見もの・読みもの日記

興味をひかれた図書、Webサイト、展覧会などを紹介。

錣太夫さん襲名披露/文楽・傾城反魂香、他

2020-01-13 20:16:35 | 行ったもの2(講演・公演)

国立文楽劇場 開場35周年記念・令和2年初春文楽公演 第1部(1月11日、11:00~)

 朝は四天王寺に参拝し、大阪人の気分を身にまといながら劇場へ。1階ロビーには、まだお正月気分のお供え餅とにらみ鯛。しかしお供え餅の海老は明らかにつくりものだった。例年そうだったかしら?

 開場時間になって2階ロビーに入ると「錣太夫受付」という簡素な看板を立てて、黒紋付姿の津駒太夫あらため錣太夫さんご本人が長机に座っていらしたのでびっくりした。旧知の方らしいお客さんとお話されている横を通り抜けて、私は自分の席を確認に行った。ロビーに戻ってくると、長机の脇に待ち列ができていて、みなさん今日のプログラム冊子にサインをしてもらっている。え?ええ? 

 机の横に立っていらした女性(奥様だと伺った)に「誰でもいただけるんですか?」とお訊ねしたら「ええ、どうぞ」とのこと。慌てて私も並んで、サインをいただいた。列はあっという前に長くなった。モノを買うわけでもなく、ご祝儀を出すわけでもないのに、無償でサインをしてくださるのである。ありがとうございます。錣太夫さん、第1部の公演が終わったあともロビーに出て、サインを続けていらした。毎日なのかなあ。お疲れさまでございました。

 今年の凧には「子」の一文字。国立文楽劇場のご近所である、高津宮(こうづぐう 高津神社)の小谷真功宮司の揮毫。

・『七福神宝の入舩(しちふくじんたからのいりふね)』

 宝船の船上で、七福神がそれぞれ得意の芸を披露する。寿老人は三味線で琴の音を聞かせると称し、人形は三味線をつまびき、床では本物の琴を演奏。逆に弁天が琵琶を持ち出すと、床の三味線は(絃を短く押さえて?)琵琶に似せた音色を出す。胡弓あり、三味線の曲弾き(頭上に掲げて指でつまびく)あり。恵比寿が鯛を釣る場面では、途中でビールを飲んだり、いろいろ趣向があって楽しい。新春公演にふさわしい演目。

・竹本津駒太夫改め六代目竹本錣太夫襲名披露狂言『傾城反魂香(けいせいはんごんこう)・土佐将監閑居の段』

 実は初見。辛気臭そうな話だと思って避けていたのだが、テンポがよくて面白かった。口を希大夫と竹澤団吾。希太夫さんもよく声が出るようになったなあ。床がくるりとまわると、奥をつとめる錣太夫と竹澤宗助が登場。さらに呂太夫さんが並んで、襲名披露の口上を述べる。修業時代のエピソードをまじえた楽しい口上だった。しかし70歳で次のステージを目指すって、芸道は厳しいものだなあ。

 物語の主人公、浮世又平は岩佐又兵衛。土佐将監は土佐光信。息子の修理之介光澄は架空の存在なのだろうか? このほか、セリフの中に顔輝とか狩野四郎二郎元信の名前も出てくる。後半でざんばら髪で飛び込んでくる狩野雅樂之介は元信の弟。絵画好きとしては、この狂言、全体がどういうストーリーなのか知りたいと思った。

・『曲輪文章(くるわぶんしょう)・吉田屋の段』

 これも初見のような気がする。正月の準備に忙しい大阪新町の揚屋吉田屋にみすぼらしい身なりの男が訪ねてくる。伊左衛門は豪商の跡取り息子でありながら、遊女夕霧に入れあげ、借金を重ねて親から勘当を受けた身。夕霧は伊左衛門に会えたことを心から喜ぶが、すねた態度の伊左衛門。完全にダメ男なんだが、これを母のように広い心で受け入れる美女、という設定を喜ぶ客が多かったんだなあ。最後はあっけなくハッピーエンド。まあ新春狂言だと思えば許せる。

 床はぜいたく。咲太夫さん(伊左衛門)と織太夫さん(夕霧)が並んだ図だけで感無量。人形は伊左衛門を玉男、夕霧は和生で純情可憐さがにじみ出ていた。

 公演終了後、スマホの地図をたよりに高津宮に立ち寄って、ご朱印をいただいた。窓口の女性の方に「文楽を見てきたところなんですけど、今年の子の字を書かれたのは…」と申し上げたら、「いま奥でご朱印を書いている、うちの宮司です!」と嬉しそうにおっしゃっていた。

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2020年新春関西旅行:京博、大和文華館、奈良博

2020-01-12 22:36:42 | 行ったもの(美術館・見仏)

京都国立博物館 新春特集展示『子づくし-干支を愛でる-』(2020年1月2日~ 2月2日)他

 この数年、正月は大阪へ新春文楽公演を見に行き、そのついでに京博の新春特集展示を見るのが恒例となっている。今年は年末年始と台湾に出かけていたので、どうしようか迷ったが、この三連休、1泊2日で関西に出かけてきた。土曜日はまず京博へ。館内に入ると、ちょうどトラりんの登場タイムだった。なんだか新春からラッキー。

