見もの・読みもの日記

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暴走のプロセス/愛国と信仰の構造(中島岳志、島薗進)

2016-04-05 02:51:00 | 読んだもの(書籍)
○中島岳志、島薗進『愛国と信仰の構造:全体主義はよみがえるか』(集英社新書) 集英社 2016.2

 愛国心と信仰心が暴走した果てに全体主義になだれ込んでいった戦前。近年の日本は、戦前とよく似たプロセスを歩んでいるようにも見える。そこで、著者たちは、明治維新までさかのぼって、日本のナショナリズムと宗教について考えてみる。はじめに(27頁)近代日本の150年を戦前/戦後に分け、それぞれ25年ずつに区切ってみると、奇妙によく似た構図が見えてくる。

◆明治維新からの75年
・第1期(1868-1893):富国強兵
・第2期(1894-1917):アジアの一等国~大戦景気
・第3期(1918-1944):戦後恐慌~昭和維新運動~全体主義
◆敗戦からの75年
・第1期(1945-1969):戦後復興~高度経済成長
・第2期(1970-1994):ジャパン・アズ・ナンバーワン~バブル景気
・第3期(1995- ):バブル崩壊の影響の深刻化

 まず戦前。中下級武士たちは「一君万民ナショナリズム」によって、江戸幕府を倒した。しかし明治政府ができると、「上からのナショナリズム」が「下からのナショナリズム」を乗っ取っていく。体制に批判的な自由民権運動を担ったのは天皇主義者が多かった。この中から、玄洋社のような「国民の主権」と「天皇の大権」の一致を目指す右翼団体が現れ、親鸞主義や日蓮主義と深い関係を結んでいく。

 親鸞に傾倒したのは三井甲之。蓑田胸喜の師匠である。彼は、自力で世界や日本を作り上げようとしている帝大教授や政治家の賢しらを認めず、天皇の大御心を信じ、あるがままに任せることを説いた。一方、田中智学は、法華経と国体の一体化を説き、煩悶青年たちを超国家主義に結びつける道を開いた。「世界と一体化したい」という欲求は親鸞主義と共通するが、日蓮主義のほうが「変革志向」が強く、多くの革新右翼を引きつけた。

 しかし、なぜ伝統的宗教や教団が、国家神道に取り込まれ、全体主義に傾斜してしまったのか。島薗氏は、1890~1910年頃(第2期)に国家神道の制度やシステムが確立し、民衆が自発的に国家神道の価値観で行動するようになったと分析する。そして、1918年以降(第3期)民衆の苦悩は深まり、国体論と結びついた宗教が支持されるようになった。島薗氏いわく「明治国家を作り上げた元勲たちは、国家神道がここまで国を覆い尽くすことは予想しなかったはずです」という分析にぞっとした。誰もこんな運命を望んだわけではないのに、歴史はさまざまな逆説を生み出す。

 そこで戦前の不幸な経験を繰り返さないために、中島氏は、自力(日蓮)と他力(親鸞)のどちらのユートピア主義も否定するが、親鸞主義に大きな魅力があることは認める。親鸞の「自然法爾」の思想を全体主義に向かわせないためにはどうしたらよいか。保守主義を通じて考えるという一応の解答は示されるが、これは難問である。さらに現代の宗教と科学、現代の宗教とナショナリズムの問題が問われる。島薗氏は、現在の日本社会では、災害支援、貧困者支援、教育と医療などの領域で宗教的なものが求められている一方、国家神道の復興のきざしがあることに注意を喚起する。中島氏は「つまり、近年見られる偏狭なナショナリズムは、一見、宗教とは無関係に見えるけれども、実はその背後には国家神道の姿が見え隠れしているということですね」と応じる。

 宗教ナショナリズムや原理主義の台頭は、日本だけではなく、世界的に共通の現象なのだという。特に日本は、東アジア的な権威主義体制に戻ろうとしているように感じられる。この危機を乗り越えるために想起されるのは、柳宗悦の「多一論」。多元的なものは多元的なままで一元的であるという思想である。現代人は、宗教についてしっかり冷静に考える経験をあまり持っていないので、非常に足をすくわれやすい気がする。宗教の魅力と可能性を謙虚に受け止めながら、その暴走の危険性も十分認識しておく必要があると感じた。

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