見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

大名はつらいよ/戦国大名と分国法(清水克行)

2019-05-12 22:50:47 | 読んだもの(書籍)

〇清水克行『戦国大名と分国法』(岩波新書) 岩波書店 2018.7

 日本の歴史には大人になってから興味を持ち、古代、近代、近世など少しずつ関心の幅を広げてきたが、長いこと、一番苦手なのが戦国時代だった。本書の冒頭にもあるけれど、血で血を洗う戦国乱世、権謀術数の限りを尽くしてしのぎを削る、個性きわだつ大名たち、みたいな、ひと昔前のオジサンに喜ばれた時代イメージには、あまり魅力を感じなかったのだ。

 それが、ありがたいことに近年は、新しい世代の研究者によって、新しい戦国時代、戦国大名のイメージが、私のような末端の歴史ファンにも届くようになった。本書は、戦国大名が自身の領国を統治するために制定した「分国法」と呼ばれる法典から、彼らの肉声を聴き取ろうとした著作である。厄介な隣国、勝手な家臣、相次ぐもめ事に苦労を重ねた戦国大名の姿がじわじわとしのばれる。

 本書は、現在に伝わる主な分国法として11例を挙げたあと、以下の5例について詳述する。結城政勝と「結城氏新法度」、伊達植宗と「塵芥集」、六角承禎・義治と「六角氏式目」、今川氏親・義元と「今川かな目録」、武田晴信と「甲州法度之次第」。最初の2例は全く知らないものだった。

 「結城氏新法度」は、時代的にも早く、法制について素人の結城政勝が、独力でまとめたものと思われる。そのため内容的には未熟で未整理だが、家臣の無軌道ぶりが赤裸々に描かれていて面白い。つまらないことで諍いを起こして、刀を突き立てていがみ合っていたかと思えば、すぐ仲直りして飯椀で酒を酌み交わすのは愚かなことだ、などという条文(?)は、いがみ合うのが悪いのか、仲直りするのが悪いのか、笑ってしまう。

 「塵芥集」については、「御成敗式目」の引き写しの誤りや他国との比較からうかがえる、東北社会の個性が面白かった。たとえば田地の境界争いに関する規定が杜撰なのは、まだ開発予定地が豊富にあって、他人の田地を侵犯する必要に乏しかったからだろうという。逆に下人に関する規定は他国の分国法にないもので、東北地方では土地より人的資源に価値があったという解説は納得できた。

 「六角氏式目」は省略して、「今川かな目録」は2017年の大河ドラマ『おんな城主直虎』で知ったもの。本書では、まず著者の、今川氏に対する熱い思いが吐露されていて胸を打たれる。「おそらく今川氏ほど、世間一般に流通しているイメージと、研究の世界での評価がかけ離れている大名もいないだろう」という。それは、公家風で軟弱なイメージの義元が、実は荒武者だっただけではない。著者は「今川かな目録」を分国法として最高レベルの出来と評価する。当時の慣習法をまとめるだけでなく、社会の変化に対応し、新しい法律を定めようという自覚的な意欲にあふれている。たとえば「喧嘩両成敗」「自力救済」は当時の常識だったが、ぐっと堪えて喧嘩に応じず、今川家に訴え出た場合は、その功績を評価するという規定。今川領国と他国の「国際関係法」があるというのも面白い。今川義元、知性的で魅力的だなあ。もう少し知りたくなった。

 最後に「甲州法度之次第」は「今川かな目録」の強い影響を受けているが、武田晴信(信玄)の思いを強く反映したものでもある。日本人の法意識を表す「非理法権天」という言葉があるという(初めて知った)。「非(無理)」よりも「理」、「理」よりも「法」が勝り、「法」よりも「権(力)」が勝るという意味で使われる。しかし晴信は、大名としての権力よりも「法」を上位に置くことで、その執行者である自分の支配の正当性を得ようとした。そのため「甲州法度」は領国内の人々に広く公示され、流通していたという。さらに晴信の後を継いだ勝頼の時代に至っても、「甲州法度」の書写やバージョンアップが続けられた。武田氏は「法」の支配に強くこだわった戦国大名だったと言えよう。

 しかし今川氏にしても武田氏にしても、詳細な分国法を定め、法制度を整えたにもかかわらず、早々に滅びてしまった。先進的なものが必ずしも新しい時代を築くとは限らない、というのは、なんとなくほろ苦い、本書の読後感である。

