見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

煎茶も、お抹茶も/茶 Tea(出光美術館)

2010-04-12 23:54:45 | 行ったもの(美術館・見仏)
○出光美術館 日本の美・発見III『茶 Tea -喫茶のたのしみ-』(2010年4月3日~6月6日)

 お作法は何も知らないのに、最近、「茶の湯文化」に興味津々なので、とても楽しみにしていた展覧会。会場に入って、二番目の展示品が、上田秋成作の『白泥蟹形涼炉・焼締湯鑵』だった。え、秋成!? 「雨月物語」の作者として知られる国学者に、こんな趣味があったとは。涼炉(りょうろ)は携帯用の湯沸かし器で、素焼きの素朴さが文人たちに珍重され、装飾に富んだ品が生産されるようになったという。本作は、ハサミを身に引きつけ、ちぢこまったような蟹の姿を模している。湯鑵(とうかん、ゆがま)は、一人前の急須ほどの大きさ。表面は、焼き過ぎた焼栗のように皺が寄って、翁さびた味わい。

 旧蔵者は田能村竹田で、あるとき、客に向かって竹田が「質朴而雅、粗而淳而無欸(?)」と本作を賞すると、客は「なるほど、秋成翁のひととなりに頗る肖(に)ている」と肯いた、という挿話が箱書に記されている。2010年は秋成没後200年に当たり、私は、この夏、京博の上田秋成展を楽しみにしているのだが、こうした手すさびの作品も出るのだろうか。ちょっと楽しみが増えた。国学者の秋成が、中国風に”阮秋成”と名乗っていたことも初見。

 続いて青木木米作の急須が並んでおり、どれも小さくて機能的でモダンな趣き。茶碗も、中国茶の茶芸を思い出すくらい小さい。見ていたお客さんが「煎茶なのね」とささやいているのを聞いて、そうか、と気づいた。だから、全体に中国色が濃厚なのか…。『茶 Tea』という展覧会タイトルを聞いたときは、無条件にお抹茶を想像していたのに、冒頭に煎茶のたのしみを据えた構成は、意表をついていて面白い。

 本格的な「茶の湯」文化の紹介は、第3部「茶のしつらい」から始まる。まず、茶掛けとして珍重されてきた書画の名品がずらり。これは贅沢! 牧谿の『平沙落雁図』(瀟湘八景図巻の一)は、一瞬、白紙?と怪しむような茫漠とした画面で、よく見ると、うっすらと雁の列と、列からこぼれてたたずむ四羽の雁が、たよりなく描かれている。伝来の解説を読んだら「東山御物→豊臣秀吉→上杉景勝→徳川秀忠→松平忠直」だそうだ。お~景勝も見たのか? 私は宗峰明超の個性的な墨蹟『偈頌』が一押しに好き。佐竹本三十六歌仙絵の『遍照』は久しぶりに見る。坊主めくりの坊主は地味で嫌われるが、これは、さすが僧正の位にふさわしく、どこか色っぽさと、華やいだ雰囲気がただよう。

 それから、花生、茶碗、茶入、香合、釜…と、お道具のジャンルごとに名品を紹介する。取り合わせの妙を無視して、それぞれ好きなものを選ぶと、花生は伊賀焼。伊賀とか高取って、単独では癖が強すぎるように感じるが、実際に花を生けると、ぐんと映える。茶碗は井戸茶碗を主としたオーソドックスなセレクションだったが、奥高麗(古唐津の名品で、高麗茶碗茶碗に近いもの)の『銘・秋夜』を推す。茶入はどれも個性的で目移りするが『師匠坊』がいい。香合は光悦作『楽焼兎文香合』。赤楽焼に白ウサギが、お菓子のようにかわいい。水指は『古染付葡萄棚文』が気に入った。…これ、たとえばパソコンの画面で取り合わせてみるゲームがあったら、面白いと思うのは私だけだろうか。