 いくつか特集展示はあるものの、正月は基本的に常設展示である。私は常設展示をゆっくり見るのが好き。京博は、早く特別展会場を別に確保して、常設展をちゃんと常設にしてほしい。

 2階・絵巻では「幻の源氏物語絵巻」(2020年1月 2日~2月16日)を展示。2019年1月、夕顔の死の場面を描いた「源氏物語絵巻」の断簡がフランスで発見されたという報道があったが(※参考:朝日新聞 2019/1/15)、これは「盛安本」(江戸時代前半、杉原盛安が関与、南部家伝来)の一部と見られている。今回は盛安本「葵」全巻のうち3巻(個人蔵)を展示する。1巻の冒頭は料紙3枚にわたる葵祭見物と車争いの華やかな場面。金地に金雲を配し、比較的大きめの人物が、ぎっしり描き込まれている。ただし装束や車は江戸の雰囲気。女性の顔は下ぶくれで岩佐派っぽい。

 仏画は十二天屏風・軸装3件。十二天は、もとはインドの神様だが、これを灌頂の儀式で祀ることは日本で考案された。そして屏風の形式に合わせて十二天の姿を立像で表したのも日本の創作だというのが面白かった。中世絵画は松竹梅の美術。

 近世絵画は特集展示「京都御所障壁画 紫宸殿」(2020年1月 2日~2月2日)で、中国の賢臣32人を描いた賢聖障子(けんじょうのしょうじ)9面を全て公開する。特に説明はないが、人物像の上に貼ってある色紙に漢文が書かれていて、だいたい冒頭に人物名が書いてある(見えにくいものもあり)。知っている名前を見つけると嬉しい。やっぱり諸葛亮はここに入るんだな。中国絵画は、日本人が大好きな牧谿とその周辺。

 新春特集展示「子づくし」は1階。あまり変わったものはなかったが、『鼠短檠』(油を自動で補給する灯り台)が面白かった。油や蝋燭がネズミの好物だったというのは、今の生活では分からないなあ。ネズミの描かれた『仏涅槃図』が出ていたが「リアルすぎてかわいくありません」という説明が添えてあって、担当学芸員さん、ネズミが嫌いなのかな、と苦笑した。

 彫刻は、安祥寺の五智如来坐像が、久しぶり(?)に5躯そろった。また、舞鶴市・善福寺の地蔵菩薩坐像(12世紀)の修理完成を記念して特別公開(2020年1月2日~3月22日)。大きな頭部のわりに身体が薄く、子どもっぽい印象の地蔵菩薩だった。最近は仏像だけでなく神像が必ず展示されていて、市比賣神社の女神像(1躯は嬰児を抱いている)、静岡・鉄舟寺の伝・摩多羅神立像(体が傾いているところが怖い)など興味深かった。獅子・狛犬も多数。

大和文華館 特別企画展『新春を迎えて-梅と桜の美術-』(2020年1月5日~2月16日)

 京都であまり見たい(行きたい)ところがなかったので、思い切って奈良へ移動。しかし同館の前で東京の知り合いに遭遇したときは驚いた。前半は梅、後半は桜に関する絵画・工芸作品を展示。見たことのありそうな作品が多いが、むかしは何とも思わなかった山本梅逸とか富岡鉄斎の墨画が、最近好きになってきた。

 特別出陳は2件。春日大社蔵『吉野図屏風』(江戸時代)は近代絵画みたいにさっぱりした風景画。でも吉野山を詠んだ和歌の伝統を踏まえているらしい。列品解説の学芸員さんがそんな話をしていたが、詳しいことは教えてくれなかった。個人蔵『東山名所図屏風』は賑々しくて楽しかった。

■東大寺 大仏殿

 奈良博は夜間開館日で時間に余裕があったので、東大寺大仏殿に参拝。「令和二年庚子」の文字の入った絵馬が欲しかったのである。実は、私は今年が還暦なので、次の子歳まで元気に頑張れるよう、この絵馬を大事にしたいと思う。

 日本画家の森田りえ子さん画。買ったときは気づかなかったけどオリンピック仕様なのか。私はオリンピックに関心はないが、まあ仕方ないか。

奈良国立博物館 特別陳列『おん祭と春日信仰の美術-特集 春日大社の絵師たち-』(2019年12月7日~2020年1月13日)+特集展示『新たに修理された文化財』(2019年12月24日~2020年1月13日)+特別陳列『重要文化財 法隆寺金堂壁画写真ガラス原板-文化財写真の軌跡-』(2019年12月7日~2020年1月13日)

 『おん祭と春日信仰の美術』では、おん祭及び春日信仰に関連する絵画・文書・工芸品を展示。特に中世から近世にかけてさまざまな絵師によって描かれたおん祭の祭礼図、春日大社の御造替にかかわった絵師の作品、下絵図など絵画資料が豊富だった。私は京都・奈良の主要な祭礼・宗教行事はだいたい来ているのに、春日若宮おん祭はいまだに体験したことがない。ぜひとも今年こそ!と思ったのだが、12月のカレンダーを見ると難しそうだ。