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慰安婦問題をめぐる人々の声/映画・主戦場

2019-05-11 23:10:26 | 見たもの(Webサイト・TV)

〇ミキ・デザキ監督『主戦場』(2019年)

 連休中に、評判の映画を見てきた。日系アメリカ人ミキ・デザキ監督が、旧日本軍の「慰安婦問題」論争をテーマに制作したドキュメンタリー映画。渋谷のイメージ・フォーラム1館のみで上映が始まり、完全予約制のチケットは売り切れ続出で、立ち見も出る盛況だった。その後、上映館は徐々に広がりつつある状況だ。

 映画には、慰安婦問題を否定する人々――存在したのはただの売春婦で、韓国人は日本を妬み、誹謗中傷するために戦時性暴力の問題を捏造した、と主張する「右派」の論客たちが登場し、滔々と自説を開陳する。杉田水脈、藤岡信勝、ケント・ギルバートなど。彼らがそうした主張の持ち主であることは、断片的に知っていたけれど、こんなに時間をかけて彼らの喋りを聞いたことはなかったので、恐ろしいやら気持ち悪いやら、馬鹿馬鹿しいやら、変な汗が出る気分だった。

 慰安婦問題の否定論者に存分に語らせていることから、この映画は、右派/左派の見解を「公平」に扱って、ジャッジを観客に任せたものだという見方も一部に流布している。しかし、そのような期待を抱いて本作を見に行けば、必ず失望すると思う。

 ミキ・デザキ監督の立場は明確である。映画は慰安婦否定論者たちを「歴史修正主義者(リビジョニスト)」と呼ぶ。そこには明らかに「真実の歴史を歪曲する人々」という冷ややかな非難が込められている。けれども映画は、彼らにあからさまな非難をぶつけることはしない。むしろ、リビジョニストたちに好きなように喋らせる。一部にインタビューアーの声が入っているが、若くてたどたどしい感じの女性の声だった。だから、彼らは図に乗って、無知なインタビューアーに教え諭すように喋りまくる。慰安婦たちはただの売春婦だ。日本軍の関与はなかった、と。映画は、そこでズバリと画面を切り替え、歴史学者や政治学者による論理的な反論を見せる。実に巧妙で、小気味よい演出だ。

 巧妙すぎて、あざといと感じる向きもあるかもしれない。しかし、どう考えても、この逆パターンで「一般向け」の映画はつくれないと思う(ネットにはリビジョニストのための動画がたくさんあるようだが)。

 リビジョニストたち(特に男性)の語りを聞いて感じたのは、彼らは慰安婦が、普遍的な人権問題の一部だという認識を露ほども持っていないということだ。「何かポルノ的な、覗き見的な興味」で騒がれるのは不愉快だという。不体裁を取り繕うために敢えてする反論かと思っていたが、本気でその程度の認識だと分かって、しみじみ溝の深さを感じた。

 本作は(日本の)いわゆる右派/左派の対立を主軸にしながら、それだけでない多様な人々の声を取り込んでいる。冒頭では、慰安婦問題に関する日韓合意を報告に来た韓国政府の高官に、元慰安婦の老婦人が「なぜ私たちに相談もしない」と烈火のごとく怒るシーンがあって印象的だった。『帝国の慰安婦』の著者・朴裕河(パク・ユハ)氏も登場する。同氏の著作を私は興味深く、好意的に読んだが、同氏が韓国内で厳しい批判(というかほぼ無視)に晒されている状況もよく分かった。あと、アメリカ国民の視点らしく、アメリカ政府が歴史的に日韓関係にどのように関与(介入)してきたかも折り込まれていた。

 一番スリリングだったのは、ケネディ日砂恵さんという「転向者」へのインタビューである。慰安婦否定論を信じていたが、証拠を調べていくうちに否定できなくなった、という趣旨のことを述べていて、ああ、論理的思考能力がしっかり身についていると、最後はそれを裏切れないんだな、と思った。

