見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

【6日目】屯渓の老街

2007-09-18 23:02:38 | ■中国・台湾旅行
○天台山:国清寺~屯渓:(徒歩観光)老街。

 いよいよ省境を越え、初の安徽省へ。夕暮れの老街(昔ふうの町並み)を散策。

 屋台のワンタン屋さん。むかしは中国の風物だったらしいが、最近は観光客相手に復活した。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【5日目】天台山の石梁飛瀑

2007-09-17 23:00:15 | ■中国・台湾旅行
○普陀山~(高速船)~寧波経由~天台山:(徒歩観光)石梁飛瀑、高明寺、智者塔院、方広寺。

 最澄が訪れた頃もかくやと思われるような、静かな山道が気持ちよかった。

 石梁飛瀑は、初めてなのに、どこかで見たような記憶があった。連れの友人に、ドラマ『射雕英雄伝』で使われていなかった?と言われて、納得。調べてみたら、ロケ地らしい(物語上の設定は天台山ではない)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【4日日】普陀山(観音菩薩の霊場)

2007-09-16 22:22:21 | ■中国・台湾旅行
○普陀山:普済寺、慧済寺、法雨寺、不肯去観音院、潮音洞、西天風景区。

 不肯去観音院(日本からの留学僧・慧蕚=えがくを開基と伝える)そばの潮音洞。波が荒い。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【3日目】寧波の天一閣

2007-09-15 22:23:43 | ■中国・台湾旅行
○寧波:天一閣、天封塔。~普陀山。

 高速船で普陀山(舟山列島)に渡る予定のところ、台風接近のため運航中止。別のフェリー路線を乗り継いで、夜半、普陀山に到着。

 寧波の天一閣は、中国現存の最も古い個人蔵書楼。明の1561年創建。陰気な蝋人形の司書官(?)がお迎え。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【2日目】(※途中参加)寧波へ

2007-09-14 22:23:05 | ■中国・台湾旅行
 恒例の中国旅行、今年は9/13(木)の出発が決まったあとで、私は研修出張を命じられてしまった。やむなく9/14(金)ひとりで成田を出発。杭州でガイドさんの出迎えを受け、寧波のホテルに連れて行ってもらう。新米のガイドさんが来ると思っていたら、妙にソツのない紳士が乗用車で迎えに来てくれた。あとで聞いたら、我々のツアーを請け負った旅行会社の日本部の副部長さんの由。

 以下は、私が参加できなかったスケジュール。

○【初日】9/13 杭州:良渚博物館、保淑塔、岳廟
○【2日目】9/14 杭州~寧波:河姆渡博物館、天童寺、阿育王寺、保国寺



 寧波は古い歴史を持つ港町。道元禅師もここで下船した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今夏のサルスベリ

2007-09-13 23:34:25 | なごみ写真帖
9月は日常業務を離れて、気分を変えよう。

昨日までが2泊3日の宿泊研修。期待していなかったのに有意義で楽しかった。

明日から恒例の中国旅行。万難を排しての出発である。
協力してくださった皆様、ありがとう。しばらくブログの更新はありません。



先週末に見に行ったサントリー美術館「BIOMBO」展のレポートを書いていないことだけが、ちょっと心残り。ま、しかたないか。

写真は我が家のベランダの向かい。大家さんの花壇のサルスベリ(台風前)。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

科学と妄想を語れ!/怪力乱神(加藤徹)

2007-09-09 23:30:49 | 読んだもの(書籍)
○加藤徹『怪力乱神』 中央公論新社 2007.8

 中国ネタが続くけど、ご容赦。全くの偶然である。先日、北方謙三『楊家将』の解説者として紹介した加藤徹さんの新刊を見つけた。表紙がカラフルでかわいいな~と思ったら、南伸坊さんの装丁である。好いな~ボッシュの絵画に出てきそうな怪物たちの元ネタは何だろう?

