。しかも久しぶりに左右一対で。春→夏→冬と変化する柳(いずれも二本)の描き分けとか、楽しいなあ。『柳橋水車図屏風』のほうが極端に非現実化した風景を堂々と大画面に描いていて、新奇であることは分かる。この(風景なのに)「平らかさ」が桃山美術の特徴なのだ。光琳まではあと一歩。
一方、桃山のやきものは「歪み」「割れ」「染み」など、世界的な造形の標準からいえば「負の要素」に美を見出すところに特徴がある。ここでも冒頭には、わざと中国の青磁瓶が展示されている。そのストイックなバランス。並べられた『伊賀耳付角花生』が見事だ。角ばった縦長の花生で、上半分はおおまかに中国陶磁の形態を真似たように見せかけて、下半分は不定形に膨らみ、ぐいと押し付けた箆の痕が流れている。釉薬の偶然の流れを生命とする朝鮮唐津(唐津焼の一種)も面白い。
また、桃山のやきものには、日本古来の身近な植物や動物を描いたものが多い。並んだ作品を見ると確かにそのとおりだ。平安時代の和様化した銅鏡の文様とよく似たところがある。鼠志野の草文や草花文、絵唐津の葦文や秋草文、いいなあ。鎌倉・室町のやきものが中国磁器に倣って牡丹や唐草の意匠を好んだことに比べると「王朝回帰」と言ってもよい。戦国武将の「桃山」と女房文学の最盛期「王朝」がつながるなんてびっくりだが、桃山文化には意外と可憐な一面がある。
織部はあまり好きではないのだが、今回の展示は、素朴でかわいいもの、なつかしいものが多くてよかった。『志野山水文鉢』(二匹のサカナが水面に顔を出している)と『志野山水隅切鉢』も好き。茶陶の一種「不識型水指」は骨壺の形を模したもので、日本のやきものは、生死にかかわるうつわの記憶を宿しているというのは納得できる。しかし、敢えて(?)均整を欠いた無骨な造形の水指(伊賀、備前など)や素朴な竹の花生を見ていると、全く古代人の遺物のようで、高度な哲学(禅宗)や科学技術(鉄砲、望遠鏡)と共存した時代の作だとは考えにくい。桃山ってほんとに面白い時代だと思う。
絵画(屏風)は前後期入れ替えあり。南蛮蒔絵も4点ほど。照明を暗くしているので、夜光貝がよく光って美しかった。