 おまけで、茶懐石の食器や文房具も展示されていた。器の中に龍のミニチュアを配した『白磁登龍筆洗』は、筆を洗うと墨が流れ出して”雲龍に見える”というところをCGパネルで紹介してあったのがGJ! こういうの、もっとやってほしい。
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文書で読む幕末・明治/旗本御家人II(国立公文書館)

2010-04-11 23:57:02 | 行ったもの(美術館・見仏)
国立公文書館 平成22年度春の特別展『旗本御家人II-幕臣たちの実像-』(2010年4月3日~4月22日)

 宮仕えの恒例で、新しい職場に近い引っ越し先を物色中。その合い間をぬって、いわば宮仕えの先輩、幕臣(旗本御家人)たちの人生模様を紹介する、国立公文書館の特別展を見に行った。同展のベースになっているのは「多聞櫓(たもんやぐら)文書」といって、江戸城の多聞櫓(多聞=多門、長屋状の建物)に残された文書類。昨年の『旗本御家人(パートI)』の展示解説によれば、「幕末維新期の混乱で江戸城多聞櫓に未整理のまま残された文書の総称。幕末の(江戸前期の文書も若干あり)幕府の公文書がほとんど」だという。

 まず、旗本御家人の誕生・出生届から、素読吟味、学問吟味、就職、結婚、引退と、その人生の節目節目を紹介する。今回の展示は、書籍(冊子)のかたちをしていない資料(書簡や半紙の切れ端のメモなど)が多いことが、公文書館(アーカイブズ)らしくて面白かった。上記の解説には、多聞櫓文書46,600件のうち6,600件近くが「明細短冊」だとある。「明細短冊」とは、よく分からないが、ペラ紙のメモのようなものを言うらしい。

 おお~と感心したのは、学問吟味の試験問題。小さな短冊形の半紙に、読みやすい字で清書されている。受験生の手元に配られたのかな?と思ったが、そうではなくて、紙に大書して、試験場に張り出したそうだ。そうすると、この短冊は問題作成者から、当日の試験監督者への指示文書だったのかな。学問吟味の受験者が、自分の履修歴を記して提出した文書もあった。のちの外国奉行、平山敬忠は歴史科で史記・前漢書・後漢書のほか、三国志と五代史を学んでいる(ちょっとマニアックw)。

 続く「異才の幕臣たち」のセクションでは、多様な才能を発揮した幕臣たちが続々と登場。中川忠英(ただてる)の『清俗紀聞』って、幕府献上本は、こんなに奇麗な彩色本だったのか。天文学者として語られることの多い高橋景保については、『満文強解』『亜欧語鼎』が紹介されている。前者は、ロシアの使節が長崎奉行に呈した満洲語の国書(なぜ?!)の写しを訳したもの。景保自筆本で、繊細な筆跡から人柄をしのぶことができる。後者は、景保が満洲語の学習に用いた私蔵本。それにしても、何でもできた人だったんだなあ。

 その景保がシーボルト事件に連座して逮捕され、獄中で病死、死骸は塩漬けにされたという顛末を記したのが『蛮蕪子』(景保の号にちなむ)。挿絵入りの筆写本であるが、いったい著者は誰なんだろう…。何気なく展示箇所を読んでみたら、死骸の塩漬けのつくりかたが書いてあって、ぎゃっと唸ってしまった。尻の穴へ竹筒をつらぬき、塩を突込むの夥しき、八九計も入ればよし(?)口を開きてここよりも塩を詰めるとぞ云々、という大意である。添えられた現代語訳は、さすがにこの生々しい部分は無視していたけれど。

 異才の幕臣の紹介は、明治以降にも活躍した、大鳥圭介、成島柳北に至る。この人選もなかなかいい。ビジュアル的に面白い資料も一部取り入れられてはいるけれど、むしろ正攻法で、文書(もんじょ)を読む楽しさを体験できる好企画である。
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二人の転向者/拉致2(蓮池透)

