○「中国映画の全貌 2007」より陳凱歌(チェン・カイコー)監督 映画『さらば、わが愛 覇王別姫』(1993)
■新宿 ケイズシネマ
http://www.ks-cinema.com/schedule.html
■goo映画:『さらば、わが愛 覇王別姫』
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD16621/index.html
特集上映「中国映画の全貌 2007」に行って、もう1本、中国映画を見てきた。いまさら、あらすじを説明するまでもないが、京劇『覇王別姫』を演じる2人の男優(立役と女形)そして1人の女性の愛憎を、清朝の余香を残す1920年代から、文革末期の1970年代まで、50年に及ぶ中国近代史の激動を背景に描いた大作。
懐かしい。この作品を「中国映画ブームの火付け役」と評しているサイトを見つけた。なるほど、映画ファンの間では、もう少し前から中国映画への注目が始まっていたのではないかと思うが、商業ベースで客が呼べるようになった中国映画は、本作(1994年日本公開)が最初だったかも知れない。
そして、実は私が中国映画を見始めた最初の1本もこの作品だった。確か渋谷のBunnkamuraで、アジアびいきのイギリス人(スコットランド人)に誘われて見た。告白すると――13年前、私はこの映画の歴史的背景が全く分からなかった。いや「覇王別姫」の物語は知っていたし、京劇の音曲にも違和感は無かったし、画面はきれいだと思ったけれど、そこまでである。
まず、文化大革命を知らなかった。いや、言葉くらいは……知っていたけど。1960~70年代、中国で何があったの? あの傍若無人な、暴徒のような若者たちは何?と、映像に面食らった。この映画の少しあとに、映画『青い凧』を見て、小説『ワイルド・スワン』や『文化大革命十年史』を読み、日本とはあまりに懸け離れた隣国の同時代史を理解したのは、ずっと後のことだ。
さらにいえば、戦争を挟んで、次々と入れ替わる北京の「主人」たち。あれもよく分からなかったなあ。私は、戦争中に、日本軍が北京を支配した時期があったということさえ、分かっていたのかどうか、曖昧である(90年代半ばには、日本のアジアに対する戦争責任の議論は、今ほど苛烈ではなかった)。しかも、日本軍の敗戦撤退後も、踵を接して、国民党→共産党という「政変」が続く。初見のときは、何が起きているのか、次に何が起きるのか、全く理解できないまま、物語の進行を追うのがやっとだった。あのとき、私は30代半ば。高校で「世界史」を学んで、平均よりは、よく勉強したほうだと思うが、こんなものである。
今回は、さすがに年の功で、時代背景を把握しながら見ることができた。そうすると、たとえば、主人公が阿片に溺れるほどの絶望も、愛する人を裏切らなければ生き抜けなかったことも分かる。
映画は、1977年、2人が京劇の扮装をして無人の体育館に入り、「覇王別姫」を演じ始めるところから始まる。そして長い回想の物語があり、再びもとに戻って、女形の蝶衣が自刎するところで終わる。これ、1977年の何月の設定だったか、最初の字幕を見落とした。1977年8月に中国共産党は、文革の終結を宣言する。体育館の管理人さんの声が「全て四人組がやった(騒がせた)ことさ(都是四人幇閙的)」って言ってたから、もう文革は終わっているのかなあ。だとすれば、ようやく暗黒の時代が終わり、新しい未来が開けようとしているときに、なぜ蝶衣は自殺したのだろう。それだけ、彼の絶望は極まったということなのか。
京劇「覇王別姫」のクライマックス(の直前)の歌詞は、字幕によれば、恨めしきは敵の暴君、民に苦しみを与え……云々という。結局、中国の近現代における最大の「暴君」とは誰?(人民自身ではなかったか?)という隠しテーマが見え隠れするように思った。でも、歌詞がきちんと聴き取れなかったのが悔しい。
実は、レスリー・チャンの美しさだけが印象に残って、細部はほとんど忘れていたのだが、前近代的な中国社会の恥部がきちんと描かれていて、非常に面白い映画である。