■安陽(殷墟)
午前中は、安陽で半日観光。ロータリーで、道案内だという旅行社のお姉さんと、日本語ガイドの女の子が乗り込んでくる。どちらも若い。ガイドさんは、日 本語を勉強中の、現役大学院生だという。これで車内は、運転手さんを入れると、日本人と中国人が、ちょうど5:5。ガイド付きのツアーというより、なんだ か中国人の団体と乗り合わせた気分。天寧寺塔と殷墟博物館を見学する。
殷墟博物館では、甲骨文字の刻まれた甲骨片の山にうずもれた人骨が、発掘現場のまま、展示されていた。「古代の図書館と図書館長さんです」と紹介されて、一同、苦笑。こうはなりたくないな~。
四川料理のレストランで昼食のあと、安陽のガイドさんたちとお別れ。河南省の観光が終わったので、洛陽から一緒だったローカルガイドさんも、バスターミ ナルで下車して帰っていった。しばらく車内が静かになったあと、突然、いちばん前の席の于さんが、慌て出す。「没了(メイラ)~!」と騒いでいるので、何 か無くしたらしい。運転手さんに「よく探せ」と言われている様子。ははあ、いつも首から下げているガイド証だな、と気づく。
思い出したのように我々を振り返り、「なくした」と半泣き顔。携帯電話でレストランを呼び出し、「食事の前まではあったんだ、テーブルの上を見てく れ!」と必死で頼んでいる。と、突然、声の調子が変わって、「有了(ヨウラ)、有了、有了!」。どうやら、カバンのポケットに、仕舞い忘れていたらしい。
■邯鄲(響堂山石窟)
河北省・邯鄲市郊外の響堂山石窟に到着。邯鄲の旅行社の総経理(=社長)が、自らローカルガイドを務めるという。ほかに、この石窟の説明ができる社員が いないから、という理由であった(ただし、北京のガイドさんの話を考え合わせると、疑わしい。→後述)。車を下りると、ポロシャツ姿のスマートな男性が 立っていた。
響堂山石窟は、南北2ヶ所に分かれる。最初に下り立ったところは「南響堂山石窟」で、ここはまあ、普通の寺院だった。それから車で20分ほど走ると、 「北響堂山石窟」に到着する。「下りましょう」と言われるままに車を下りて、山道を歩いていくと、前方に、壁のような険しい山が見えてくる。「あれです か?」と尋ねると、社長は平然と「あれです」と答える。
山の中腹の石窟まで、歩きやすい石段が続いているようではあるが、これは、どう見ても「登山」だ。我々もひるんだが、于さんのひるみ方は相当なもの。 「ほんとに? あれ、ほんとに登るの?」と半信半疑。ここでも、于さんは、山門前でリタイア。青年社長は表情も変えず、スタスタと山を登っていく。さすがこの地方の名士 らしく、山中で出会った老若男女は、みな、嬉しそうに社長に挨拶していた。我々も汗びっしょりになりながら、何とか石窟にたどりついた。
ここも、残念ながら、頭部の残っている仏像はほとんどない。(ヨーロッパの王宮のような)壁の唐草文様や、台座の火焔文様に、往時の華麗さを偲ぶだけである。
■夕食
夕食は、社長の勧めにより、キノコ鍋の店へ。「予算は1人30元(=450円)くらい。だいじょうぶね?」と、于さんが、我々貧乏人のふところ具合を心 配してくれる。しかし、当地では、中の上クラスのレストラン。個室に、給仕役の小姐がついて、1品ずつ鍋に入れ(日本の鍋物のように、ぐちゃぐちゃにしな い)、程よく煮えたところで、各人のお椀によそってくれる。よそわれると、食べずにいられないのが、貧乏人の性。結局、鍋がカラになるまで、完食してし まった。部屋をのぞいた于さんが、「ぜんぶ食べたね~」とびっくりしていた。
さて、私は、なんとかトランクの鍵が開かないかと種々試していたが、どうにもならないので、于さんからホテルのボーイさんに頼んでもらう。「人を寄こ す」というので、道具箱を持った職人さんでも来るのかと思っていたら、ちょいとガタイのいい男の子が、ペンチ1本とねじまわし1本を持って、ふらりとやっ てきた。開かなくなった外付けの鍵を、しばらくいじりまわしていたが、やがて決心を固めると、ものの5分もかからぬうちに、ペンチ1本でねじ切ってしまっ た。兄ちゃん、カッコいい!
翌日、北京で新しい鍵を買って付け替えた。
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