 『新たに修理された文化財』は、収蔵品(館蔵品・寄託品)の中から近年修理を受けたものを展示。特に絵画は、素人目にも状態が素晴らしくよいことが分かった。

 『法隆寺金堂壁画写真ガラス原板』は、このタイトルを見たとき、ガラス原板だけの展示かと思っていたのだが、明治4年の蜷川式胤の発案による旧江戸城撮影(撮影・横山松三郎)、明治5年のいわゆる壬申検査、写真をもとにした高橋由一の油彩画、印刷局が制作した『国華余芳』など、「文化財写真」の意義を豊富な資料・多様な側面からとらえる展示になっていて興奮した。見に来てよかった。これで本日のスケジュール終了。

■大阪天満宮

 今夜の宿は大阪天満宮近くのビジネスホテル。大阪メトロ・南森町駅の出口を出ると、灯りの入ったちょうちんが並ぶ。ふらふらと人の流れについていくと、大阪天満宮の境内でえびす祭が行われていた。

 鉦と三味線にあわせた「商売繁盛で福もってこい」のBGMで気持ちが浮き立つ。京都も奈良もいいけど、最近、大阪も好き。

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〈地域〉基盤の再構築/社会保障再考(菊池馨実)

2020-01-10 21:41:04 | 読んだもの(書籍)

〇菊池馨実『社会保障再考:〈地域〉で支える』(岩波新書) 岩波書店 2019.9

 持続可能性という概念をひとつの切り口として、日本の社会保障制度のあり方を再考する。持続可能性といえば、高齢化と少子化の進展によって、年金、医療、介護などの社会保障費用がふくらみ続ける状況で、財源を確保が喫緊の課題となっている。私の主な関心もそこにあった。

 著者は、はじめにそのこと(財政基盤と人口基盤)に触れつつも、より本質的な問題として、家族、企業、地域の三つの社会基盤の脆弱化、社会保障を支える市民・住民意識の希薄化と脆弱化を指摘する。うーん、そっちか。

 通説では、社会保障の目的は国民の生活保障(健康で文化的な最低限度の生活)にあるとされ、その実現のために、さまざまな「給付」手段がとられてきた。しかし著者は、個人の自立と自律のための支援こそが社会保障の目的であると考える。その実現には、財の分配だけでなく、個人の自己決定を尊重した「相談支援」が不可欠である。著者の主張には特に反対しない。理想としてはそのとおりだろう。でも、物質的であれ精神的であれ、より高いレベルの社会保障を目指しても、財源が確保できなければ、何も実現しない(持続しない)のではないか?

 このような財政面に対する不安や不信、加えて不公平感が、社会保障制度への信頼感を揺るがせていると著者は指摘する。著者は、たとえば年金制度が、マクロ経済スライドによって、簡単に破綻しない仕組みになっていることを、講義で丁寧に学生たちに説明するというのだが、やっぱり私も信じられない。公平の問題も難しい。意外と重要なのが「一定以上の所得がある中間層の現役世代」が感じている不公平感で、この集団は、たび重なる負担引き上げの対象になり続ける一方、給付面での恩恵を受けてる実感がない。分かる。

 著者は、持続可能な社会保障の実現には地域が重要と考える。伝統的な社会保障「給付」の実施責任は国にあるとしても、「生活を営む権利」を支えるのは地域社会だからだ。地域を再生、再構築することで、社会保障の持続可能性が見えてくるのではないかという。

 もし私が本書を五年前に読んでいたら、冷笑的に投げ出していたと思う。だが、終身雇用だった職場の定年も近づき、体力も落ちてくると、これまで引っ越しを繰り返し、持ち家もなく、地縁もつくらなかった私でさえも、最後はどこかの「地域」に落ち着くしかないということが、実感として理解できる。しがらみや息苦しさと表裏一体の「古き良き」地域社会を呼び戻すのではなくて、もっと新しい、居心地のいい、そして持続可能な地域コミュニティをつくっていかないとなあ。

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貴族たちの中国/侯景の乱始末記(吉川忠夫)

2020-01-09 22:41:25 | 読んだもの(書籍)

〇吉川忠夫『侯景の乱始末記:南朝貴族社会の命運』 志学社 2019.12

 『侯景の乱始末記』(中公新書、1974年)は面白いのに絶版で入手できないのが惜しい、という噂をSNSで見かけて気になっていた。そうしたら、2018年に創設された小さな学術出版社が、これを復刊してくれることになり、さっそく購入した。

 自分は中国史には興味のあるほうだと思うが、侯景の乱と聞いても、いつの時代の話か、全く分からなかった。舞台は6世紀の中国、六朝とか魏晋南北朝と呼びならわされる時代の末つかたである。本書によれば、もと六鎮の一つである懐朔鎮(内蒙古)の守備に従事し、胡引氏を本姓とする羯族の出身とされる侯景(503-552)は、南朝梁を攻め落とし、武帝を幽閉し、横死せしめたことで知られる。