 多くの人々、特に若者に見て欲しい映画である。しかし、もはやテレビは、こうしたドキュメンタリーを制作・放映する力はなくなっているのだろうか。

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江南2019【おまけ】ツアーあれこれ

2019-05-09 22:04:37 | ■中国・台湾旅行

 今回のツアー旅行、参加者は14名で、半数はリタイア世代(60歳超)と思われた。70代後半くらいの元気なおばあさんは、中国語教室に通っているとのこと。中国語教室では「フーリンモー」を見ていると聞いて、一瞬、何のことかわからなかったが、ドラマポータルの「楓林網」のことだった。いま『重耳傳奇』と『封神演義』を見ているという。本国でも配信中の最新作ではないか、と驚く。

 もうひとり、70歳前後のおじいさんが古典園林の写真を撮りながら、盛んに「DVDを思い出すなあ」というので、「何のDVDですか?」と聞いたら、『月に咲く花の如く』というドラマを見ているという。『那年花開月正圓』のことだ。思わず、私も見ました、好きですよ、と応じたら、「おれ、2周目なんだよ」と大喜びされた。日本の高齢世代の中国への接し方もずいぶん変わってきている様子。

 中国の生活ぶりで、一番驚いたのは漢服の流行。噂には聞いていたが、ほんとに流行っていた。満洲族の旗袍に由来するチャイナドレスではなくて「漢民族の伝統的な民族服」だという。正確にどの時代のものかよく分からないが、日本人から見ると、七夕の織姫や竜宮城の乙姫のイメージに近い。ゆったりしているので、普通のワンピースやセーターの上から羽織ってもサマになるのがいいと思う。

  丫頭スタイルの小さな女の子。かわいい。

 ためしに楽天サイトで「漢服」を検索したら、5,000円以下で購入できるものが多数。ちょっと本気で欲しい。私が着ると、滅絕師太みたいになるだろうけど。

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江南2019【7日目/最終日】杭州→上海→羽田

2019-05-04 23:26:22 | ■中国・台湾旅行

 最終日は予定を早めて朝7時に杭州のホテルを出発し、3時間弱で上海・浦東空港に到着した。ガイドの陸さんとドライバーの施さんにお別れする。なお、かつては省を超えるたびに車を交換していた時代もあったが、近年は「省際包車」の表示でOKになったみたい。

 帰国便に搭乗し、指定の席に座って出発を待っていると、CAさんが近づいてきて「Today is your birthday?」と聞く。Yesと答えると、東方航空の封筒を渡された。機長とパーサーのサイン入りHappy Birthdayカード。飛行機のかたちをしているのが可愛い。こんなの初めてで嬉しかった。

(5/8記)

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江南2019【6日目】杭州→烏鎮→杭州

2019-05-03 22:53:17 | ■中国・台湾旅行

 中国は4連休の3日目。我々は杭州を出て、江南六大水郷古鎮のひとつ、鳥鎮へ日帰り観光に向かう。ちなみに江南六大水郷とは、周荘、甪直、同里、南潯、西塘、烏鎮を言うそうだ。2004年の江南旅行では同里を訪ね、楽しかった記憶があるので期待していた。

 同里のときと同様、まず烏鎮景区(烏鎮西柵景区だと思う)に入るのに入場券が要る。そのあとは、ぶらぶらするのもよし、遊覧船に乗るのもよし、民俗博物館など、いくつかの有料施設を見学するのもよし、ということになっている。

 しかし古民家群の間の細道はラッシュアワー並みの混雑で、ガイドさんと添乗員さんからは「団体行動します。絶対離れないでください」という厳しい注意の繰り返し。美味しそうなお菓子も見かけたが、気軽に買い物することもできなかった。あと、何も予習していなかったので、茅盾記念館があって驚いた。小説家・茅盾(1896-1981)は、烏鎮の富家の生まれなのだそうだ。

 観光用の藍染工房。展示室、商店もある。

 なお、烏鎮という名前に引っかかるものがあって、あとで調べたら、烏鎮には、その名の由来となった烏将軍廟があるらしい。この烏将軍は実在した人物らしいが、小浜の博物館で烏の顔をした「烏将軍像」を見たときに、いろいろ調べて烏鎮の地名に行き当たったことがあるのだった。今回、烏将軍廟は訪ねなかった。

 再び杭州へ帰着。まだ見ていなかった西湖の風景をようやく目にする。遊覧船で西湖遊覧。水面を渡る風がひんやりして気持ちよい。夏ではないので、蓮の花がないのが残念だが、柳の緑の美しさは最高である。