 「怪力乱神を語らず」は、もちろんあまりにも有名な孔子の言葉。超自然的なことに関心を払わないのが、中国の思想・文学の規範的な態度とされてきた。にもかかわらず、中国の諸書を丹念に読んでみると、ゾクゾクするような怪異と幻想が、多数著録されているのである。

 ――というフリで始まる本書であるが、最初はあまり面白くない。『論語』の「怪力乱神」の説明から始まるあたりは、サラリーマン向きの教養読みものみたいで気が乗らなかったのだが、だんだん怪しい世界に入っていく。『列子』とか『淮南子』ってすごいなー。『韓非子』もいいなー。『荘子』の一字一句に込められたイメージ喚起力って、あらためてすごいと思った(たとえば「北冥有魚、其名為鯤」の「鯤」は、小さな魚の巨大な群れを意味するという)。

 著者は中国古典(原則として、原文=白文/読み下し文/現代語訳の三種を掲げているのが有り難い)の隣りに、日本の伝説、近代文学、自然科学の数式など、連想するものを自由に並べていて、これらが興を添える。実は、達磨にまつわる「慧可断臂」の物語をきちんと知ったのは初めて。著者の自由な語り口が非常に印象的である。また女の鳥形霊「精衛」の伝説(出『山海経』)から、ロボット博士西村真琴と魯迅の交友に及ぶ段も興味深い。

 私がいくぶん残念に思ったのは、澁澤龍彦への言及がないこと。アンドロイドの創作者「偃師」(出『列子』)、宝石の涙を流す人魚「鮫人」(唐詩など)。私は彼らの存在に、澁澤が晩年に書いた小説でめぐり合い、緻密な漢文脈が作り出す、蠱惑的な幻想をはじめて知ったのである。

 中国人の大好きな凧も、古代には脅威のハイテクだった(ヨーロッパでは16世紀以前に凧は知られていなかった)。BC4世紀の墨子は凧を軍事技術として用いたとされる。後漢の張衡には模型飛行機の伝説がある。あと、中国の宇宙論も意外とすごい。「宣夜説」というのは、一種の宇宙無限説である。いま、その箇所を見つけられないのだが、「空が青いのは、その色が付いているのか、果てしないためか」云々という文章があって、これにも感銘を受けた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

中国近代史再見/映画・さらば、わが愛 覇王別姫

2007-09-08 21:55:51 | 見たもの(Webサイト・TV)
○「中国映画の全貌 2007」より陳凱歌(チェン・カイコー)監督 映画『さらば、わが愛 覇王別姫』(1993)

■新宿 ケイズシネマ
http://www.ks-cinema.com/schedule.html

■goo映画:『さらば、わが愛 覇王別姫』
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD16621/index.html

 特集上映「中国映画の全貌 2007」に行って、もう1本、中国映画を見てきた。いまさら、あらすじを説明するまでもないが、京劇『覇王別姫』を演じる2人の男優(立役と女形)そして1人の女性の愛憎を、清朝の余香を残す1920年代から、文革末期の1970年代まで、50年に及ぶ中国近代史の激動を背景に描いた大作。

 懐かしい。この作品を「中国映画ブームの火付け役」と評しているサイトを見つけた。なるほど、映画ファンの間では、もう少し前から中国映画への注目が始まっていたのではないかと思うが、商業ベースで客が呼べるようになった中国映画は、本作(1994年日本公開)が最初だったかも知れない。

 そして、実は私が中国映画を見始めた最初の1本もこの作品だった。確か渋谷のBunnkamuraで、アジアびいきのイギリス人(スコットランド人)に誘われて見た。告白すると――13年前、私はこの映画の歴史的背景が全く分からなかった。いや「覇王別姫」の物語は知っていたし、京劇の音曲にも違和感は無かったし、画面はきれいだと思ったけれど、そこまでである。

 まず、文化大革命を知らなかった。いや、言葉くらいは……知っていたけど。1960~70年代、中国で何があったの? あの傍若無人な、暴徒のような若者たちは何?と、映像に面食らった。この映画の少しあとに、映画『青い凧』を見て、小説『ワイルド・スワン』や『文化大革命十年史』を読み、日本とはあまりに懸け離れた隣国の同時代史を理解したのは、ずっと後のことだ。

 さらにいえば、戦争を挟んで、次々と入れ替わる北京の「主人」たち。あれもよく分からなかったなあ。私は、戦争中に、日本軍が北京を支配した時期があったということさえ、分かっていたのかどうか、曖昧である(90年代半ばには、日本のアジアに対する戦争責任の議論は、今ほど苛烈ではなかった)。しかも、日本軍の敗戦撤退後も、踵を接して、国民党→共産党という「政変」が続く。初見のときは、何が起きているのか、次に何が起きるのか、全く理解できないまま、物語の進行を追うのがやっとだった。あのとき、私は30代半ば。高校で「世界史」を学んで、平均よりは、よく勉強したほうだと思うが、こんなものである。

