○橋本健二『はじまりの戦後日本:激変期をさまよう人々』(河出ブックス) 河出書房 2016.4
本書は、戦後社会の形成を社会移動(階級間移動)の観点から調査分析したものである。戦前期には戦前期の、安定した階級構造があった。しかし戦中・戦後の混乱の中で、階級構造は大きく揺らぎ、多くの人々が新たな地位へ移動(世代内移動または世代間移動)する中で、戦後復興が進んでいった。
本書が用いるデータは、おなじみの「SSM調査」(社会階層と移動全国調査)、1955年に開始され、10年おきに実施されている。これに各種の官庁統計を併用する。「国勢調査」は1920年に開始され、原則5年ごとに行われている。国勢調査の回答を求められると「めんどくさい」と思うが、こういう分析に役立っていることは忘れないでおきたい。さらに終戦後の早い時期におこなわれた調査の原票には、現在まで保存されているものがある。「とくに東京大学社会科学研究所には、1950年代前半に実施されて(略)今日まで詳しい集計が行われてこなかった調査票が多数保存されている」という箇所は、感慨深く読んだ。大学の怠慢と怒るなかれ。集計が手作業だった当時と、パソコンに打ち込めば統計ソフトで操作できる現在とは違うのである。いつ役に立つか分からない大量の原票を捨てずに保管しておく余裕があったことを喜びたい。なかでも1951年実施の「京浜工業地帯調査」(1万4,327人分!)は本書で有効に活用されている。
はじめに戦争をはさんだ15年間(1935→1950)とその後の15年間(1950→1965)では社会移動の様子が明らかに違うことを確認し、各階級ごとの特徴を詳しく見ていく。農民層は、農地改革によって大部分が自作農になったが、地主-小作関係が完全に消滅したわけではなく、自作農内部の格差として温存され、その影響が現代まで残っているというのは驚きだった。「地主の子ども」は資本家階級・新中間階級になり、「小作の子ども」は労働者階級や自営業者層の最下層を形成した。この影響は、3世代後および4世代後の進学率比較シミュレーションにまで引き継がれている。2000年代以降の日本社会を考える上でも「いったん形成された格差は、子ども世代のみならず、数世代あとにまで影響し続け、社会に深い傷跡を残すのである」という著者の言葉は重い。戦後混乱期が、今よりずっと社会移動の多い時期だったことは確かだが、マクロな目で見た人々の移動は、自由なようで、実際は「一定の条件」に制限されていたことがよく分かる。
また、戦後初期の労働者階級は、企業規模と地域によって、内部に大きな格差があったことが分かる。非常に興味深いのは「日本的雇用慣行」の成立とその発見について。大企業ホワイトカラーでは、「長期雇用」や「年功制」が戦前期から存在したが、ブルーカラー労働者は流動性が高く、賃金は出来高給か日給だった。しかし、氏原正治郎は、1951年の「京浜工業地帯調査」によって、日本のブルーカラー労働者に長期雇用と年功制があることを発見する。氏原は、当時の労働力の主な供給源が農民層や自営業であり、企業が熟練労働者を安定的に確保することが難しかったため、新規学卒者を中心とする若年労働者を募集・選抜し、時間をかけて基幹工に養成するシステムが成立したと考える。これらの労働者は、年功を積むに連れて技能が向上し、序列が上がり、賃金も上がっていく。しかしこのようにして獲得される熟練は、その企業に特殊なものだから、他の企業では評価されない。だから基幹工たちは退職(転職)を望まず、ひとつの企業に永年勤続することになる。…という、この記述、自分の職業経験に照らし合わせて読むと、意味深いなあ。ブルーカラーに限らず、日本の労働者の大多数は、確かについ最近まで、こんなふうに働いてきた。
氏原の論文発表の数年後に、米国人の経営学者アベグレンが「日本の工場の特徴は終身雇用(permanent employment)である」と呼んで、これが定着する。このあたりの研究史も非常に面白いのだが、著者は「京浜工業地帯調査」の調査原票をあらためて分析することによって、長期雇用が成立し、拡がっていく様子を明らかにしてる。新卒就職者の比率を産業別にみると、機械工業では戦前期(1920年代後半)に拡大し、金属工業・化学工業では、少し遅れて、戦時体制下で拡大している。産業別、つまり求められる技能の種類によって、年功システムの適合度合いに差があるのかなあ。興味深い。また、氏原が1950年代初めに、日本的雇用慣行の外部にいる人々として「女性労働者」と「臨時工」を取り上げていたという先見性にも驚かされた。
自営業者層は、1930年代終わりから他階級への流出が急速に進んでいたが、戦後混乱期には、失業者や戦地から帰った人々が多数流入した。それから2005年までの50年間で、卸売小売業と製造業が減少し、サービス業と建設業が増えたというのは実感に照らしてよく分かる。1955年のSSM調査には自営業者のサンプルに「指物職・家具職・建具職」「洋服仕立職」それに「おけ職・たる職」「竹細工師」なんてのもあるのかー。佐藤香は、製造業と商業を中心とする豊かな「生業の世界」が戦前から日本には存在し、終戦直後の混乱の中でセイフティーネットとして機能したことを指摘しているそうだ。なるほど「職業」と「生業」は違うなあ。「職業」に就く以外の生き方を考えたことはなかったけれど。