 名勝・三潭印月。

 ツアー最後の夕食は、西湖の眺めも楽しめる杭州随一の名店・楼外楼。2004年もここに来ているはず。

 昨日に続いて、再び乞食鶏(叫化鶏)をいただく。東坡肉も美味しかった。日本人ツアーに慣れたガイドさんで、一皿の量を少なめにし、料理の種類を多めにしてくれているのがありがたかった。なお、ツアーを通じてビールは1本30元。むかしはレストランで20元、街で買えば3元ということもあったので、物価の上昇ぶりがよく分かる。

 楼外楼の隣りは篆刻専門の学術団体西泠印社。前回はここで朱肉を買ったなあ。

  これで観光終了。ホテルに戻ったあと、「前の道を10分くらい歩くと西湖です」というので、買い物がてら散歩してみた。銀座か渋谷かというような繁華街で、高級ブランドショップばかり目立って、私の行きたいスーパーマーケットはなかった。10分ほどで、確かに西湖の岸辺に到着したが、水芸とイルミネーションを組み合わせたショーが行われていて、全く岸辺に近づけない大混雑である。10分ほどすると、ショーが終わって人々が散り始めた。日本の花火大会の後のようだった。杭州にも地下鉄がつくられ、高速鉄道と結ばれていることが分かった。これは杭州も個人旅行が可能かもしれない。中国の変化を目の当りにした今回の旅行だった。

(5/8記)

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江南2019【5日目】無錫→蘇州→杭州

2019-05-02 23:32:08 | ■中国・台湾旅行

 5月2日。ガイドさんの話では、昨日の中国は4連休の初日で、まだ家でのんびり休む人が多かったが、今日から本格的に出かける人が増えるのではないかという。朝は太湖の内湖である蠡湖(れいこ)のほとりの公園を散策。そのあと、無錫名産・淡水真珠と真珠クリームの専門店に立ち寄る。海水真珠は1つのアコヤ貝に1粒しかできないが、淡水真珠は1つのカラス貝からたくさんの粒が採取できる、という説明をしながらカラス貝を割ってくれる女社長。

 たぶん2004年にもこの店に来ていると思う。前回は何も買わなかったが、今回は真珠クリーム10個(昼用・夜用5セット)1万円をツアーの仲間たちと分け合って購入し、私は2セット持ち帰った。

 昨日に比べると、確かに車と人の数が目に見えて多い。高速道路はスムーズに流れていたが、高速の入口や一般道はかなり渋滞していた。蘇州では、古典園林のひとつ耦園(ぐうえん)を観光。ここは掘割に囲まれた蘇州古城の東の端にあり、混雑している(であろう)城内に入らなくてもアクセス可能で、大型バスでも立ち寄りやすい立地。蘇州園林としては比較的新しく、清代末期の官僚・沈秉成(1823-1895)の私邸。園内の混雑は写真のとおり。

 園内には蘇州の伝統芸能が楽しめる舞台もある。リクエストは1曲50元から80元くらい。ガイドさんの選曲で3曲演奏してもらった。ガイドさんは「評弾(ひょうだん)」と呼んでいたけれど、語りはなく、琵琶を演奏する女性が歌ってくれた。

 耦園の外周を歩いているとき、水の都・蘇州らしい風景に一瞬だけ出会えた。

 そして耦園から徒歩数分の距離にある京杭大運河蘇州段を観光。蘇州旧城のすぐそばにあり、外城河とも呼ばれている。

 昼食は名店・蘭莉園大酒店へ。旧城の北西、虎丘山風景区のあたり。本来なら耦園から車で20分程度の距離だが、大渋滞で1時間以上かかってしまった。途中、高速鉄道の蘇州駅前を通り、さらに地下鉄があることを発見した。調べてみると、蘇州駅を通る南北ラインは旧城の外側を通っているが、これと交差して旧城を貫く東西ラインもある。うまく使えば、上海を起点に蘇州個人旅行ができそうである。

 蘭莉園の松鼠桂魚(桂魚の丸揚げ甘酢あんかけ)は美味しかった。また食べたい。

 