2010-04-10 21:30:57 | 読んだもの(書籍)
○蓮池透『拉致2:左右の垣根を超える対話集』 かもがわ出版 2009.12

 蓮池透氏の著書を読もうと思ったきっかけは、『拉致』(かもがわ出版 2009.5)の感想に記したとおり。続けて、本書を読んだ。蓮池透氏が、池田香代子氏・鈴木邦男氏・森達也氏と語った3つの対談を収めている。

 最初の池田香代子氏だけは、よく知らなかった。ミリオンセラー『世界がもし100人の村だったら』の著者だというので、ベストセラー作家に偏見のある私は、もしや食わせ者文化人では?と身構えてしまったが、地道な平和運動、難民支援などを続けてきた方らしい。偏見のない、良心的な聞き役として、拉致問題の7年間の経過を、蓮池さんから聞き出しており、たぶん一般読者にとって、最も入りやすい対談になっていると思う。

 続いて登場する「右翼」の鈴木邦男氏と「左翼」の森達也氏は、どちらも私の好きな言論人。鈴木さんは面白いなあ。まず、行動派である。長年の念願がかなって(17回もビザを申請して下りなかった)、2008年4月、実際に北朝鮮に行ってきたという。「右翼の人たちから許せないとかめちゃめちゃ言われると思ったのですよ。下手したら刺されるかもしれないと。まあ、それでもいいやと思ったのです」って…「まあ、それでもいいや」って結論の付け方に吹いてしまった。

 最近は、右翼や左翼と呼ばれる人々に比べると、かえって「一般市民」のほうが、意固地で排他的な印象がある。鈴木氏も「右翼なんかより、市民運動のほうがもっと過激だし、きついですからね」と述べている。変な社会になってしまったものだ。それゆえ、鈴木氏は「善意で国民みんなが家族を支援してくれていますが、応援はありがたいのだけれども、その応援があることで身動きがとれないということはありませんか」と問いかけ、蓮池氏は正直に「そういう面はあると思います」と答えている。とりわけ、「救う会」の活動が、拉致被害者家族である蓮池氏の思いから離れていった過程は、この対談の中で、詳しく語られている(いろいろと腹を括らなければ、語りづらい部分もあったと思うが)。

 さらに森達也氏との対談では、「救う会」の介入が被害者家族の分断を生み、蓮池氏が、言葉は悪いが「家族会」から放逐されていくあたりが、生々しく語られている。森氏は、蓮池氏の遠慮を斟酌した上で、「ならば僕が代わりに言います。北朝鮮の体制打倒は、救う会の母体である現代コリア研究所の運動理念です」と断ずる。もちろん彼らにも拉致問題を解決したいという気持ちはあるが、本音の優先順位は、北朝鮮の体制崩壊こそが先決で、「彼らの運動理念に、結果としては家族会という存在が利用されてしまった」のではないか。この説明に、蓮池氏は「はい、大当たりです」と応じている。

 現代コリア研究所かあ。これがまた、森氏の説明によれば、「かつて帰還運動にかかわって大きな間違いを犯したというルサンチマンがある」人々なのだという。え、どういうこと?と気になったので、調べてみた。すると、Wikiによれば、「現代コリア」主筆の佐藤勝巳氏は、元日本共産党員で、在日朝鮮人の帰還事業に参加し、北朝鮮から2度にわたり勲章を授与され、在日韓国・朝鮮人差別反対運動にも大きくかかわった、とあるではないか。にもかかわらず、その後、北朝鮮の実態に失望し、反北朝鮮的立場へと転向したのだという。これは興味深い。ある意味では、佐藤勝巳氏と蓮池透氏は、ちょうど逆の立場の転向者どうしと言えなくもない。

 なるほど、人間は変われるんだ。ここまで変わらざるを得ない転機ってあるものなんだ。しかし、いま、本当に必要なのは、右の強硬派から左の強硬派(あるいはその逆)のシフトでなくて、左右の思想的対立から、いさぎよく「下りて」しまうことなのではないかと思う。両陣営から、臆病者、変節漢と謗られようとも。蓮池さん、長くて困難な闘いになるだろうけど、がんばって下さい、と小さな声でエールを送っておく。
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新しい職場:ヤエザクラと海棠