 侯景の名前は知らなくても、梁武帝の名前は知っていた。しかし梁武帝(蕭衍、464-549)って、篤く仏教を信仰し、文化や学問の保護にもつとめた皇帝のイメージがあったのだが、それは治世の前半のことで、本書に描かれる晩年は惨憺たるものだ。脇目もふらぬ仏教への没入ぶりには、虚無と退廃の香りがつきまとう。小説の題材としては魅力的だが、為政者がこれでは民草はたまったものではない。

 侯景は東魏の武将であったが、離反して梁に帰順した。しかし梁への反乱を起こし、健康(南京)を陥落させ、自ら皇帝に即位し、国号を漢と定めた。と思ったら、即位の半年後、梁にゆかりの義兵に敗れ、海上を逃亡する途中、近侍の者に殺害されてしまった。ここには書き切れないが、人間の感情の複雑さ、生々しさを語る数々のエピソードが、ちゃんと残っているのが中国史のすごいところである。

 それにしても全編の主人公だと思っていた侯景が、3分の1くらいでが死んでしまったときは、ちょっと戸惑った。実は、第2章には徐陵(507-583)、第3章は蕭詧(しょうさつ、555-562)という別の主人公が用意されており、同時代の江南貴族社会を多角的に描き出している。そして、范曄(はんよう、398-445)をめぐる補論も。

 徐陵は梁の文人官僚であったが、侯景の乱によって北土に抑留され、のち江南に帰還し、陳に仕えた。陳朝で貴顕をきわめたとはいえ、いわば折々の権力に利用される生涯を過ごした徐陵には、人間の努力を超えた天命への信仰が見て取れるという。

 蕭詧は梁の昭明太子蕭統(梁武帝の長男)の三男。侯景の乱の後、西魏の後援によって南朝後梁の天子となった。全く北朝の傀儡政権であったが、西魏、北周、隋の三代にわたり、三分の一世紀の歴史を保った。それは(江南の)民間において貴種崇拝、あるいは蕭氏一族に対する声望がのちのちまで高かったため、北朝諸政権は新占領地を間接支配する道具として後梁政権を必要としたのではないかと本書は説く。

 補論に登場する范曄は、南朝宋文帝に仕えた史家・官僚で『後漢書』の作者であるが、政争に巻き込まれ、謀反に加担した罪で処刑された。「解すべからざる」范曄の謀反は、貴族社会の調和と安定が頂点に達し、衰退の影が忍び込んでいることへの不安と焦燥が引き起こしたのではないかという。

 本書によって知ることのできた南朝貴族社会というのは、日本人になじみの「古典中国」とは全然違っていて、繊細で可憐で、ややデカダンで、面倒臭いが魅力的な世界だった。最近、中国の架空歴史ドラマが、この時代を匂わせる設定を使って名作を生み出しているわけが分かる気がした。

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台湾旅行2019-20より帰宅

2020-01-03 22:51:24 | ■中国・台湾旅行

大晦日から今日(1/3)まで年末年始の台湾旅行から無事帰宅。楽しかった!よく歩いた!!

台湾には、これで4年連続で出かけている。いつも2泊3日や3泊4日の小旅行だが、少しずつ違うエリアに足を運ぶのが楽しい。今回も、いろいろ新しい発見があった。

しかしお土産のタネは尽きてしまって、もう職場へのパイナップルケーキしか買って来なかった。自分用には、ちょっと面白いものを見つけても、また次に来るときでいいやと思ってしまうのだが、今回の大事な記念品はこちら。元旦に台湾総統府を参観すると貰えるのだ。

「二〇二〇庚子 金鼠吉祥/風調雨順/民富國強/蔡英文 陳健仁」とある。たぶん「風調雨順」が蔡英文総統、「民富國強」が陳健仁副総統の筆ではないかと思う。うれしい。職場に貼りたいところだが、自宅のドア(ただし内側)に貼ろう。

総統府のギフトショップでは、総統・副総統の似顔絵入りタオルも売っていて、買ってしまった。

似顔絵の隣りには「國家因你而偉大」とある。ビニールのパッケージに印刷されていたコピーはもう少し長くて「國家偉大嗎?國家因你而偉大/What makes a country great? This country is great because of you」とあった。いいなあ、この標語。

旅行レポートはこのあと、各日付のもとに。

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台湾旅行2019-20【最終日/4日目続き】古亭、龍山寺、西門紅楼

2020-01-03 22:26:29 | ■中国・台湾旅行

 国立台湾大学を離れ、見ておきたかったところを最後にいくつか訪ねた。

 ひとつは、雑誌『東京人』2019年11月号「特集・台湾 ディープ散歩」に紹介されていた、古亭という地名の由来となった「古亭地府陰公廟」。資産家の家に仕えていて非業の死を遂げた侍女を祀ったものだという。オシャレで都会的な大通りに突然、異空間のような廟堂が現れる。一本裏道に入ると、安食堂が集まっていて、ランチタイムの勤め人で賑わっていた。

 続いて、初日の大晦日にも訪ねた龍山寺に初詣をする。おみくじは第三十五首「上上」の「劉関張古城相会」を引いた。劉関張って誰?と分からなくてスマホで検索したら、劉備・関羽・張飛をまとめて呼ぶ言い方だそうだ。ずいぶん欲張った運勢である。