 今回は、さすがに年の功で、時代背景を把握しながら見ることができた。そうすると、たとえば、主人公が阿片に溺れるほどの絶望も、愛する人を裏切らなければ生き抜けなかったことも分かる。

 映画は、1977年、2人が京劇の扮装をして無人の体育館に入り、「覇王別姫」を演じ始めるところから始まる。そして長い回想の物語があり、再びもとに戻って、女形の蝶衣が自刎するところで終わる。これ、1977年の何月の設定だったか、最初の字幕を見落とした。1977年8月に中国共産党は、文革の終結を宣言する。体育館の管理人さんの声が「全て四人組がやった(騒がせた)ことさ(都是四人幇閙的)」って言ってたから、もう文革は終わっているのかなあ。だとすれば、ようやく暗黒の時代が終わり、新しい未来が開けようとしているときに、なぜ蝶衣は自殺したのだろう。それだけ、彼の絶望は極まったということなのか。

 京劇「覇王別姫」のクライマックス(の直前)の歌詞は、字幕によれば、恨めしきは敵の暴君、民に苦しみを与え……云々という。結局、中国の近現代における最大の「暴君」とは誰?(人民自身ではなかったか?)という隠しテーマが見え隠れするように思った。でも、歌詞がきちんと聴き取れなかったのが悔しい。

 実は、レスリー・チャンの美しさだけが印象に残って、細部はほとんど忘れていたのだが、前近代的な中国社会の恥部がきちんと描かれていて、非常に面白い映画である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

憧れのヨーロッパ/「結婚式教会」の誕生(五十嵐太郎)

2007-09-06 22:35:53 | 読んだもの(書籍)
○五十嵐太郎『「結婚式教会」の誕生:メイド・イン・ジャパンの愛の聖地』 春秋社 2007.8

 こんな研究もあり得るのだ、と驚き呆れるような本が出た。結婚式教会――つまり、結婚式という用途のためだけに建てられた、信者なきチャペル/カテドラルをいう。ラスベガスなど、少数の例外はあるが、基本的には日本独特の現象だ。信者のための教会が宗教建築であるのに対して、結婚式教会は単なる「集会所」として登記されている。

 信者のための教会が、様式にこだわらず、むしろ地域コミュニティに溶け込むことを目指しているのに対して、結婚式教会は「教会らしさ」を徹底的に追究する。このとき、アジアやアフリカのコロニアル様式は問題外で、ヨーロッパこそが「正統」と目される。ただし、細かい様式へのこだわりはない。ゴシック式の尖塔が、古典主義的列柱の上に載っていようと、アールヌーボー的な装飾と同居していようと、そんなことはお構いなしなのだ。

 とはいえ、結婚式教会はゴシックのパーツが好きだ(尖塔、薔薇窓、ステンドグラスなど)。ヨーロッパ建築といえば、ゴシック。これは、どうも日本人だけの連想ではないらしい。昨年訪ねたイエール大学の、長い歴史を感じさせる建築群が、実は20世紀初頭のゴシック・リバイバルだと知ったときは、ちょっと騙されたような気がした。キャンパスの風格を保つため、わざわざ「汚し」を入れると聞いたときは感心したが、本書を読むと、日本の結婚式教会でも全く同じことをやっている。

 建築家の立場からは、結婚式教会だからにせもので、信者のための教会なら優れているとは、一概に言えない。日本人がキリスト教を受容した近代初期の古い教会には、「キッチュすれすれ」なものもある。一方、安藤忠雄による「風の教会」「水の教会」などは、非日常的な空間演出に成功しており、評価の高い結婚式教会である。挙式の場として、建築家ギョーカイのカップルにも”人気”というのが、微笑ましい。

 けれど、女性たちの欲望の行き着くところ、教会という宗教建築のみならず、結婚式の主宰者である牧師や神父までも「ヨーロッパらしさ」を演出するためのアイテムとして消費されている(無論、西洋人=白人でなければならない)現状には、いくぶん、目を覆いたくなるものがある。

 私は、ふと吉見俊哉氏の『親米と反米』(岩波新書 2007)を思い出した。戦後の日本人にとって、最も大切な外国はアメリカだったという指摘に異論はない。だが、もしかすると、日本の男たちが「アメリカとの一体化」によって自信を回復し、強い男性性を確立しようとしたのに対し、消費の欲望に忠実な若い女性たちが、強くヨーロッパを志向するのは、多少滑稽な面はあっても、男性文化への「異議申し立て」を意味しているのではないか、とも思う。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族-続いていくもの/映画・心の香り