2010-04-09 22:30:41 | なごみ写真帖
宮仕えには毎度のことで、4月1日から勤務先が変わった。まだ何も役に立つ仕事ができない私は、ぼんやり外の花に気を取られていたりする。

さすがにソメイヨシノは半分ほど散ってしまったが、ヤエザクラと、私の大好きな海棠(!!)が花盛り。

この職場では、何回、春を迎えるだろう。





引っ越し先は決めたが、準備はまだ手つかず…。

このところ、ブログ(それも読書記事)にたくさんコメントをいただいていてるのに、返事も書かず、すみません。なにとぞ、ご容赦。うれしいです。
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あれから、7年半/拉致(蓮池透)

2010-04-07 23:44:38 | 読んだもの(書籍)
○蓮池透『拉致:左右の垣根を超えた闘いへ』 かもがわ出版 2009.5

 人事異動だの引っ越しだの、身のまわりの雑事に取り紛れて、社会の動きなど、どうでもよくなる年度末に、看過できないニュースが流れた。「北朝鮮による拉致被害者家族会の飯塚繁雄代表は28日、拉致被害者で帰国した蓮池薫さんの兄透さん(55)を、家族会から退会させる決議をしたと表明した」と言うのだ(asahi.com:2010/3/28)。

 蓮池透氏といえば、2002年9月17日の小泉首相訪朝を契機に、5人の拉致被害者が帰国し、日本国内の世論が北朝鮮に対して強硬姿勢に傾斜した当時、アジテーションの急先鋒に立っていた人物だ(と記憶している)。私は、金大中氏や、日本でいえば姜尚中氏や和田春樹氏が唱える対話路線(すごく大雑把な括りだが)にシンパシーを感じていて、制裁や圧力でこの問題を解決しようという姿勢には疑問を感じていたので、ちょっと困った人だなあ、と思って、テレビの中の蓮池氏を見ていた。

 それが、2、3年前だろうか、姜尚中氏が誰かとの対談本で、最近、蓮池透さんと話をする機会があって、彼は「家族会」の目的が、決して北朝鮮の体制打倒にあるのではないということから、少し考えを変えつつあるようだ、と語っているのを読んだ。あの蓮池氏と姜尚中氏の間で対話が成立している、ということに、ものすごくびっくりした。何しろ、本書に自ら書いているとおり、一時は「憲法九条は拉致問題の解決を阻害している」とまで発言していた超強硬派だったから。

 そんなわけで、私は「蓮池透氏、家族会退会」のニュースを聞いたとき、衝撃が七割と、ああ、やっぱり、が三割くらいだったのである。そういえば、蓮池さん、本を出していたよな、と思って、本屋に走った。本書には、2004年4月まで「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(=家族会)の事務局長をつとめ、現在も被害者救出のために力をつくすという立場に変わりはないという著者が、なにゆえ、「家族会」の運動とは「少し距離を置くようになった」かが、平易な言葉で、きわめて率直に語られている。

 それは、ひとことでいえば、「家族会」を支援すると言いながら、実際には彼らの目的である北朝鮮の体制打倒に「家族会」を利用しようとする人々への違和感である。具体的には「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(=救う会)を指すと言っていいだろう。そうか、「家族会」と「救う会」って別組織だったんだ、ということに、私は本書を読んで、はじめて気付いた。そのくらい、フツウの日本人にとって「救う会」と「家族会」は一体化してしまっているのだ。そして、「家族会」を前面に押し立てた「救う会」は、国民の世論を味方につけ、マスコミと政府を完全に制圧してしまった。拉致問題は聖域化し、「家族会」の意向に逆らう報道は事実上不可能になった。政府は、何の戦略もないまま、「家族会」の言うとおりの制裁路線を続けてきた。著者は、この状況に異を唱えて言う、「もしかしたら、家族の意向に逆らってでもやることが、問題の解決にとって必要な場合だってあるでしょう」と。非常に理性的で、透徹した認識だと思う。