 さて伝統的な街並みを復元した「剥皮寮(ボーピーリャオ)」を合わせて訪ねる。今回初めて、東側の昆明街まで歩いてみたら、「台北市郷土教育センター」という看板を見つけた。赤レンガの伝統的な建築に鉄骨とガラスを組み合わせたおしゃれな構造。台湾土着の神格である「尫公」についての展示などもやっていて、面白かった。

 剥皮寮の北側にある老松国民小学。昆明街から見るアーチ窓の列は、モスクか修道院みたい。

 最後に西門紅楼へ。ここは、むかしは小さなお店がひしめき合う、混沌とした商業ビルだった気がするのだが、私の記憶違いだろうか。いまはおしゃれでクリエイティブなスポットに様変わりしていた。

 以上、台北の街並みの変化が感じられて楽しい旅行だった。しかしよく歩いた!疲れた!(1/7記)

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台湾旅行2019-20【最終日/4日目】国父紀念館、国立台湾大学

2020-01-03 21:37:09 | ■中国・台湾旅行

 最終日。今日もいい天気だ。午後2時頃まで観光できるので、台北駅のロッカーに大きい荷物を預けて街へ出る。こちらへ来るまで考えていなかったのだが、ふと思い立って、定番の観光名所である国父紀念館に行ってみることにした。初台湾旅行のとき以来、約20年ぶりになる。MRTの駅から地上に上がると、異様に巨大な建築が目に飛び込んできて驚く。1972年竣工。これを建てた頃の台湾は、巨大で威圧的な建築によって、大陸と意識的に張り合っていたのではないかと思う。

 そして有名なランドマークである台北101の姿も初めて見た。2004年竣工だというから、私の初台湾のときはできていなかったのだ。

 最初の衛兵交代(というか出動)は9時なので、しばらくベンチで開館を待っていると、武術だかダンスだかを練習している集団のほうから聞き覚えのある音楽が流れてきた。大好きな2003年版『射雕英雄伝』のオープニングテーマ。これは気持ちが上がるな~。

 5分前くらいに館内に入ると、5人の衛兵が現れたところ。平日の朝イチなので、観客は10人弱だった。

 左右の台上にそれぞれ衛兵が立つと、残りの3人は戻っていく。すると紺のジャンパーお兄さんが、おもむろに台上の衛兵に近寄り、銃の位置、制服のしわ、帽子の角度などを丁寧に直していく。その後もジャンパーのお兄さんは、まわりに気を配りながら、ずっと控えていた。

 ホールの右側に大きなクリスマスツリーが飾られていたので、衛兵がくるみ割り人形みたいで微笑ましかった。

 続いて国立台湾大学へ移動。ここでの目的も近代建築探訪である。旧台北帝国大学時代の図書館は、いまは大学の歴史を展示する校史館になっている。

 中に入ってみる。

 図書館で使われていたっぽい机と椅子。学生生活全般にわたる展示で面白かった。

 いまは行政大楼(本部事務?)。もとは農林専門部だったそうだ。

 現在の図書館。要塞のようにデカい。私の記憶が間違っていなければ、むかし、この図書館で開催された中文古籍のシンポジウムに出席したことがある。

 隣りに学生活動センターという小さい(図書館に比べて)建物があって、カフェテリアやコンビニ、サークルの部室などが入っているようだった。「光復香港時代革命」という題字をつけた展示ボードが立っていて、ポストイットで多数の学生のメッセージが貼り付けられていた。

 緑の多い方向に歩いていくと、池や水車があり、広い畑が見えてきた。構内の道幅が広くてまっすぐで、おまけにこんな風景を見ると北海道大学を思い出す。実験農場なので、商業撮影は禁止という札が立っていた。

 ここは旧高等農林学校作業室。台湾の食生活に欠かせない「蓬莱米」を生み出した磯永吉博士の名前をとって「磯小屋」と呼ばれている。見たところ、使われているのかいないのか、よく分からない状態だった。

 農場周辺を大まわりして、台大グッズが買える「小福福」というお店を探し当てる。南国らしいあずまやの下に軽食のお店がいくつかあり、隣りの建物の中にコンビニのような小さな商店が入っていた。しかしTシャツやノートには食指が動かず。台大農業試験場製の牛乳には惹かれたが、1リットルボトルしかなかったので、あきらめる。これが最終日でなければ…。

 なお、片倉さんの本を見直したら、この「小福福」が入ってる長屋のような建物は、台北帝国大学時代の農林部専門部化学教室であるとのこと。

 私は紅茶と弁当を買って、あずまやのテーブルでランチにした。このとき気温は26度くらい。暑い! 箸は別売りで1元。環境配慮の取り組みが進んでいる。

 あずまやの隣りの木の下には、20~30人が集まって梢を見上げていた。望遠カメラを構えている人もいる。木の幹に「猫頭鷹の観察には距離を保ってください。フラッシュ禁止」という貼り紙がしてあって、猫頭鷹?どんな鷹だろう?と思ったら、フクロウのことだった。(1/7記)

