見もの・読みもの日記

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あれから、7年半/拉致(蓮池透)

2010-04-07 23:44:38 | 読んだもの(書籍)
○蓮池透『拉致:左右の垣根を超えた闘いへ』 かもがわ出版 2009.5

 人事異動だの引っ越しだの、身のまわりの雑事に取り紛れて、社会の動きなど、どうでもよくなる年度末に、看過できないニュースが流れた。「北朝鮮による拉致被害者家族会の飯塚繁雄代表は28日、拉致被害者で帰国した蓮池薫さんの兄透さん(55)を、家族会から退会させる決議をしたと表明した」と言うのだ(asahi.com:2010/3/28)。

 蓮池透氏といえば、2002年9月17日の小泉首相訪朝を契機に、5人の拉致被害者が帰国し、日本国内の世論が北朝鮮に対して強硬姿勢に傾斜した当時、アジテーションの急先鋒に立っていた人物だ(と記憶している)。私は、金大中氏や、日本でいえば姜尚中氏や和田春樹氏が唱える対話路線(すごく大雑把な括りだが)にシンパシーを感じていて、制裁や圧力でこの問題を解決しようという姿勢には疑問を感じていたので、ちょっと困った人だなあ、と思って、テレビの中の蓮池氏を見ていた。

 それが、2、3年前だろうか、姜尚中氏が誰かとの対談本で、最近、蓮池透さんと話をする機会があって、彼は「家族会」の目的が、決して北朝鮮の体制打倒にあるのではないということから、少し考えを変えつつあるようだ、と語っているのを読んだ。あの蓮池氏と姜尚中氏の間で対話が成立している、ということに、ものすごくびっくりした。何しろ、本書に自ら書いているとおり、一時は「憲法九条は拉致問題の解決を阻害している」とまで発言していた超強硬派だったから。

 そんなわけで、私は「蓮池透氏、家族会退会」のニュースを聞いたとき、衝撃が七割と、ああ、やっぱり、が三割くらいだったのである。そういえば、蓮池さん、本を出していたよな、と思って、本屋に走った。本書には、2004年4月まで「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(=家族会)の事務局長をつとめ、現在も被害者救出のために力をつくすという立場に変わりはないという著者が、なにゆえ、「家族会」の運動とは「少し距離を置くようになった」かが、平易な言葉で、きわめて率直に語られている。

 それは、ひとことでいえば、「家族会」を支援すると言いながら、実際には彼らの目的である北朝鮮の体制打倒に「家族会」を利用しようとする人々への違和感である。具体的には「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」(=救う会)を指すと言っていいだろう。そうか、「家族会」と「救う会」って別組織だったんだ、ということに、私は本書を読んで、はじめて気付いた。そのくらい、フツウの日本人にとって「救う会」と「家族会」は一体化してしまっているのだ。そして、「家族会」を前面に押し立てた「救う会」は、国民の世論を味方につけ、マスコミと政府を完全に制圧してしまった。拉致問題は聖域化し、「家族会」の意向に逆らう報道は事実上不可能になった。政府は、何の戦略もないまま、「家族会」の言うとおりの制裁路線を続けてきた。著者は、この状況に異を唱えて言う、「もしかしたら、家族の意向に逆らってでもやることが、問題の解決にとって必要な場合だってあるでしょう」と。非常に理性的で、透徹した認識だと思う。

 著者は、北朝鮮がこだわり続ける植民地支配の問題について「私自身、あまりよく知りません。学校で教えてもらった記憶もありません」と正直に認めつつ、しかし、もう少し日本側がまじめに考える必要があるのではないか、と述べる。政治や外交についても、著者は、特に学問的な訓練を受けた人ではないと思うが、どうしたら拉致被害者を救出することができるか、という真摯な一念から導き出された思索は、上っ面だけの学者の空理空論より、はるかに明晰で説得力に富み、読みごたえがある。見事だ。そして、2002年当時の蓮池透氏しか覚えていない読者には、真摯な思索は、ここまで人間を変えるのか、という感慨を抱かせてくれる本でもある。過ちては則ち改むるに憚ることなかれ。
コメント (1)
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