見もの・読みもの日記

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母と娘と/渋江抽斎(森鴎外)

2010-01-23 22:36:16 | 読んだもの(書籍)
○森鴎外『渋江抽斎』(中公文庫) 中央公論新社 1988.11

 「渋江抽斎」といえば、鴎外の史伝小説の代表作、というのは、とりあえず文学史で習うところだ。史伝小説とは、著者の憶測や虚飾を排し、客観的な事実を積み上げて歴史を記述するスタイルのことと言われている。渋江抽斎(1805-1858)は、幕末の弘前藩の医官である。武鑑を蒐集していた鴎外が、しばしば抽斎の蔵書印に出会ったことから、その人物に興味を持ち、克明な調査を重ねて本書が生まれた、というのも有名なエピソードだ。しかし、抽斎の人生には、特にめざましい事件も、ロマンチックなドラマもない。山も谷もない平凡な人生が、史料の引用から窺い知れるだけだ…と思っていた。史伝小説なんて、絶対、読むまいと思っていたのだ。

 その私が、本書を買うに至ったのは、前にも書いたとおり(→記事)、丸善・丸の内本店の「松丸本舗」で、髷を結った半裸の女性が描かれた表紙が目についてしまったためである。え?こんな場面が登場する小説だなんて、聞いてなかったぞ、と思いながら、騙されたと思って読み始めた。

 物語は、鴎外が抽斎の蔵書印に出会い、抽斎の子である保さんと知り合うところから説き起こされる。渋江氏の祖先を語り、「その十」に至って、ようやく抽斎の父が登場する。それから、抽斎の師となり、年長の友人となる学者・文人たちのことが語られ、ようやく抽斎が叙述の中心に登場するのは「その二十四」くらいからである。しかし、思ったほど退屈ではない。儒者の安積艮斎(あさかごんさい)、医者の多紀茝庭(たきさいてい)、画家の文晁、雑学者(?)の豊芥子など、どこかで聞いた名前の有名人たちが、抽斎のまわりを取り巻いていたことが分かって、興味深かった。

 さて、抽斎は医官として出仕し、家族を増やし(何度か妻の死別、離別を経て、四度目の妻・五百(いお)を得)、趣味の観劇を楽しんでいたが、安政5年、虎列拉(コレラ)に罹患し、急逝してしまう(その五十三)。ええ~厚さを見ると、まだ文庫本の半分にしか来ていない。このあと、どうするつもりなんだ?という読者の心配をよそに、「抽斎没後の第○年」という数え方とともに、残された家族と友人たちの物語が、生前の抽斎の思い出話をおりまぜながら、語られていく。

 物語後半の実質的な主人公として立ち現われてくるのは、抽斎より十一歳若かった未亡人の五百である。「その六十」に語られるのは、たぶん安政3年頃の話で、抽斎が某貴人に奉るため、大金を用意したことを聞きつけた不審な侍三人が、その金を強奪しようとしたのを、沐浴中の五百が気配を察し、腰巻ひとつに懐剣をくわえて現れ、夫の危急を救ったという。本書の表紙は、実はこの場面なのであった(羽石光志画)。抽斎の人生は、およそ平凡な事実の連なりであるが、五百の人生は、けっこう起伏に富み、まるで小説のためにつくったかと思われるような印象的なエピソードが多い。明治元年には江戸を引き上げ、まだ物騒な中、一家で弘前に至った。その後、再び江戸に戻り、息子の保に従って、浦和や浜松、愛知県にも移り住み、明治17年、69歳で没する(その百五)。晩年、息子に教わって、英書を読んでいたというのも驚きだった。

 物語はまだ続く。最後の十数章の主人公となるのは、抽斎と五百の娘の陸(くが)である。陸は矢川文一郎に嫁し、本所で砂糖店を営んでいたが、離婚(「分離」とある)の後は、長唄師匠・勝久として自立した。鴎外は、抽斎の伝記を書くというのは言い訳で、本当は二人の女性の物語が書きたかったのではないか。そう勘ぐりたくなるくらい、後半の鴎外の筆は生彩に富み、愛情と敬意にあふれている。史伝小説→事実の重視→無味乾燥…という文学史的常識が、全くの思い込みであったことがよく分かった。まあ、本書を楽しむためには、幕末~明治の時代背景や登場人物に、多少の予備知識は要るけれど。

 抽斎の嗣子・渋江保という人も学識者であり、彼のまわりにも、明治以降、福沢諭吉、フルベック、モオレエ、山路愛山、中江兆民など、意外な人物が往来している。ただ、如何せん、本書は母と娘の物語で、父と息子は影が薄いのである(笑)。

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