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台湾旅行2019-20【3日目】故宮博物院、北投温泉

2020-01-02 23:40:56 | ■中国・台湾旅行

 正月2日は朝から気持ちよく晴れた。しかし今日は基本インドアの予定。故宮博物院に向かう。

 館内は、この数年ではいちばん空いていて静かだった。前日の元旦が無料開館日なのを避けたのがよかったかもしれない。マイクを使った館内ツアーを見かけなかったのは、禁止になったのか、あるいは大陸からの団体旅行が減っているのか。ロビーには「会話は小声で」というカード(団扇みたいな)を持った職員の方が立っていた。

【101室】「慈悲と知恵-宗教彫塑芸術」

【105,107室】「小時代の日常-十七世紀から見た生活への提案」(2019年9月28日~2020年1月5日)
17世紀の小資産階級の「文青」(文芸青年)であった文震亨(1586-1645)の『長物志』に焦点を当て、彼らの「平淡ながらも質にこだわった格別な日常」を紹介する。17世紀以前に優品とされた文具やうつわに対して、彼らが独特の美意識を主張し、世間の趣向を変えていくところが面白い。

【103室】「故宮博物院所蔵清代歴史文書精選」
この部屋はいつも善本の展示だが、内容は少しずつ変えているのではないかと思う。乾隆33年の『緬』(緬甸〔ミャンマー〕関係の文書)が出ていたのは、ドラマ「延禧攻略」ファンの学芸員さんがいるのではないかと思ってにやりとしてしまった。

展示室内に流れていたビデオに「和珅の建てた邸宅(のちの恭王府)」がチラッと映ったので、その場面をもう一度見たくてモニタに張り付いていたら、20分くらい見ていてももとの場面に戻らなかった。しかしとても分かりやすいビデオで、清朝の歴史文書の形態にかなり詳しくなった。

【104室】「院蔵善本古籍精粋」
ここも少しずつ内容を変えていて、ありがたい。

【106室】「集瓊藻-故宮博物院所蔵珍玩精華展」
【108室】「貴族の栄華-清代家具展」

【210,212室】「四方来朝-職貢図特別展」(2020年1月1日~3月25日)
今回、一番楽しみにしていた特別展。「職貢」とは、朝貢国が宗主国に赴き、冊封を受け、賞賜されること。「職貢図」には周辺国や遠方からやってきた外交使節の様子、さまざまな風俗や珍しい進貢品が描かれている。唐~明清まで20件以上の書画を展示。唐・閻立本の『職貢図』1件だけ撮影禁止だったが、あとは好きに撮影もできるおおらかさ。

これも唐・閻立本の『王会図』。左から高麗国、倭国、亀茲国。

清・謝遂の『職貢図』。左の男女が「日本国夷人」である。なぜか西洋諸国と同じ巻に描かれている。

ゾウやキリンなど珍しい動物を献上するのは、強大な帝国の君主を喜ばせる外交の定番。獒(ごう、ao)と呼ばれる猛犬(マスチフ種など)もよく描かれている。古装ドラマでもよくある場面だ。

 そろそろお昼時でお腹がすいてきたので、一時退出。朝、コンビニでおにぎりを買ってきたので、地下のロビーの隅で食べようと思った。ところがロビーに下りていくと「飲食禁止」の札を掲げたお姉さんが立っている。え!去年は大丈夫だったのに。仕方ないので屋外に出て、ベンチで食事。天気がよくて幸いだった。

【302室】「南北故宮 国宝薈萃」
『翠玉白菜』はいつものとおり。

ところが301室にあった(と記憶している)『毛公鼎』がないので戸惑った。今回は佐藤信弥さんの『周 - 理想化された古代王朝』で読んだ「故宮三大青銅器」を確認することを目的にしていたので。でも大丈夫、全て別の展示室で見つけた。

【305,307室】「古代青銅器の輝き-中国歴代銅器展」
『毛公鼎』。中国古銅器中最も長文の銘をもつ。

『㝬鍾(宗周鐘)』。

『散氏盤』。

【300,303室】「うつつとまぼろしの間で-故宮所蔵戦国時代から漢代の玉器 特別展」
【304室】「天香茄楠─香玩文化 特別展」

 今回は青銅器と玉器を頑張って見たので、2階の書画、陶磁器は比較的流した。

【202室】「巨幅名画」
【208室】「寄贈名画展」
【204,206室】「婉而通-篆書の物語」
【207室】「紫砂風潮-伝世品及びその他器物」
【203室】「心に適う-明永楽帝の磁器」
【201,205室】「土の百変化-中国歴代陶磁器展」

 最後にミュージアムショップに寄ったが、あまり欲しいものがなかったので、何も買わずに出てきた。しかし、地下のロビーに展示されていた「故宮デザインコンクール」の入賞作品は面白かった。1等賞は真黒な仙草ゼリーにミルクを注ぐと水墨画の景色が現れるというもの。詳細はこちら(中国語ニュースサイト)。