・本書の内容とは、直接関係ないけど貼っておく。
※橋本健二の居酒屋考現学
相変わらず着実に更新されていてスゴイ。

本書が用いるデータは、おなじみの「SSM調査」(社会階層と移動全国調査)、1955年に開始され、10年おきに実施されている。これに各種の官庁統計を併用する。「国勢調査」は1920年に開始され、原則5年ごとに行われている。国勢調査の回答を求められると「めんどくさい」と思うが、こういう分析に役立っていることは忘れないでおきたい。さらに終戦後の早い時期におこなわれた調査の原票には、現在まで保存されているものがある。「とくに東京大学社会科学研究所には、1950年代前半に実施されて(略)今日まで詳しい集計が行われてこなかった調査票が多数保存されている」という箇所は、感慨深く読んだ。大学の怠慢と怒るなかれ。集計が手作業だった当時と、パソコンに打ち込めば統計ソフトで操作できる現在とは違うのである。いつ役に立つか分からない大量の原票を捨てずに保管しておく余裕があったことを喜びたい。なかでも1951年実施の「京浜工業地帯調査」(1万4,327人分!)は本書で有効に活用されている。
はじめに戦争をはさんだ15年間(1935→1950)とその後の15年間(1950→1965)では社会移動の様子が明らかに違うことを確認し、各階級ごとの特徴を詳しく見ていく。農民層は、農地改革によって大部分が自作農になったが、地主-小作関係が完全に消滅したわけではなく、自作農内部の格差として温存され、その影響が現代まで残っているというのは驚きだった。「地主の子ども」は資本家階級・新中間階級になり、「小作の子ども」は労働者階級や自営業者層の最下層を形成した。この影響は、3世代後および4世代後の進学率比較シミュレーションにまで引き継がれている。2000年代以降の日本社会を考える上でも「いったん形成された格差は、子ども世代のみならず、数世代あとにまで影響し続け、社会に深い傷跡を残すのである」という著者の言葉は重い。戦後混乱期が、今よりずっと社会移動の多い時期だったことは確かだが、マクロな目で見た人々の移動は、自由なようで、実際は「一定の条件」に制限されていたことがよく分かる。
また、戦後初期の労働者階級は、企業規模と地域によって、内部に大きな格差があったことが分かる。非常に興味深いのは「日本的雇用慣行」の成立とその発見について。大企業ホワイトカラーでは、「長期雇用」や「年功制」が戦前期から存在したが、ブルーカラー労働者は流動性が高く、賃金は出来高給か日給だった。しかし、氏原正治郎は、1951年の「京浜工業地帯調査」によって、日本のブルーカラー労働者に長期雇用と年功制があることを発見する。氏原は、当時の労働力の主な供給源が農民層や自営業であり、企業が熟練労働者を安定的に確保することが難しかったため、新規学卒者を中心とする若年労働者を募集・選抜し、時間をかけて基幹工に養成するシステムが成立したと考える。これらの労働者は、年功を積むに連れて技能が向上し、序列が上がり、賃金も上がっていく。しかしこのようにして獲得される熟練は、その企業に特殊なものだから、他の企業では評価されない。だから基幹工たちは退職(転職)を望まず、ひとつの企業に永年勤続することになる。…という、この記述、自分の職業経験に照らし合わせて読むと、意味深いなあ。ブルーカラーに限らず、日本の労働者の大多数は、確かについ最近まで、こんなふうに働いてきた。
氏原の論文発表の数年後に、米国人の経営学者アベグレンが「日本の工場の特徴は終身雇用(permanent employment)である」と呼んで、これが定着する。このあたりの研究史も非常に面白いのだが、著者は「京浜工業地帯調査」の調査原票をあらためて分析することによって、長期雇用が成立し、拡がっていく様子を明らかにしてる。新卒就職者の比率を産業別にみると、機械工業では戦前期(1920年代後半)に拡大し、金属工業・化学工業では、少し遅れて、戦時体制下で拡大している。産業別、つまり求められる技能の種類によって、年功システムの適合度合いに差があるのかなあ。興味深い。また、氏原が1950年代初めに、日本的雇用慣行の外部にいる人々として「女性労働者」と「臨時工」を取り上げていたという先見性にも驚かされた。
自営業者層は、1930年代終わりから他階級への流出が急速に進んでいたが、戦後混乱期には、失業者や戦地から帰った人々が多数流入した。それから2005年までの50年間で、卸売小売業と製造業が減少し、サービス業と建設業が増えたというのは実感に照らしてよく分かる。1955年のSSM調査には自営業者のサンプルに「指物職・家具職・建具職」「洋服仕立職」それに「おけ職・たる職」「竹細工師」なんてのもあるのかー。佐藤香は、製造業と商業を中心とする豊かな「生業の世界」が戦前から日本には存在し、終戦直後の混乱の中でセイフティーネットとして機能したことを指摘しているそうだ。なるほど「職業」と「生業」は違うなあ。「職業」に就く以外の生き方を考えたことはなかったけれど。
・本書の内容とは、直接関係ないけど貼っておく。
※橋本健二の居酒屋考現学
相変わらず着実に更新されていてスゴイ。