国道156号線沿いに行くと、庄川右岸に合掌造りの集落が木々の間から見えてきます。 集落全体が重要伝統的建造物群保存区域になっている菅沼合掌造り集落であります。
集落は、険しい山あいを流れる庄川のわずかな河岸段丘にあり、現在9戸の合掌造り家屋が残っています。 冬は豪雪となる厳しい自然に耐え、養蚕など仕事の場としても適した住まいとして、はるかな歴史を重ねて完成された合掌造り。
その力強い美しさを中心に、日本の原風景ともいうべき山村の景観も含めて、1995年に岐阜県白川郷、五箇山相倉と共にユネスコの世界遺産に登録されました。 現存する古いものは天保年間以前の建築と言われています。
季節が巡るたびに菅沼は表情を変え、いつ訪れても感動鮮やかです。
その後、国指定重要文化財である「村上家」や「白山宮(はくさんぐう)」のある南砺市(なんとし)上梨(かみなし)「こきりこの里」に立ち寄りました。
白山宮は県内最古の木造建築物で、神殿は室町時代(1502年)の建造だそうです。
こきりこの由来 「こきりこ」は、越中五箇山・上梨の山里を中心に伝承された全国的に有名な古代民謡である。
多くの民謡は起源や伝承の経緯がつまびらかでないのに比べ、この唄は『越の下草』や二十四輩順拝図絵、『奇談北国巡杖記』などの古文献に記載されており、来歴がかなり明確である。 従って、大化改新(約1400年前)の頃から田楽として歌い 継がれてきたという語り伝えも、かなり信憑性のあるものと思われる。
「こきりこ」は、越中五箇山の古社、上梨白山宮の祭礼に歌い踊られてきたが、隔絶山村として長い歴史を経た五箇山も、大正末期から昭和初期にかけて、電源開発などにより、外界との交流が始まるにつれて忘れられていった。 西條八十氏がこきりこ採譜のため五箇山探訪したのを契機に、昭和26年、古くから歌い継いできた上梨の山崎しい老(昭和38年没)の演唱を採譜して発表し、一躍脚光を浴びることになった。 奈良朝の万葉集などにみる純真、素朴にして、大らかな古代日本精神を伝承する唄として、その文化的価値が認められた。
そして昭和28年、東京・日本青年館に於ける第4回選定無形文化財として、全国郷土芸能大会に出場した。 また、昭和44年文部省が中学校の音楽教材に指定したので、全国的に広く知られるようになった。 リズム・メロディーとも簡単で、しかも明るく軽快なこともあって多くの人々に愛されています。
白山宮からは三笑楽酒造や五箇山伝統のとうふ店を覗き、村上家前の庄川にかかる太平橋を渡り、かつて加賀藩の政治犯などを収容していた現存する唯一の流刑小屋の前を通り、今日の宿に入った。
ぬくもりの湧く山里『五箇山温泉』 山々の深い緑に幾重にも包まれ守られるように、ひっそりと静かに時を重ねてきた五箇山。
平家の落人伝説に彩られ、独自の歴史と文化を育んできた五箇山地方。 「むぎや」・「こきりこ」など伝統的な民謡や舞いは、どこか哀愁を帯び、雅な情趣を漂わせ、多くの人の心を魅了し続けています。