 蘭莉園併設のシルク店でもショッピングの予定だったが、時間が押してしまったので、ショッピングは中止。遅い昼食が終わると、杭州を目指す。杭州までも高速はスムーズだったが、高速を下りてから、西湖風景区にある百合花飯店にたどりつくまでが一苦労。最後はガイドさんの判断で、侵入禁止路を使って近道したらしい。公安に見つかったら、運転手さんではなくガイドさんが罰金を払うという約束で。中国らしくてよい。

 メインディッシュは杭州らしく、蓮の葉でくるんで蒸し焼きにした乞食鶏(叫化鶏)。最後に添乗員さんが「サプライズで~す」とケーキを持ってきてくれた。実はツアー最終日が私の誕生日で、最終日だから何もないだろうと思っていたら、2日早いバースディケーキを用意してくれたのだ。ちょっと生クリーム多めで辟易したが、そんなに変な味ではなかった。フルーツたっぷり。中国のケーキも進化したものだ。

 食後は2度目のオプショナルツアー「宋城千古情ショー」を見に行く。会場である宋城景区(テーマパーク)には複数の劇場施設があって、「麗江千古情」「三亜千古情」など各地の歴史と民俗を題材にしたショーが掛けられている。我々の見た「宋城千古情」は超満員。映像、アクション、歌舞音曲を組み合わせた豪華なショーで見応えがあった。中東ふうのダンスやアリランも混じっていたが、世界帝国だから違和感なし。

 

 宋城景区には、むかしの街並みを模したレストランや商店もあって、そぞろ歩くだけでも楽しい。古装(漢服)の貸出もしていて、レンタル着物で京都を歩く女子高生みたいな気分か。

 充実した長い1日がようやく幕。

(5/8記)

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江南2019【4日目】揚州→無錫

2019-05-01 23:28:49 | ■中国・台湾旅行

 2019年5月1日。令和元年の初日であるが、何も変わりなく旅行は続く。今日から中国も4連休が始まるため、添乗員さんとガイドさんは、観光地の混み具合を気にしてピリピリ。揚州観光は早めにスタートし、朝8時半から痩西湖の遊覧船に乗船した。水際の柳はやわらかな緑を風にそよがせ、ふわふわと柳絮(綿毛のような種)が舞う。あとポプラの綿毛も舞っていた。「煙火三月揚州に下る」には少し遅いが、江南らしい風景。写真は五亭橋。

 揚州市の市花でもある瓊花(けいか)は、少し盛りを過ぎていたが、まだポツポツと咲いていた。ガクアジサイに似ている。五弁の花のかたちのまま、草むらに点々と落ちているのがきれいだった。奈良・唐招提寺の鑑真和上の墳墓のそばにも瓊花が植えられていたことを思い出す。年々見る故里の花は、何よりも嬉しいことだろう。

 その鑑真が住職をしていた古刹・大明寺。鑑真記念堂は唐招提寺を模して造られたとのこと。

 この角度から見るほうが、唐招提寺らしさを感じさせる。堂内には、鑑真和上像の複製(御身代わり像)が安置されている。

 復元された栖霊塔には、希望者のみ追加料金を払って登頂した。9層までエレベーターがあるが、9層は立入不可、8層は仏殿になっており、拝礼の儀式に参加しなければならないので時間がかかる、と言われたので、7層で眺望を楽しむ。そのとき、ふと記憶がよみがえってきたのは、2004年の江南旅行で、まだ製作途中の仏像が安置された高い塔に登った記憶がある。もしやここではなかったか。

 揚州ではもう1カ所、清代の両淮総督にして塩商人だった黄応泰の邸宅「个園(個園)」を観光。竹を目と耳(葉擦れの音)で楽しむ庭園である。中国の竹は日本の竹より華奢で女性的な美しさがある。「竹」を字を半分に割ると「」なのでその名前があるそうだ。

 敷地内に、中国の古楽器・琴を扱う小さなお店が軒を連ねているのも風情があって、いい感じだった。もっと人の少ないときに来て、ゆっくりしたいところだ。

 昼食後は揚州を後に無錫へ移動。明日の予定だった南禅寺を観光する。南朝・梁武帝の創建というが、古い建造物は残っていない様子。浅草みたいに賑やかだった。

 そして無錫泊。無錫は江蘇省ナンバー1の豊かな大都市という話だったが、ホテルはやや中心部を外れていて、まわりに何もなかったので出歩けず。

(5/7記)

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