 私は皇帝「朕倦了」皇后「本宮乏了」(どちらも「疲れた」)のアイマスクと、

翠玉白菜ちゃん(2匹のキリギリスつき)が気に入った。ぜひ商品化してほしい。

 午後2時くらいで集中力が途切れたので故宮博物院を出る。相変わらずいい天気だ。MRT淡水線で北投温泉(新北投)へ向かう。温泉というから山の中かと思ったら、全く風情のない駅前だった。それでも公園に沿って歩いていくと、レンガと木造の古風な建築が見えてくる。北投温泉博物館である。

 もとは日本人が開いた公衆浴場だったので、館内にはタイル張りの湯舟も残っている。

 戦後、一時期は廃墟となっていたが、小学校の先生と生徒が郷土の歴史を掘り起こし、地元の人々の努力によって博物館としてリノベーションされたのだそうだ。館内の説明を読んで感動してしまった。

 温泉博物館の隣りの台湾市立図書館北投分館は、2014年にCNNが選ぶ「世界で最も美しい図書館ベスト27」にランクインしたこともある。時間が余ったら、ここでゆっくりしてもいいなと思って、読みかけの本も持っていったのだが、残念ながら休館日で入れなかった。

 台湾駅のフードコートで夕食。地下街直結のスーパーでお土産のパイナップルケーキを仕入れてホテルへ戻る。毎日、比較的早めにホテルへ戻っているのは、20時から2話ずつ放映のドラマ「軍師聯盟」を見たかったため。明日はもう帰国日である。(1/6記)

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台湾旅行2019-20【2日目続き】台北賓館、台湾国立博物館、迪化街

2020-01-01 23:29:30 | ■中国・台湾旅行

 台湾近代建築の旅(今回のテーマ)は始まったばかり。総統府の南側にある司法大廈(写真)、その向かいの台北市立第一女子高級中学は外観だけ。

 続いて台北賓館(旧・台湾総督官邸)を見学する。月1回、総統府の休日見学日に合わせて一般開放日が設けられているという情報をつかんでいたのだ。外観は重厚な雰囲気。屋根はスレート瓦ではないか。

 中に入ると、白と金の壁、豪華なシャンデリア、深紅のカーテンと絨毯、ステンドグラスなど印象が一変する。ここは総督府官邸であると同時に迎賓館を兼ねていたとのこと。皇太子時代の昭和天皇もここに宿泊したことがある。日本庭園もあり。

 最後に建築の沿革・特色を紹介するビデオを見ることができて、台湾の建築学の先生による詳しい解説が面白かった。

 台北賓館の北側、台湾大学附属病院(台大医院)は外観のみ。今回の旅の指南書である片倉佳史先生の『台北・歴史建築探訪』に「参観は自由にできる」と書いてあったけど、敷居が高くて足を踏み入れる勇気が出なかった。ここは森鴎外の長男・森於菟が医学部長をつとめたゆかりの地でもある。同じエリアに「台大医学人文博物館」があるという情報も得ていたのだが、「台湾大学博物館群」のページに祝日は休館とあったので、次の機会を待つことにした。

 続いて二二八和平公園の中にある国立台湾博物館へ。

 ここも約20年前に来たことがあるはずだがよく覚えていない。今回はもっぱら建築意匠に注目。かつては「児玉(源太郎)総督及び後藤(新平)民政長官記念館」と呼ばれた博物館。ドーム天井のステンドグラスには児玉家の家紋「軍配団扇」と後藤家の家紋「下がり藤」が用いられているというのは片倉先生の著書による。

 階段や回廊の腰壁は大理石だと思う。台湾は大理石の産地だが、この建物に限っては全てイタリアから持ち込まれた舶来の大理石が用いられたというのも同書による。

 3階では「発現台湾-重訪台湾博物学与博物学家的年代」という特集展示をやっていて、全く知らなかった日本人の博物学者・人類学者が多数紹介されていて面白かった。日本統治時代を否定するわけでもなく「日本人に感謝」みたいな文脈でもなく、そのひとのルーツにかかわらず、個人の実績を公平に顕彰するスタンスに感じられた。

 道路を挟んで向かい側にある土銀展示館にも入った。メインホールは高い天井を利用して恐竜や古代生物の骨格展示が行われており、「台湾土地銀行」に関する人文歴史的な展示が併存してカオスな状況になっているが、どちらも面白かったけど、いつからこんなふうになったんだろう。

 続いて迪化街へ。何度も歩いているエリアだが、片倉先生の本の地図をたよりに、敢えてメインルートを外れる歩き方をしてみる。延平派出所(旧・太平町2丁目派出所)は二二八事件ゆかりの場所でもある。

 森高砂珈琲店。二二八事件紀念碑に近い交差点にあるので、何度か前を通っている。

 永楽市場に寄り道したが、元旦でほとんどの店が閉まっていた。淡水河に近い裏通りにある李春生紀念教会。現在は観光ルートを外れているが、かつてはこの周辺こそ台湾随一の繁栄を誇っていたという。

 陳天来故居(錦記茶行)。かつての豪商の邸宅。ほとんど人通りのないさびれた裏通りだが、この建物を興味深げに覗き込んで、写真を撮っている若いカップルがいた。

 大稲埕碼頭で夕暮れの淡水河を眺め、民生西路を東へ戻って、新芳春茶行に寄る。最近、大規模なリノベーションをしたらしくて、古い建築の雰囲気はあまりなかったが(道路の反対側から全景を眺めればよかったのかもしれない)、店内は茶器や製茶業に関する展示が行われていて面白かった。