 著者は、北朝鮮がこだわり続ける植民地支配の問題について「私自身、あまりよく知りません。学校で教えてもらった記憶もありません」と正直に認めつつ、しかし、もう少し日本側がまじめに考える必要があるのではないか、と述べる。政治や外交についても、著者は、特に学問的な訓練を受けた人ではないと思うが、どうしたら拉致被害者を救出することができるか、という真摯な一念から導き出された思索は、上っ面だけの学者の空理空論より、はるかに明晰で説得力に富み、読みごたえがある。見事だ。そして、2002年当時の蓮池透氏しか覚えていない読者には、真摯な思索は、ここまで人間を変えるのか、という感慨を抱かせてくれる本でもある。過ちては則ち改むるに憚ることなかれ。
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現代歴史学の問い/日本の近現代史をどう見るか(岩波新書編集部編)

2010-04-06 00:35:13 | 読んだもの(書籍)
○岩波新書編集部編『日本の近現代史をどう見るか』(岩波新書:シリーズ日本近現代史10) 岩波書店 2010.2

 岩波新書の「シリーズ日本近現代史」は、2006年11月刊行の『幕末・維新』から、2009年1月刊行の『ポスト戦後社会』まで、第一線の(いま旬の、と言いたい)研究者が近現代日本の通史を執筆したものだ。本書は、その最終巻に当たり、カーテンコールよろしく9人の執筆者が再登場して、「それぞれの時代の性格をとらえる際の根本的な問題を『問い』のかたちで掲げ、それに答えて」いる。

 各人の持ち紙数は、わずか30ページ弱だが、どの章を読んでも、目からウロコの落ちる、新鮮な衝撃が待っている。たとえば、第1巻の著者、井上勝生氏は、無為無策な幕府が、開国に際して不平等な条約を押しつけられ、それに反対する天皇と朝廷が登場するという、よく知られた幕末・維新の「物語」に対して、幕府の役人は、けっこう頑張ったことを評価する。外国人の旅行権の制限は、外国商人の産地買い付け目的の侵入を防止し、国内市場の保護に役立ったという。旅行くらい自由にさせてあげればいいのに、なんて思ってしまうのは、当時の日本人を、外国人アレルギーにとらわれた「半未開民族」と見なす先入観(欧米人側の視線)に毒された結果なのだ。

 第2巻の著者、牧原憲夫氏は、明治10年代=自由民権運動の時代の捉えかたについて、政府と民権派の二極構造ではなく、政府-民権派(国家を主体的に担おうとする知識人、村落指導者)-民衆(国家の客分として仁政を求める人々)の三極構造を想定すべきだと提言する。この三極構造図は、現代の日本にも適用できそうな気がする。

 成田龍一氏は、大正デモクラシーの中に「モダニズムとナショナリズム、外来性と土着性、開放感と閉塞感というような二重性を有し、二つの極を持つ思想が同居」していたことを、当時流行していた大衆文学(鞍馬天狗、吉屋信子、雑誌「キング」や「新青年」等)を素材に論じている。こういう、ゆるいマスカルチャーと大文字の政治思想状況を横断する研究視点は大好きだ。

 かと思えば、1930年代の戦争に焦点をあてた加藤陽子氏は、侵略戦争は国際共同体に対する犯罪であり、ゆえに大国アメリカは「中立」を経済制裁の手段として行使できる、という考え方(これも現代と密接につながる)が生まれてくる過程を、骨太の筆法で描き出す。こんな具合で、多人数のアンソロジーでありながら、とにかく無駄がない。おそろしく贅沢な編集である。