2007-09-04 23:33:21 | 見たもの(Webサイト・TV)
○「中国映画の全貌 2007」より孫周監督 映画『心の香り』(1992)

■新宿 ケイズシネマ
http://www.ks-cinema.com/schedule.html

■goo映画:『心の香り』
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD16513/comment.html

 中国ネタが続くが、「中国映画の全貌2007」を見てきた。この夏は思うように休暇が取れなかったので、休める日の限られた選択肢の中から、この作品を選んで見に行った。

 ふと自分のブログを検索して、そうか、近年は「中国映画の全貌」に行っていなかったんだな、と思い起こした。この新旧中国映画を一挙に紹介する特集上映は、1990年4月から不定期に、17年間、7回にわたって、千石の三百人劇場で行われてきたが、同劇場の閉館にともない、今年は、場所を新宿のケイズシネマに移して開催されている。三百人劇場の「中国映画の全貌」にずいぶん通った。80年代の名作『芙蓉鎮』も『赤いコーリャン』も私はこの特集上映で見た。実は『心の香り』も、千石で一度見ているのだが、もう一度見たくなって出かけたのだ。

 舞台は珠海市の近郊か。70歳になる老京劇俳優・李漢亭(リー・ハンティン)のもとに、結婚して家を飛び出した娘のもとから、孫の京京(チンチン)がやって来る。離婚の相談中の両親から追いやられたのだ。似たものどうしの祖父と孫は、意地を張り合い、互いに寂しい本心を見せようとしない。

 やもめ暮らしの李漢亭の世話を焼いているのは、むかし馴染みの蓮姑(リエングー)。蓮姑の夫は、戦後、国民党員として(←たぶん)台湾に渡り、40年間音信不通だった。蓮姑は貞節を通して夫を待ち続けたが、夫は台湾で新しい家族を持っていた。そして、帰国直前の夫の急死を聞いた蓮姑も、静かに天に召される。ああ、中国と台湾の政治的分断は、こういう悲しい物語を数々生んでいるのだろうな、としみじみ思った。

 最初に観たときは、李漢亭の蓮姑の間に通い合う「恋」としか呼びようのない情感に、新鮮な衝撃を受けた。こんな老年期が過ごせたらいいなあ。日本人って、年を取ると子供に戻る(戻ってもいい)ことになっているけど、中国人のように、成熟したまま年を取るのも、なかなか素敵だと思う。

 舞台が南方に設定されているにもかかわらず、登場人物のセリフは標準語に近くて聞きやすい。平明だけど心に残るセリフがたくさんあった。あーでも、私の中国語力が落ちているので、十分に聞き取れなかったのが残念。蓮姑は京京に向かって「人生活着一輩子、可是不容易」(生きていくっていうのは、そう簡単なことではないのよ)って諭すように話しかけていたっけ。蓮姑が死を目前に李漢亭に語るセリフも、ちゃんと聞き取りたかったのになあ~。「富貴も何も望まなかった。情けのある暮らしができて幸せだと思う。でも、何か満足できないと思ってしまうのは、いけないことでしょうか」と語るのである。

 蓮姑とその夫の後生を弔う金策のため、秘蔵の胡弓を売りにいった李漢亭は、思いもかけず、京京が京劇を歌うのを聞く。私は、この美しいシーンを視覚的に記憶していたけど、あらためてスクリーンで見ると、心臓に突き刺さるような「声」のインパクトが強い。やっぱり、京劇って歌う(唱戯)ものなんだなあ、と思った。

 このとき、李漢亭は、自分がこの世を去っても、娘を通じて孫の京京に受け継がれていくものを確かに感じたのだと思う。中国人の「家(伝世)」を大切に思う気持ちが(それ自体、美しい面も醜い面もある伝統だけど)、抒情的に、共感豊かに描かれている。

 ラスト・シーン。京京は、どうやら母のものに帰ることにしたらしい。李漢亭は静かな言葉で京京を送り出したあと、まるで流行歌のような京劇の一節(?)を高らかに歌い上げる。「分かっているのに、敢えて聞く、云々」。これも悔しいが「明明知道」までしか聞き取れなかった。そして、街路をたどり始めた京京は、祖父の歌声に大声で「雲はここにあり」(?)と和するのだ。あれ、何の一節なのか、知りたい!!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする