見もの・読みもの日記

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三島由紀夫「豊穣の海」のススメ(鎌倉文学館)+鎌倉散歩

2019-05-18 22:55:46 | 行ったもの(美術館・見仏)

鎌倉市鏑木清方記念美術館 特別展『清方と金鈴社の画家たち-吉川霊華・結城素明・平福百穂・松岡映丘-』(2019年4月18日~5月22日)

 鎌倉で気になる展覧会をやっているのでまわってきた。まずは久しぶりの鏑木清方記念美術館。「金鈴社」は、美術評論家の田口掬汀の呼びかけで、結城素明、鏑木清方、吉川霊華、平福百穂、松岡映丘の5人により結成された団体。Wikipeadiaの解説によると、自由で風通しのよい団体だったようで面白い。私は、ここに名前の挙がっている画家の作品が全体に好みなので見に行った。数は少ないが、吉川霊華の『観自在菩薩』、松岡映丘の白描『月』などを見ることができた。また、田口掬汀は日本美術学院という学校を興して美術の通信教育を行い、金鈴社の同人たちは分担して講義録を執筆した。鏑木清方の『新浮世絵講義』、吉川霊華の『歴史風俗画講義』など、貴重な古書も展示されていた。

 清方の代表作『朝涼』は、蓮田を背景に着物姿の少女を描いたもので、丸顔でお下げ髪の少女はちょっと広瀬すずに似ている。『曲亭馬琴』下絵の少女(長男の嫁・路か)も同じ系統の、意志の強そうな美少女。しかし『曲亭馬琴』は完成作より下絵のほうがよい。『日高川 道成寺』下絵は、横長の画面をあごまで水に浸かりながら泳ぎ渡る清姫の図。着物の裾から太くて長い蛇(龍)の尾が伸びており、胸のあたりまで蛇体化していそうな気がする。思いつめた表情の妖しい美しさ。私はこの完成作を知らないが、『人魚』を思い出した。清方の描く女性はバラエティに富んでいる。

 館内には清方の仕事場が再現されていた、その隅に古風な書箪笥があって、扉に書名を書き付けた和紙が貼ってあるのだが、「尊卑文脈」や「明治京都地図」などの参考書、「梅暦」などの人情本に混じって「石濤蘭竹画譜」(たぶん)の文字があったことが気になった。

鎌倉国宝館 特別展『知られざる円覚寺の至宝~古文書と羅漢図の世界~』(2019年4月27日~6月16日)

 2018年が釈宗演老師の百年遠忌、2019年が大用国師の二百年遠忌にあたることを記念し、いま円覚寺の仏像の多くは、東京の三井記念美術館に出陳されている。一方、国宝館のこの展示は、題名どおり古文書と羅漢図を中心としたもの。延慶元年(1308)円覚寺を定額寺とする太政官符が、明らかに他の院宣や綸旨とは形式が違っていて面白かった。翻刻がほしい。羅漢図は、金大受系の『十六羅漢図』(南北朝時代)から3件、張思恭筆『五百羅漢図』(元時代、1幅に10人の羅漢を描く)から3幅など。

鎌倉文学館 特別展『三島由紀夫「豊穣の海」のススメ』(2019年4月20日~7月7日)

 2019年が「豊穣の海」の第1作『春の雪』が刊行されてから50年にあたることを記念し、松枝侯爵家の別荘のモデルとされる鎌倉文学館が開催する特別展。興味深かった資料の1つは、1970年3月5日付けの恩師・清水文雄に宛てた手紙。内田百閒の文章を読んで「今更ながらその文章の立派さに感じ入りました。ひょっとすると鴎外以来随一の名文ではないでせうか」と述べている。お目が高い。

 また死の直前、机に置いてあったものを家人が投函したというドナルド・キーン氏宛ての手紙(消印は1970年11月26日、自決の翌日)を、たぶん私は初めて読んだ(コロンビア大学C.V.スター東亜図書館所蔵、写真パネル展示のみ)。自分は、キーン氏が冗談で名づけたとおり「魅死魔幽鬼夫」になりました、キーンさんの訓読は学問的に正確でした、と苦いユーモアを交えて死の決意を語り、貴方なら全て分かってくれるだろう、と信頼を述べる。「豊穣の海」の3、4巻の翻訳が無事に出版されるよう後事を託し、それによって「世界のどこからか、きっと小生というものを分かってくれる読者があらわれる」ことを願う。私はこの部分に創作者の思いを感じて泣けた。前段に「文士としてではなく武士として死にたかった」という文言もあるのだが、やっぱり彼は文士だったんじゃないかと思う。

 そして最後はキーンさんに向けて「何卒この上もお元気で、すばらしいご研究をたくさん発表してください」という心からの祝福が送られている。今年2月、96歳で亡くなられたキーンさん、三島はあの世で首を長くして待っていたかもしれない、と思った。

 庭園はバラが花盛り。

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