 仁安医院。古い病院建築だというが、全然気づかずに通り過ぎてしまい、振り返って初めて認識した。

 これで予定の行程は終了。実によく歩いた元旦だったが、まだ終わらない! このあと、初めて「士林夜市」に行って夕食にした。(1/5記)

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台湾旅行2019-20【2日目】総統府見学

2020-01-01 10:42:13 | ■中国・台湾旅行

 2020年元旦。台北の天気は、どんよりした曇り空だが、幸い雨は落ちていない。台湾は旧暦で新年を祝うが1月1日だけは国定の休日。ただしこれは新暦の元旦を祝っているのではなくて「中華民国開国記念日」であることは、ネットで調べて初めて知った。

 ホテルで朝食をとり、今日の目的地、総統府へ向かう。実は今年の台湾旅行を年末ではなく正月にあわせたのは、元旦の総統府見学会に参加するためなのだ。見学時間は9時からとあったので、20分前くらいに到着すると、建物の裏側(西側)の博愛路に北から南へ長い列ができていた。

 「憲兵」の黄色いジャンパーを来た職員が手際よく見学者を誘導する。日本人は少なかったと思う。入場時に日本のパスポートを見せると「コンニチワ~ヨウコソ~」と応じてくれた。和気藹々としたムードだが、銃を構えて警備にあたる職員もいた。

 本来の見学ルートは来賓用の正面玄関から建物に入るらしいのだが、混んでいる時間だったので脇の入口から中に入れてくれた。まずは総督府の正面中央のエントランスホールと大階段。正面には孫文の胸像。ドーム型の天井、白亜の壁が清潔で美しい。職員の方が見学者ひとりひとりに赤い巻紙を手渡す。蔡英文総統と陳健仁副総統による「春聯」である(→画像)。

 階段を上がって3階へ。通りすがりの部屋の入口に「恭賀新禧」の春聯が貼ってあり、小さく「蔡英文、陳健仁」の署名が添えてあった。

 3階のメインはこの「大礼堂」。正面には国旗と孫文の肖像。白い壁とふかふかの赤い絨毯の対比が印象的。政府の主要行事や国賓をもてなすパーティに使われるホールだが、置いてある椅子に勝手に座っても全く怒られないのが太っ腹。

 なお、翌日1月2日の朝、台湾では軍用ヘリのブラックホーク(黒鷹)が墜落し、参謀総長ら8人が死亡するという大事故があった。そのニュースで、参謀総長の沈一鳴氏が蔡総統から任命を受けたときの映像が何度も流れていたのが、まさにこの礼堂でのセレモニーだった。

 隣りの「台湾虹庁」は政府主催の宴や報道陣とのインタビューが行われる部屋。ここまでは月1回の休日見学会(元旦に限らない)でのみ入れるエリア。

 続いて1階へ。1階は平日見学(月~金)でいつでも入れる展示エリア。建築の特色・沿革や総統府の日常、写真や絵画など、多様な側面から総統府を紹介する。畏れ多くも勲章や玉璽も。「中華民国之璽」は緑玉(ヒスイ?)に刻まれているのだな(展示は複製)。

 一方で「総統府にはさまざまな職員が働いています」という観点から、制服、自動車修理工具、植木バサミ、食器なども展示されていて面白かった。カリグラファー(書道家)も雇用されていて、重要な社会的イベントにおいて総統や副総統の代筆をつとめるのだという。右筆だなあ。

 また「人民の声を聴く」と題したセクションでは、デモや政治運動の数々が写真パネルで紹介されていた。1990年の野百合学生運動、2014年のひまわり学生運動、そのほか、動物愛護、女性運動、LGBTパレードなども。いまの民進党政権だからできることだと思うが、これには本当に驚いた。展示導入部のキャプションを(正確に訳せないので)書き留めておく。

「人民聚集在総統府前広場/透過集体的力量表達訴求/参与公共事務、推動社会改変/這些喧嘩而多元的声音/表現了台湾的民主/也体現了人民的力量」

 たとえば日本の政府官邸が安保法制の反対運動をこのように紹介することは考えられないものなあ。

 中庭の回廊の壁には、総統府をモチーフにしたアート作品の数々。この蔡英文総統執務の図は、いくらなんでも萌化しすぎだと思うが、ファンアートなので許して。

 総統府公式では、総統も副総統もこんなドット絵になっている。これは総統就任時の記念切手をそのままタイルにしたもの

 見学出口にはこんな大型パネルがあって、片手を上げて執務室から身を乗り出す蔡総統、窓枠に座る陳副総統と写真が撮れる。愛されているなあ。

 総統府は、約20年前の初・台湾旅行でも見学した記憶があるが、何を見たかはあまり覚えていない。民進党の陳水扁氏が総統になったばかりの頃だったが、まだこんな開放的な雰囲気はなかったと思う。英語で案内してくれたボランティア(?)の方が「私は李登輝さんが大好き」と言っていたことだけ覚えている。

 次は台北賓館へ。(1/5記)

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