 終章には、再度、成田龍一氏が登場し、歴史学研究における本シリーズの位置を論じている。「国家」の歴史を記述した戦前の歴史学に対して、戦後歴史学は「国民」の歴史を志した(民衆史もそのバリエーションのひとつ)。しかし、21世紀の歴史学は、「国民」や「民衆」の意味を問い、通史の意味を問い直そうとしている。その結果(以下は私見)、かつてはひとつの価値判断のもとにあった事象が、さまざまな光源に照らされて、複雑な光と影を見せるようになってきたと思う。こういうややこしい歴史叙述は、おとなの教養にはうってつけだが、中高生などの初学者向けに整理されていくには、まだ少し時間がかかりそうな気がする。なんとか空中分解しない程度に、現代歴史学のスタンダードがつくられていくことを望みたいと思う。
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動画サイトで観るアイスショー「Kings on Ice」

2010-04-04 23:59:22 | 見たもの(Webサイト・TV)
○ニコニコ動画→タグ「プルシェンコ」を含む動画より

 4月に入り、新しい生活が始まった。当分の間、長くなった通勤時間に耐えなければならないが、仕事の負荷はそれほど高くない。にもかかわらず、ブログの更新をサボっているのは、別に時間を費やしているものがあるためである。

 基本的にスポーツ音痴の私が「バンクーバー五輪・プルシェンコにハマる」と書いたのは、ひと月前のことである。その後、突然のフィギュアスケート熱は、次第に亢進して、本格的な”マイブーム”に突入してしまった。オリンピックの後は、イタリア・トリノで行われた世界選手権に関心が続いた。日本人選手のダブル優勝も嬉しかったが、それ以外にもいろいろな選手を覚えた。女子のフリープログラムは、某掲示板を覗いたら、カナダのインターネットラジオ局が動画配信していることが分かり、リアルタイムで観戦することができた。

 そして、引き続いて「Kings on Ice(Короли льда)」である。プルシェンコが主催(もちろん出演も)するアイスショーで、3月30日にサンクトペテルブルクで、31日にモスクワで公演が行われた。その直後から、動画共有サイトには、関連動画がどんどん上がり始めた。私はよく知らないのだが、日本と違って海外では、観客がビデオ撮影することをあまり規制しないらしい(そういえば美術館でも撮影OKのところが多いなあ)。

 最も魅力的な動画は、ジョニー・ウィアー、ブライアン・ジュベール、ステファン・ランビエール、エフゲニー・プルシェンコの4人の即席ユニットによる群舞。「銀盤のF4」だねえ、ほんとに。いちおう群舞として成り立つ程度には振付を合わせているのだが、それぞれの個性が突出していて、和気藹々と競っている感じがとても楽しい。投稿されている動画は、撮影者の位置と好み(誰のファンか)によって、微妙に「味わい」が異なるため、何本見ても飽きない。私は、この数日間、時間を忘れて延々とリピートしまくりである。さらに練習風景には、本番ステージでは絶対に見られない表情が映っていて、泣きたいほど幸せな気分になる。私は、ほぼひと月前まで、この4人を誰も知らなかったというのに…。

 動画の質と量では、やっぱり「You Tube」だが、私は「ニコ動」で他人のコメントを読みながら観るのが好きだ。動画の鑑賞方法って、テレビ時代とは全然違っているなあと感じる。また、某掲示板を読みに行くと、本当に好きな人たちは、ロシア語やスウェーデン語のサイトを読みに行って、最新ニュースを拾ってきてくれている。つられて、私もほとんど見たことのなかったロシア語圏のサイトを見に行き、10年くらい前に初歩の初歩だけ習ったロシア語を必死で思い出しながら、単語を拾い読みしてみたりした。ロシアも、動画サイトのデザインは日本や欧米と変わらないんだな、と思う一方、ニュースを自動翻訳にかけてみたら「Kings on Ice」のチケットを求めて殺到した人々が「メーデーの行列」に例えられていて、ソ連時代の名残りか?と苦笑させられたり。

 何かひとつ新しいことに関心を持つと、芋ヅル式に新しい世界が開けていくのは楽しいものだなあ。まだまだ、発見できる楽しみはたくさんありそう。
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