○サントリー美術館 『和ガラス-粋なうつわ、遊びのかたち-』展(2010年3月27日~5月23日)
江戸から明治にかけてつくられた「和ガラス」の展覧会。冒頭に展示されていたのは「藍色ちろり」(江戸中期、18世紀)。急須型の、冷酒を注ぐ容器である。サントリー美術館の優品として人気が高く、ポスターやグッズで、すっかり「イメージ」が焼き付いているが、私は、実際に見た記憶があまりない(初見かと思ったくらい。実は2004年に『ありがとう赤坂見附 サントリー美術館名品展』で見ている)。あらためて現物に向き合うと、イメージよりも大ぶりで、意外とがっしりしていることに驚いた(外国映画の女優さんを語っているみたいだなあ)。和ガラスとして、比較的、初期(18世紀)の作品で、まだ薄さや軽さを追求する技術は、十分でなかったように思われる。
だが、私は、色彩も造型も単純な、初期の作品のほうが、手に届かない美しいものをつくろうとする一途な憧れがにじみ出ているようで好きだ。カット(切り子)の技法が定着する以前。手仕事の懐かしさを感じさせる、まだ不均等で肉厚のガラス。色は紫・緑・黄色が多くて(おや、古九谷の配色と同じだ)、青(藍)は、例が少ないように思った。発色が難しいのだろうか。
この展覧会、「和ガラス」の美を愛でるだけのものかと思ったら、途中に、ものすごくデカい眼鏡(つるなし)が展示されていて、びっくりした。1751年から眼鏡の取り扱いを始めた京都の玉与の看板(江戸~明治前期)だそうだ。文献資料も取り揃えてあって、『和漢三才図会』(1712年刊)の「硝子(びいどろ)」の項には、その化学的な製法も記述されている。日本橋通油町の硝子問屋加賀屋(Wiki「江戸切子」参照)の引き札(広告)も5枚展示されていて、古いものは飲食器が多いが、時代が下るにつれて、理化学系の容器が増えていく、と解説されていた。なるほど、文久~慶応年間の引き札には、試験管・滴加器・漏斗などが見えて、昨年のドラマ『JIN-仁-』を思い出してしまった。
1796年の『摂津名所図会』には大坂伏見町の唐物屋「蝙蝠堂」の絵が載っている。「異国新渡奇品珍物類」の看板をかけ、店の奥には「エレキテル」の箱も見える。また、驚いたのは、きれいなエメラルドグリーンをした色眼鏡(18~19世紀)。西洋人または清国人の真似をしたのかしら。江戸後期の遠眼鏡は、外筒に施された装飾が美麗だが、拡大性能は低く、もっぱら遊戯用だったという。19世紀になると、かんざし・根付・手拭い掛け(なるほど。濡れたものを掛けるには便利)など、ざまざまな用途・形態のガラス作品がつくられるようになる。金魚玉(展示品は1820年作)もそのひとつ。ビーズの紐つきで可愛かった。
第1会場と第2会場の間のスペースには、100個?200個?近いガラス製の風鈴が吊るされていて感激。東京下町育ちの私には、風鈴といえば江戸風鈴=ガラス製なのである。私がお行儀よくたたずんでいたら、あとから来た若い女の子たちが、はしゃぎながら、持っていたパンフレットで風を起こして、朗らかに風鈴を鳴らしてくれた。子どもの頃の、夏の縁日の思い出がよみがるようで、懐かしかった。
江戸から明治にかけてつくられた「和ガラス」の展覧会。冒頭に展示されていたのは「藍色ちろり」(江戸中期、18世紀)。急須型の、冷酒を注ぐ容器である。サントリー美術館の優品として人気が高く、ポスターやグッズで、すっかり「イメージ」が焼き付いているが、私は、実際に見た記憶があまりない(初見かと思ったくらい。実は2004年に『ありがとう赤坂見附 サントリー美術館名品展』で見ている)。あらためて現物に向き合うと、イメージよりも大ぶりで、意外とがっしりしていることに驚いた(外国映画の女優さんを語っているみたいだなあ)。和ガラスとして、比較的、初期(18世紀)の作品で、まだ薄さや軽さを追求する技術は、十分でなかったように思われる。
だが、私は、色彩も造型も単純な、初期の作品のほうが、手に届かない美しいものをつくろうとする一途な憧れがにじみ出ているようで好きだ。カット(切り子)の技法が定着する以前。手仕事の懐かしさを感じさせる、まだ不均等で肉厚のガラス。色は紫・緑・黄色が多くて(おや、古九谷の配色と同じだ)、青(藍)は、例が少ないように思った。発色が難しいのだろうか。
この展覧会、「和ガラス」の美を愛でるだけのものかと思ったら、途中に、ものすごくデカい眼鏡(つるなし)が展示されていて、びっくりした。1751年から眼鏡の取り扱いを始めた京都の玉与の看板(江戸~明治前期)だそうだ。文献資料も取り揃えてあって、『和漢三才図会』(1712年刊)の「硝子(びいどろ)」の項には、その化学的な製法も記述されている。日本橋通油町の硝子問屋加賀屋(Wiki「江戸切子」参照)の引き札(広告)も5枚展示されていて、古いものは飲食器が多いが、時代が下るにつれて、理化学系の容器が増えていく、と解説されていた。なるほど、文久~慶応年間の引き札には、試験管・滴加器・漏斗などが見えて、昨年のドラマ『JIN-仁-』を思い出してしまった。
1796年の『摂津名所図会』には大坂伏見町の唐物屋「蝙蝠堂」の絵が載っている。「異国新渡奇品珍物類」の看板をかけ、店の奥には「エレキテル」の箱も見える。また、驚いたのは、きれいなエメラルドグリーンをした色眼鏡(18~19世紀)。西洋人または清国人の真似をしたのかしら。江戸後期の遠眼鏡は、外筒に施された装飾が美麗だが、拡大性能は低く、もっぱら遊戯用だったという。19世紀になると、かんざし・根付・手拭い掛け(なるほど。濡れたものを掛けるには便利)など、ざまざまな用途・形態のガラス作品がつくられるようになる。金魚玉(展示品は1820年作)もそのひとつ。ビーズの紐つきで可愛かった。
第1会場と第2会場の間のスペースには、100個?200個?近いガラス製の風鈴が吊るされていて感激。東京下町育ちの私には、風鈴といえば江戸風鈴=ガラス製なのである。私がお行儀よくたたずんでいたら、あとから来た若い女の子たちが、はしゃぎながら、持っていたパンフレットで風を起こして、朗らかに風鈴を鳴らしてくれた。子どもの頃の、夏の縁日の思い出がよみがるようで、懐かしかった。